その年の夏。「へいわ」の去った大阪より

第10話 晩餐には「へいわ」の食堂車でステーキを。

「よお、大宮君ではないか」

「あ、岡山さん、お久しぶりです」


 1962(昭和37)年7月某日、大阪市内の喫茶店で、岡山和彦社長は旧知の人物と偶然出会った。O大学を卒業後、現職の衆議院議員でもある長崎弘氏の紹介で大阪本社の三角建設に就職した大宮哲郎青年がその人である。

 この喫茶店、すでに冷房が設置されている。

 店内の空気は、冷風と機械を通った煙草とコーヒーの匂いが混じったものだ。


「大宮君、先日の国鉄の広島電化、御存知だよな」

「もちろん存じております。そのことで、何かありましたか?」


「君、御存知か? 大阪から広島までの「へいわ」って特急列車」

「はい。何度か乗りました。岡山に戻るときに。仕事を早めに終わらせて、それから帰省とか。そうそう、去年の年末にも乗りましたよ。年末に出張扱で岡山に戻る機会がありましてね、なんせ私が行けば、岡山の宿代が要らないからとか何とか、そんなことを言われて、営業担当でもないけど営業の応援に駆り出されました。里帰りをかねて」


「そうか。里帰りと出張を兼ねるとは、三角建設さんにとっても大宮哲郎君にとっても、お互いウインウインというか、ほれ、お互い儲けものってやつやね。で、岡山に戻って、よつ葉園さんにも行ってきたのか?」


 彼は、岡山市の質問に対してかなり丁寧な回答を出した。


 ええ。実は弊社の慈善事業の一環ってことで、よつ葉園さんに寄付という業務が入りましてね、長崎さんの御紹介で。

 それで、事情をよく知っている私に行けという話になりました。

 ついでに言えばあちらの園舎、岡山さんもご存知の通りのぼろい木造ですけど、この度、公的な寄付絡みで鉄筋園舎を建てることになりまして、その営業も兼ねて行って来いと、というか、帰って来いと、そういう業務でした。

 そうそう、へいわ号には何度か乗りました。下りだけではなく、上りにも。

 前日仕事を終えて一杯飲んで、自宅に戻って寝て、朝9時過ぎに岡山支社に出向いて、その足で大阪の本社に戻るって日程の出張もありました。

 昨年末は、下りの一等車に乗りました。上司と同行ということもあって、おかげさまで、晩餐のステーキにもありつけました。

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