呪われガールと赤目のキツネ

雪待ハル

呪われガールと赤目のキツネ




モフモフしている。

なぜ自分の頭の上がモフモフしているのか。謎である。


「・・・あのぅ・・・」


「何だ」


おそるおそる声をかけたらなんと返事が返ってきた。しかもイケボ。


「あなた、キツネですよね」


「形はそうだな」


形は?どういう事だろう。

いやそれよりも。


「キツネは普通しゃべらないと思います」


「そうだな。キツネの形をした呪いだからな」


「呪い・・・」


ちょっと考えた。つまり、自分は誰かに呪われてしまったらしい。


「あなたは誰かが放った呪いだと?」


「その通り」


「わたしはその方に憎まれるような事をしてしまった?」


「その通り」


「そっかあ・・・」


考えてみるが、誰かに憎まれるような酷い事をした心当たりがまるでなかった。

でも、それは自分視点の話であって、相手にしてみれば許しがたい事であったのだろう。

申し訳ない事をした。


「うーん」


「どうしたイマダテリノ。呪い返しをしないのか?」


「それで相手の方がまた呪いを返して?そんなの疲れるよ」


「では、我が呪いで死ぬか?」


頭上のキツネがわたしの顔を覗き込んだ。その目は血のように赤い。

わたしを呪うという意思を持ったイキモノ。


「このままあなたを頭の上にのせていると、死ぬの?」


「そうだな」


「死ぬのはさすがに嫌だなあ」


どうしたものか。

考えながら何となく頭上のキツネを優しくつかんで彼を目の前まで持ってきた。

あら可愛い。思わず彼の頭をよしよしと撫でてしまった。


「そんな事をしている場合か?おまえ」


「そうだよね・・・ちなみにわたしはどうやって死ぬの?」


「我をそばに置いておく時間に応じて寿命が減っていく」


「なるほどー」


つまり痛かったり苦しかったりはあんまりしないタイプの呪いなのか。それは助かる。

ちょっと考えて、浮かんだ考えに思わず苦笑した。


「何を笑っている」


「・・・あのね。自分、特別死にたいとは思わないけど、特別生きたいとも思っていないんだ」


ぶっちゃけどっちでもいい。

例えばあの手この手でこのキツネを祓う方法を見つけられたとしても、もしかしたらまた呪われるかもしれないし。わたしを憎んでいる人がその人一人だけとも限らないし。生きてれば色んな人と関わるからこれから誰にも憎まれないなんて保証はどこにもないし。

ここで必死に生きようとする理由がわたしにはないんだ。


「だから。これから寿命が尽きるまで、あなたと一緒にいようと思うよ」


「・・正気か?」


「分からない。何が普通かなんてわたしは知らない」


「・・・・・後悔するぞ」


「さてね」


赤い目を針のように細めて言ったキツネに、わたしは首を傾げてみせた。



















「呪われただあ!?」


マスターは目を見開いて声を上げた。

うん、やっぱりそういう反応になるよね。


「そうみたいです。この子がキツネ」


「よう」


「・・・・・・・ッ」


ここはわたしの行きつけの喫茶店。このマスターとも顔見知りだ。

死ぬ予定ができたのなら、お世話になったこの人には知らせておきたかった。


「わたし、呪いであまり余命が長くないみたいなんで。マスターに今までのお礼を伝えておきたくて・・・」


「馬鹿ッ!!!!」


彼は額に青筋立てて怒った。


「諦めるな!!解呪の方法なんていくらでもあるだろ!!」


口元に髭をたくわえた壮年の男性であるマスターが本気で怒ると迫力がある。というより――


「マスター、ありがとうございます。わたしの為に怒ってくれて」


「礼を言っている場合か!!」


彼の気持ちが嬉しくて笑顔になったら、即座にまた怒られた。

その勢いにちょっと怯みながら、わたしは何とか言葉を告げた。


「いいんです。わたしは誰かに憎まれるような人間だった。それならば、解呪して生き永らえてもまた別の誰かに呪いをもらうでしょう。だったら」


「だったら自分は死んでもいいって言うのか!!!!ふざけるな!!!!」


彼の本気の怒りに触れて、思わず涙が出た。怖かったからではない。嬉しかったからだ。


「・・・マスターがそうやって怒ってくれるなら、わたしの生きた意味はあったんだと思います」


ありがとうございます、マスター。

そう言い残して、わたしは素早く椅子から立ち上がり、店の出口に向かって走る。


「待て!!梨乃ッ!!」


背中に彼の悲痛な怒声を聞きながら、わたしは外へ逃げた。
























「・・・ふう」


喫茶店から遠い場所まで走って逃げて、大きな公園のベンチでひと休みした。


「大切な人への挨拶は済ませた。これでいつ死んでも大丈夫」


「おまえ・・・」


「ん?」


ここまでずっと黙っていた頭上のキツネが口を開いたのでわたしはぱちくりと瞬いた。

彼は呆れたような口調で言った。


「イマダテリノ。おまえが主に憎まれた理由が分かった気がした」


「えっ、何で?」


「おまえ、自分でこうと決めたら後は人の話に耳を貸さないだろ。あと自分の価値を低く見積もり過ぎだ」


「・・・・」


「自分がどうなろうが世界は何も変わらないからどうでもいいって思っていて、それでおまえの事を大切に想う奴らの声はおまえには届かない。そりゃ周りはたまったもんじゃないだろうよ」


「・・・・」


「・・・まあ、おまえがそうなったのは何かきっかけがあったんだろうがな」


「・・・・」


「少なくとも、さっきの男はおまえが死んだら泣くだろうよ。おまえを止められなかった自分の非力を悔いて、ずっと悔やみ続けて苦しみ続けるだろうよ」


おまえ、本当にそれでいいのか?

頭上のキツネが問う。


「わたしは・・・」


そこまで言って、それ以上は答えられなくて。

キツネが指摘した事はすべて、きっと正しい。だからこそ何も言えなかった。




『自分、特別死にたいとは思ってないけど、特別生きたいとも思っていないんだ』




さっきキツネに言った言葉。嘘偽りのない自分の本音。




『おまえなんて産むんじゃなかった』




かつて自分が言われた言葉。これもきっと、嘘偽りのない本音。

胸に刺さって抜けない、キツネが来る前からあった、わたしへの呪い。

そうだ、わたしは元から呪われた人間だったんだ。

だから生も死もどうでもよかった。

けれど――――


「・・・・大切な人を泣かせるのは、わたしは嫌だなあ」


ぼそりと呟いた。

ベンチの背もたれに大きく体を預けて、空を仰ぐ。でっかい雲が悠々と進んでいく。

わたしが死んでも、世界は何も変わらない。それでも。


「・・・・・マスターの淹れてくれたコーヒーが飲みたい」


「・・・・」


「マスター手作りのチーズケーキが食べたい」


「・・・・」


「死んだら、二度とマスターに会えない・・・」


「そうだな」


「それは嫌だなあ」


「ならば、どうする」


わたしは頭上のキツネを優しく抱きかかえて目の前に持ってきた。

赤い双眸がルビーのように綺麗だと思った。

ちょっと笑う。


「きみは、綺麗だね」


「気色悪い事を言うな」


「まあそれはともかく。きみに伝言を頼みたい」


「うむ」


わたしは息をひとつ、吸って言った。


「“ごめんなさい。わたしは生きたいから、あなたの為に死んであげられません”」


「承った」


キツネがわたしの手からぴょんと跳んで、地面に四つ足で立った。

そうすると姿勢の良いキツネだなと思った。


「呪いは返る。だが、また主がおまえを呪ったら、どうする?」


「またきみに伝言を頼むよ。何度でも」


「疲れても?」


「疲れても、やるよ」


「そうか」


キツネはひとつ納得したように頷いて、踵を返してあっという間に駆け出して行ってしまった。

その後ろ姿が見えなくなるまで見送りながら、わたしは思う。

あの不思議なイキモノは自身を「キツネの形をした呪い」だと言った。


(呪いにしては、優しいキツネだったな)


もしかしたら、彼の主という人が、優しい人間なのかもしれない。

わたしはこれからも生きていく、その中でまた優しい誰かを傷付けて、呪われるのかもしれない。

それでも、わたしには傷付けたら「ごめんなさい」と謝る事しかできなくて、生きる事を放棄する事もできないのだ。

生きていたら、誰も傷付けないなんて事など不可能なのだから。

不可能だと知り、それでも自分と接してくれる相手を傷付けるのではなく、笑い合うことができるのなら、そう在る事を目指す自分でありたい。

・・・だから。これはそのための始めの一歩。


「喫茶店に戻って、マスターに謝ろう」


わたしはベンチから立ち上がり、歩き出した。





おわり

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