七話

「やあ」


 僕はひとまず軽い挨拶をしてみた。


「……よお」


 目をそらしながらも、向かいのオグバーンは照れたように挨拶を返してくれた。


「あんまり、変わってないみたいだね」


「たった半年くらいじゃ、何にも変わんねえよ」


 この酒場でオグバーンと喧嘩別れしてから、年をまたいで半年が経っていた。紅葉の秋から、もう花の咲き乱れる季節になっている。時間が経つのは早い。でも、オグバーンはオグバーンのままだ。


「変わったのはお前の方じゃねえか?」


「え? そう?」


 自分じゃよくわからないけど。オグバーンはじろじろと僕を眺める。


「なんつーか……明らかに痩せたよな?」


 言われて顔や腹を触ってみる。うーん、確かにぜい肉は落ちたかな。


「ちゃんと食えてんのか?」


「節約はしてるけど、一応食べてるよ」


「節約ってのが気になるが、食べれてるんなら、まあいい」


 オグバーンはコップの酒を一口飲む。


「……軍やめて、今何してんだ?」


「働きながら勉強してるんだ。衛生兵になるために」


 オグバーンが驚いた顔を向けた。


「お前、そのためにやめたのか?」


「うん」


「初耳だな。お前が医療に興味あったなんて……。で、何の仕事してんだ?」


「日雇いの仕事だよ。荷物運びとか、家畜の移動とか」


「日雇い? それだけじゃなかなか食っていけねえだろ」


「だから節約してるんだよ」


 オグバーンは心配そうに眉間にしわを寄せる。


「どんな生活してるんだよ、お前。まさか、野宿とかしてないだろうな」


「してないって。借りた家に住んでるよ」


 街の外れで僕は、タダ同然の家賃の家を借りて住んでいる。まともな部屋の家賃は今の僕では払い続けることは難しく、やっと見つけたのが今住む家だった。格安すぎる家賃ということで、家の外も中もぼろぼろで穴だらけだ。その当時は冬の初めで、野宿して風邪でもひいて、試験に行けないような事態は避けたいと思い、仕方なくこのぼろ家を借りることにしたのだ。穴だらけでも、それなりの雨風は防いでくれるから、今のところ風邪はひいていない。


「そうか。ひどい生活じゃなきゃ、いいけどよ……」


 呟くように言って、オグバーンは酒を飲む。愛想はないけど、その言葉には優しさを感じる。もしかして――


「心配してくれてるの?」


 聞いた途端、オグバーンは戸惑った表情で弾かれたように僕を見た。でもすぐに険しい目付きに変わり、睨んできた。


「死にたがりの心配なんかするかよ! お前なんか――」


「冗談だよ、冗談。そんな大声出さなくても……」


 僕を睨む鋭い目が、最後に会ったあの日を思い出させる。オグバーンは僕に対して苛立ち、怒り、そして離れていった。そう簡単には元通りにならないことはわかっている。でも、できればあの日以前のように戻って、話を聞いてもらいたかったんだけど、それは無理かもしれない……。


 ふと見ると、僕を睨んでいたはずのオグバーンは、頭を抱えるように机に突っ伏していた。コップの酒はまだ大分残っている。酔うには早すぎる。


「……どうかしたの?」


 返事はない。僕の顔すら見たくないということだろうか? 一体どうしたらいいのか。何もできず、不安になりながら黙って帰ろうかと考えていると、向かいから低いうなり声が聞こえてきた。突っ伏しながらオグバーンがうなっている。声をかけようにもかけづらい。じっと見つめていると、急にオグバーンは顔を上げた。


「……俺っちも、お人好しだよな」


 ぼそっと言うと、オグバーンは上目遣いに僕を見た。


「俺っちはまだ、お前のことを馬鹿だと思ってる。でも、馬鹿なやつほど構いたくなるっつうか……何となくわかるだろ?」


 わかるような、わからないような……とりあえずうなずいておく。


「やっぱり、お前とは腐れ縁なのかな」


 オグバーンは椅子に座り直し、腕を組む。


「お前が俺っちを呼び出したのは、またあれ関係のことなんだろ?」


 見透かされていたのか……オグバーンは鋭い。


「その顔見りゃわかるって。話してみろ。聞いてやる。何か思い付いたら、妙案も言ってやるよ」


「……馬鹿に、付き合うのか?」


「友人のよしみだ」


 オグバーンは苦笑を浮かべた。僕もつられて笑顔になっていた。久しぶりに人の温かさに触れた気がした。


「あ、でもな、俺っちはお前が死ぬのには反対だからな。そこだけは勘違いすんなよ」


 語気を強めてオグバーンは言う。それだけはかたくなな気持ちらしい……。それでも、こうして話を聞いて意見してくれるだけで、僕にはありがたい。


「それで? 今回の話は何だ」


「うん。さっき言った衛生兵のことで、その試験なんだけど……」


 これにオグバーンは目を丸くしてこっちを見る。


「試験って、今回は呪い関係のことじゃないのか?」


「これも一応、その関係なんだけど――」


 僕は安楽死に使う薬を手に入れる道筋を簡単に説明した。するとオグバーンは呆れたように言った。


「衛生兵になるのは、そのためだったのか……最悪の動機だな」


「盗み取るよりはいいだろ。……それで、昨年末の第四次と、今年の第一次の試験を受けたんだけど――」


「合格点が取れないっていうのか? そんなの勉強しろとしか言えねえぞ」


「違うんだ。筆記試験はちゃんとできたんだよ」


「なら普通、合格だろ。医療部門には実技なんてないんだろ?」


 軍事部門には武技の腕を見せる実技試験があったが、戦わない医療部門にはそれがない。でもその代わりに――


「実技じゃなくて、面接試験があるんだ」


「へえ……で、それの何が問題なんだ?」


「面接官が二人いるんだけど、昨年末の試験でその一人が、イビン少将だったんだ」


「……誰だそれ」


 首をかしげるオグバーンの目を、僕はじっと見た。


「少将は、僕が安楽死したいことを知っている人なんだ」


 オグバーンは息を吐きながら、二度うなずいた。


「なるほどな。死にたがりと知ってて、合格にするやつはいないってことか」


「できるだけ取り繕いながら質問に答えてたんだけど、はなから疑われて……最後は僕が薬目的だと、少将は完全に見抜いてた」


「本当の目的を知られたんじゃ、望みはねえな」


「でも、僕だって諦められないから、今年も試験を受けに行ったんだけど――」


「また面接で落ちたか?」


 僕は首を横に振った。


「筆記試験の入り口で門前払いだった」


「はあ? 受けさせてももらえないのか? 初めて聞くぞ、そんなこと」


 試験の受付で名前を告げた途端、急に相手の表情が曇ったかと思うと「あなたはこの試験を受けることができません」と言われて、その理由も教えてもらえず僕は帰されてしまったのだ。


「多分、少将が言ったんだ。ウェルス・バイデルという男が来たら追い返せって。もう試験も受けられなくなって、僕はこれからどうすればいいのか……」


 道がまったくわからなくなってしまった。安楽死という目的地が見つかった矢先に、突然の暗闇に襲われて身動きができなくなってしまった状況だ。行く先は照らされて見えるのに、肝心の道がわからない。一人じゃ切り開けそうにもなく、ふと頭に浮かんだのがオグバーンだった。これまで数々の案を出してくれた彼にすがる他なく、今日こうして呼び出したのだ。


 そのオグバーンは、コップの酒を飲みつつ、宙を睨んで思案してくれている。どうか、いい案が出ますように……。すると、オグバーンはコップを机に置き、こっちを見た。


「もうさ、死ぬの諦めろよ」


 思わず溜息が出た。またこのやり取りか……。


「ずっと前にも話したことだよ。僕の死にたい気持ちは動かない。それは自分のためなのと同時に、周りの皆のためでもあるんだ」


 オグバーンの眉間にしわが寄る。


「だからさ、お前が死んだって……」


 まくし立ててくるのかと思いきや、オグバーンは言葉を切り、難しい顔でうつむいてしまった。


「……駄目だ。これじゃ前の時と同じだ。言い合ったって意味はねえ」


 僕はうなずく。オグバーンも喧嘩はしたくないという気持ちは同じようだ。せっかくこうしてまた話せているのに、前と同じことを繰り返してもしょうがない。もっと違う角度から切り込みたいのだけど、残念ながら僕にはそれが思い付かない。


「オグバーン、頼むよ」


 僕にはもう、彼の閃きしかないのだ。


「………」


 あごに手を当てて、一点を見つめながらオグバーンは考えていた。それを僕は祈る気持ちで見る。オグバーンなら、いい案が思い付ける。絶対に……。


 時折、深く息を深く吐きながら姿勢を変え、かなり集中して考えてくれていたが、しばらくすると椅子の背もたれに倒れ、あーっと小さな声を上げて天井を見上げた。


「……ないな」


「ええっ?」


 僕は思わず立ち上がった。そしてすぐに力が抜けて椅子に沈み込んだ。そんな……オグバーンだけが頼りだったのに。


「でも、まったくないわけじゃないんだけど――」


 僕は素早く顔を上げた。オグバーンは悩んだような顔を浮かべている。


「これはお前が絶対に嫌がる方法だ。それでも聞くか?」


「……とりあえず、聞かせてくれ」


 他に方法がないなら、聞くしかない。僕の答えにオグバーンは椅子に座り直し、真面目な表情になる。


「お前が、魔術師の弟子になるんだ」


 一瞬、自分の耳を疑った。


「待ってくれ……魔術師は呪いをかけた張本人だ。オグバーン、からかわないでくれよ」


 僕は無理矢理笑ってみたが、目の前のオグバーンは微塵も表情を変えない。これは、大真面目な案なのか……。


「思った通りの反応だな。でも、これしか思い付かなかったんだよ」


 酒をぐいっと飲み、オグバーンは僕の答えを待っている。何で、何で僕が魔術師の弟子にならなきゃいけないんだ? そこに納得できる理由なんてあるのか? 僕は冷静を装い、聞いてみた。


「その、方法を考えた理由は?」


「呪いをかけた本人なら、呪いを解く方法も知ってるかもしれない。まあ、それだけだ」


 それだけって……。


「それなら、弟子なんかになる必要はないと思うけど」


「そうだな。弟子じゃなくても、使用人とか下男とかでもいい。とにかく、魔術師の側に入り込むんだ。親しくなれば相手も気が緩んで、ぽろっと話すかもしれない」


「国にも頼りにされてるような人物だぞ。そんな人間が簡単に気を許すと思うか?」


「気を許さなきゃ、隙を見て本でも文献でも見ればいい。魔術師の家には本が山ほど積んであるんだろ? 掃除してる間に盗み見し放題だ」


 さすがに残った案だけのことはある。行き当たりばったりの内容だ。


「……じゃあ、もし魔術師が弟子も下男もとらなかったら?」


「泣き付け」


「え?」


「同情を引く言葉でその気にさせろ」


 本気なのか? と思うが、オグバーンは至って真面目らしい。


「一日じゃ無理だろうから、そうだな……最低一カ月は通いたいところだな」


「一か月も……泣き付くの?」


「言葉ってもんは、じわじわ染みてくる。何日も通えば魔術師の態度も変わってくるはずだ」


「変わらなかったら?」


「魔術師は冷淡な人間だったってことだ」


「それで、終わり?」


「そうなったら、また一緒に妙案を考えてやるよ。とりあえず、今はこの方法しか思い付かない。やるかやらないかはお前次第だ。どうする?」


 絶対にやりたくない。相手は魔術師だ。僕をこんなに苦しめる犯人だ。そんなやつの側にまた行くなんて、恐ろしくて想像もしたくない。でも、オグバーンが言うように、呪いをかけたなら、それを解く方法も知っている可能性はある。あるが、確証はない。ないけど、もしかしたらということもある。……ああ、でもやっぱり怖い。泣き付いて魔術師の機嫌を損ねたら、もっと強力な呪いをかけられたり、その場で呪い殺されたりするんじゃないだろうか。どうしよう。僕はどうしたらいい? 小さな可能性にかけてみたい気もするけど、魔術師の力も恐ろしいし……。


「お前も伊達に兵士だったわけじゃないんだ。厳しい演習の頃を思い出せ。虎穴に入らずんばって、よく言われたろ」


 確かに、本番さながらの部隊演習の時、高い崖から一人ずつ飛び降りる場面で、足がすくんで動けない兵士に、部隊長は口癖のようにそう言って部下を叱咤していた。軍に入りたての兵士は功名心が高いから、その一言が僕らの背中を強く押してくれた。土壇場では、危険を冒さなければ望む結果は得られないと。まさに今がその土壇場だ。魔術師に近付くのはかなりの恐怖だし、危険もある。それでも、望む結果を求めるのか。それとも、危険なものには近付かず、次の案が出るまで待ち続けるのか。僕は――


「やっぱ、お前向きな方法じゃねえな。他の――」


「やってみる」


 僕の答えに、オグバーンはあからさまに驚いて見せた。


「そんなに驚かなくても」


「いや、絶対やらねえと思ったからさ」


 今もやりたくない気持ちはある。でも、やらなかった時、呪いに怯える生活があるだけで、いい変化は何もない。その間に僕の身に何もないとも限らない。呪いの力は予測不能だ。多かれ少なかれ、どっちにも危険があるというなら、僕はそれを覚悟して結果を取りに行こうと決心した。恐怖心はある。迷いもちょっとある。それでも前進しなければ結果は遠いままだと思ったのだ。


「まあ、決めたんなら何も言うことはねえ。後は俺っちが言ったことを参考に頑張ってみてくれ」


 オグバーンはコップの酒を一気に飲み干す。これが彼との最後にならなきゃいいけど。そう思ったら、頭に嫌な想像が浮かんだ。


「……もしも僕が魔術師に会った後、音信不通になったら、オグバーン、僕の骨を探して家族に渡してくれないか?」


 これにオグバーンは、今にも笑いそうな顔で言った。


「お前さあ、前線に送られる兵士じゃねえんだから。悲観的になりすぎだろ」


「僕は悲観的になんか……ただ、万が一のことを考えて頼んでおこうかと」


「はいはい。そん時は俺っちが面倒見てやるよ。だから余計な心配は捨てろ」


 雑な言い方に、これは余計じゃなく、切実な心配だと言い返そうかとしたが、こんなことで言い合っても意味はないと思い、僕は口を閉じた。会いに行く相手は呪いを使うんだ。きっと他にもいろいろ使えるに違いない。命を奪うことだってお手の物なんだ。そんなところに行くのに、心配を捨てられるわけがない。オグバーンの明るい性格が羨ましいよ。


「話は決まったな。俺っちはもう帰るぞ」


 オグバーンは席を立とうとする。


「え? 一杯しか飲んでないのに、帰るのか?」


 いつもの彼なら、最低三杯は飲むのが普通だ。


「明日、お偉いさんが来るとかで、模擬演習があるんだよ。下手な姿は見せらんねえからさ」


 体調管理には無関心かと思ってたのに、意外だな。


「そういうことだから、じゃあな」


 踵を返し、席を離れるところで僕は咄嗟に呼び止めた。


「待って!」


「……ん?」


 オグバーンが振り向く。……何だろう。まだ一人になりたくない。


「……もうちょっと、話さないか?」


 するとオグバーンは、僕の顔をじっと見てくる。


「な、何?」


「もしかして、ビビってんのか?」


 ああ、そうだったのか。僕は怖がってるのか。だから一人になりたくないのか。


「魔術師のことは置いといて……楽しい話を聞かせてくれよ」


 言った途端、オグバーンは大声で笑い出した。


「はっはっはっはっ……ガキじゃあるまいし、怖い話を聞いた夜は一人で便所に行けないのか、お前は」


「僕は命がかかってるんだ。子供と一緒にしてほしくない」


「わかったよ。眠れるまでお話してあげますよ」


「だから、一緒にするな!」


 オグバーンは結局、深夜まで僕に付き合ってくれた。明日は模擬演習だって言ってたのに、話しながら四杯も酒を飲んで、最後は酔ったオグバーンを僕が抱えて、兵舎まで送るはめになってしまった。それでも楽しい話で盛り上がれて、その夜はぐっすりと眠ることができた。これもオグバーンのおかげだ。またこんなふうに飲める時がやってくるといいんだけど……。

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