デュースター村の環境改革


 あれから数日が経ち、少しずつペストに罹った村人たちにも回復のきざしが見えてくる。小夜は注射にも慣れて大分効率良く処置出来るようになったし、ルッツも助手業が板についてきた。

 そして、注射器は杖であり薬は聖薬であるという小夜の法螺ほらも未だ暴かれてはいない。


 回診後、小夜は村人達の経過を『アオイトリ』で追加注文したカルテを纏めながら改めて確認する。


(そういえば、今更になって分かったのだけど⋯⋯この世界と私が居た世界では使われている言語がまるっきり違うのよね)


 此れはカルテに書き込まれた小夜の文字を不思議そうに眺めるルッツに話を聴いたところ判明した事実だ。

 この世界の人間に小夜が書く文字は判読不能だが、小夜は何故だかこの世界の文字が読める。

 否、読めるというのは少々語弊が有るかも知れない。アラビア文字やグルジア文字が混ざったような、小夜からすれば記号と思える言語の意訳が脳内に直接届くのだ。言葉は通じるのだから何ら不便は無いと思っていたのだが、それはそれで便利である。


(取り敢えず、感染している村人に一通りの処置は施した。次は再発防止の為にこの村の衛生状態を改善しなければ⋯⋯!)



 休む間もなく次の課題を設定した小夜は椅子から立ち上がり、寄合所改め小病院の入口まで迷い無くズンズンと大股で歩いて行く。


「さっきからそこでコソコソ何をしているのかしら、村人Cさん?」


 バンッと扉を勢いよく開け放ち、不審者に声を掛けた。


「うわぁ⋯⋯ッ!?」


 まさか扉が開くとは思っていなかったのだろう。診療所の前を彷徨うろつく不審者は素っ頓狂な声を上げてひっくり返る。

 此の反応は小夜も予想外だった。


「ちょっと、貴方⋯⋯大丈夫?」

「ごめんなさいっ、ごめんなさい!!」


 小夜を見上げた小柄な男は瞳いっぱいに涙を溜めて子犬のようにブルブルと震えている。小夜はそんな男の顔に見覚えがあった。


「あら、貴方何処かで——」


 そこまで言い掛けてふと記憶が蘇る。

 病院の入口に立っていたのは小夜がデュースター村にやって来た時、聖女だと早とちりし期待を込めた視線を向けて来た男だった。


「せっ聖女様みたいなお方が⋯⋯ぼくなんかの事、覚えていて下さったのですね」

「ええ、まあね。此処に用が有るのでしょう? 何時までもそんなところに座ってないで入ったら如何かしら?」


 小夜は手を差し出す。そして、尻もちをついた男を引き起こし病院内へと誘った。




✳︎✳︎✳︎




 ペストの主な感染経路はノミによる感染、接触感染、飛沫感染の3つである。

 これらの不安要素を根絶しない限り、ペスト再発の可能性は十分にあり得る。つまりは要因を元から断たねば本当の意味でペストに打ち勝ったとは言えないのだ。

 その為に小夜は常々、その要因となる汚染された村の環境を改善したいと思っていた。


 しかし、村人たちの病状が最初より落ち着いてきたとはいえ、毎日目が回るほど忙しい小夜とルッツにはそこまで手を回す余裕など無かった。


(如何したものかと思っていたけれど、これはまたとない好機だわ!)


 小夜は不審な男改め、フィンに向き直る。そんな彼は部屋に入るなりしきりに辺りを見回していた。


(幸い、フィンは初めから私に対して好意的だった。この様子なら上手く丸めこめそうね)


 小夜はジッとフィンを見つめる。金茶色の髪に橙色の瞳の一見華やかな様相で有るが、困り眉で小刻みに華奢な身体を震わせる彼からは何処か儚げな印象を受ける。


「ねえ、フィン。貴方、私達のやっている事に興味が有るの?」

「あ、えっと⋯⋯ぼくなんかがそんな⋯⋯」


 フィンはうろうろと視線を彷徨わせ口籠る。彼の反応を見るに小夜達の仕事に興味津々だという事は明らかだった。



「⋯⋯実はね、今とっても困っている事があるの」


 小夜が沈んだ声音でそう切り出すと、漸くフィンと目が合った。


「せ、聖女様が⋯⋯?」

「そうなの。もっともっと此の村の人達の助けになれたらと思っているんだけど、残念な事に人手が足りないのよ」


 小夜は大袈裟に困った顔を作る。お人好しな性格のフィンには此れが効果的面だと分析しての事だった。


「⋯⋯」


 フィンは何かを考え込むように俯く。


「もし⋯⋯もしも誰かが手伝ってくれたらとーっても助かるのだけれど」


 態とらしく間延びした声を出して見せれば、フィンは勢い良く顔を上げて小夜を見つめる。


「⋯⋯あ、あのっ聖女様!」

「あら、如何したの?」

「ぼ、ぼくなんかで聖女様のお手伝いを出来るのなら⋯⋯何でも、します⋯⋯ぼくなんかにも聖薬を分けて下さったお優しい聖女様の為なら⋯⋯!」


 未だ頼りない雰囲気は有るものの、小夜を真っ直ぐに見つめるフィンの橙の瞳には強い決意が込められていた。小夜はそんな彼にならこの大役を任せられると思い、手を取りギュッと力強く握る。


「本当!? ありがとう、フィン!!」


 筋書き通りに事が運び気を良くした小夜は人知れずほくそ笑む。

 こうしてフィンはデュースター村の『衛生隊長』に任命されたのだった。



✳︎✳︎✳︎



 初めはルッツと2人きりだった診療所も、フィンが加わり随分と賑やかになった。

 初めは小夜達の活動に何処か懐疑的だった村人達も今では食事の提供や清拭せいしの補助、室内の掃除等の手伝いを申し出る者も居り、円滑に小病院を運営出来ている。


 そして、小夜の目論見通り衛生隊長フィン先導の下、デュースター村は驚く程の変貌を遂げた。

 飼養家畜の放し飼いを止め各々で徹底した管理を行い、路上に放置されていたゴミは新たに作った集積場に集める。

 一番大掛かりだったのは木こりの協力を借り太陽の光を遮っていた巨木をぎ倒した事だ。

 此れにより村の路上は清潔に保たれ、害虫やねずみは滅多に見かけなくなった。暗く高湿気な環境も太陽の光を取り込む事で幾分かマシになったように思える。


(私一人では此処まで来れなかった。デュースター村の人達が一丸となってペストに勝ったのだわ)


 小夜はすっかり活気付いた病院内をゆっくりと見回す。

 死人のように青ざめ床にしていた女性は温度を取り戻して恋人の手を取りむつみ合い、嗚咽と涙を溢しながら嘔吐を繰り返していた男の子は美味しそうにパンを頬張っている。

 そんな光景を目の当たりにし、小夜の胸はキュウッと締め付けられた。


「やっぱり、私は——」


 医者とは身を粉にして人に尽くす非常に過酷な職業である。

 しかし、人をたすける事の何と尊くやりがいの有る事だろうか。改めて、小夜はそう実感するのだった。







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