クリスマス・プレリュード

小池 宮音

第1話

 12月25日、クリスマス当日。昨晩、急遽予定の入った絵里えりは、待ち合わせの駅前に小走りで向かっていた。走りながらもう何度鏡の前で確認したか分からない自分の格好が本当に大丈夫か頭の中で反芻する。


 白のニットワンピに赤がメインのチェックのストールを羽織り、ブラウンのロングブーツは足首のあたりにリボンのような金具が付いている。35歳にしては若すぎるような気もするが、クローゼットにあった服をひっくり返した結果、これが一番クリスマスっぽかったのだ。一応ネットで検索してみてそれらしいコーディネートが上位にあったので、これに決めた。


 ネットが言うんだから間違いないとは思いつつも、まだ不安が残っている。待ち合わせに遅刻気味にも関わらず、絵里は大通りにあるお店のショーウィンドウに自分の姿を映し、確認した。


 ……うん、大丈夫。変なところはない、はず。


 茶色に染めたミディアムヘアーも普段は邪魔にならないようにポニーテールで纏めているが、今日は緩く巻いてハーフアップにした。本当は下ろそうと思っていたのだが、着けたいピアスがあったので見やすいように半分だけ髪を纏めた。耳たぶの部分は雪の結晶のような形でそこから伸びる細いチェーン。かなりセンスのいいシルバーチェーンのピアスだった。


『それ着けて、明日どこかへ行きませんか』


 昨晩、予定が入るきっかけとなった後輩の言葉が蘇る。大学時代のサークルの後輩でダーツバーを経営しているマスターでもある如月きさらぎの言葉。


 毎週末、仕事終わりにその店で飲むのが絵里にとってのささやかな楽しみだった。如月と他愛ない話をして、アルコールを摂取して、ほろ酔い気分で帰路に着く。クリスマスイブの昨夜だってその予定だったのに、少しだけ狂った。如月が絵里をクリスマスデートに誘ったからだ。


 というのも、店に落ちていた絵里のピアスを如月が踏んで壊してしまい、そのお詫びに今着けているピアスを絵里にプレゼントしてくれた。『着けて』と言われたので着けると『それ着けて、明日どこかへ行きませんか』と言われたのである。そしてあれよあれよという間に一緒に水族館へ行くことになったのだ。


『いつも会うのは夜なんで、明日は朝から健全な逢瀬です』


 そう言われて家に帰ってから『逢瀬』の意味をネット検索した。画面に表示されたのは『恋愛感情を持った男女同士が周りの目を気にしながら会うこと』。読んだ瞬間、いや、違うだろ、と絵里は心の中でツッコみを入れた。そもそも私たちは恋愛感情を持った男女同士じゃない。大学の時にアウトドアサークルで一緒だっただけの、先輩と後輩だ。それ以上でもそれ以下でもない。恋愛感情なんてないはず。だって大学を卒業して13年、お互いにそんな素振りなど見せたことがなかった。如月は如月で恋人がいたはずだし、こっちはこっちで恋人がいた。もういなくなって5年くらい経つけど、そういえば如月もいつの間にか独り身になってるな……


 遅刻しかけているというのに脳内会議は終わらない。ショーウィンドウに映る自分と睨めっこをしていると、後ろから「絵里さん?」と声を掛けられた。振り返って待ち合わせした相手だと分かると、急に恥ずかしさが込み上げた。


「え、あ、如月? あ、ごめん、待った?」

「いえ、俺も今来たとこです」


 うわ、35歳にもなって待ち合わせの定番会話してる!


 絵里は若干気恥ずかしさを覚えながらも目の前にいる後輩を見た。ダーツバーでカウンターに立っている時の黒い制服とは違う格好に、ドギマギしてしまう。ベージュのタートルネックセーターに紺色のチェスターコート、黒のスキニーパンツ。背の高さも相まって、普通に格好よく見える。


「つーか何してたんすか、この店の前で。めちゃくちゃ熱心に見てましたけど」


 そう言われて絵里は初めてショーウィンドウの中を見た。そこには『クリスマスには宝石を』というキャッチコピーとともに、キラキラと輝く宝石がいくつか並んでいた。女性なら誰もが憧れるような指輪やネックレスだ。


「さすがにそれねだられると俺も困るっていうか……」

「ち、違うから! 中を見てたんじゃなくて、ここに映る自分を見てたの! 変じゃないかどうか!」


 言わなくてもいいことが口から飛び出た。白状してどうする。どうも昨日から調子が狂わされていて、いつも通りの自分がどこかへ行ってしまっている。


 如月は一瞬目を瞠ってから、「知ってるし、変じゃない」と呟いた。聞き逃さなかった絵里は如月もまた、いつも通りではないことに気が付いた。


 クリスマスというイベントに浮かれているのか、朝から2人きりで出掛けるということに浮かれているのか。


 顔をお互いに赤くさせた30代半ばの男女は、無言で電車へ乗り込んだ。


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