第6話

 細工は流々仕上げをご覧じろ――今日は王子が銀髪、私が金髪。女主人は“急用”で、執事が我らの応対中。

「……」

 ソファにくつろぐ王子とアンリエッタの斜め前で直立している、ちょび髭を蓄えた彼はとっても居心地悪げに、目線を彷徨わせている。

 そして、アンリエッタと目が合うなり、ブルッと震えると、慌てて視線を伏せた。

(でしょうねー。ついこの間、司法取引で洗いざらい話しちゃった相手が、目の前にいるんだもの。女主人はそのせいで今頃捕まってるはずだし)

 アンリエッタは金色のカツラの下で、人悪く唇の右端を吊り上げた。


「失礼いたします」

(ナイス! 引っかかった!!)

 ドナウセル辺境伯の低い声に、笑みを深める。高笑いしたいところだけど我慢我慢。王子が不機嫌そうにこっちを見るけど、それもこの際どうでもよし!


 だって、あのやな奴をついに追い詰められるのよ? こんな素晴らしい日ってある? 

 何よりあの女主人のねっとりした目つきにさらされる日々ともようやくおさらば――てか、女主人、あんた、いい加減気付けっ!って何度も叫んだわ、王宮の自室で枕を殴りながら。


「これはこれは。お目にかかれまして恐悦至極」

 ドナウセル辺境伯は、部屋に入るなり、王子の全身にざっと目を走らせ、品のよくない笑いを顔に浮かべた。

(こっちが引っかかったと彼が信じている証拠――)

 とアンリエッタもつられてさらににっこり。


 ああ、この顔がこれから屈辱に歪んでいく――社会正義の実現ってなんでこう胸がすくのかしら?

 いやあねえ、ストレスや私怨の解消なんかじゃないってば。どうせ突き落とすなら高くたかーく持ち上げてから!とかも思ってないの、多分。


「君は下がりなさい」

 満面の笑みを浮かべたまま、ドナウセルが執事に退出を促す。それに応じ、執事は明らかにほっとした顔で出て行った。



 この1ヶ月で、ドナウセル辺境伯とエーム教が人身売買を行っていることの証拠は揃った。

 エーム教の組織体制についても分析済みで、結局のところ、教父と言っても実質はドナウセルの傀儡らしい。見た目が良く、喋りは上手いもののいまいち知恵が回らない男は、飾りとして教父に据えておくには最適なのだろうけれど、それゆえにドナウセルなしでは大した動きは出来ないと踏んでいる。


 となると、最初に押さえるべきはやはりドナウセルなのだが、後ろ暗いことをしている自覚があるらしい彼の身辺警護は、下手な王族よりよほど強固だった。

 自邸は物々しい数の私兵で警護されていて、外出の際はその彼らを引き連れて動く。数ある愛人宅も同様。

 となると、首都にある彼の拠点に、迂闊に踏み込むわけにはいかなかった。物々しい戦闘を街中で起こしたくないというのもあるが、あちこちに信者がいて匿われる可能性がある以上、万が一にでも逃げられるようなことがあってはならない。


 結果、ここ娼館シャリエールで、ドナウセル個人を押さえることを計画して、今日にいたるというわけだ。

 ご自慢の私兵からドナウセルが離れ、しかも娼館という性質から大仰な警備が存在しない場所。花街ゆえに、周囲に少々見慣れぬ者がいても不審がられない点も好ましかった。こちら側の兵をあちこちに忍ばせられる。

 餌は第1王子カイエンフォール。この国の太子が自分の連れて来た少女に囚われていると聞きつければ、このドナウセルのことだから、必ず現れて話を持ちかけてくるに違いないと見込んで、現にその通りになっているわけだが――。



(なんか納得いかないのよね……)

 アンリエッタは王子の横に立ちながら、フードに半分以上隠されたその横顔を見つめる。

 アンリエッタが王子の代役を務め、できれば彼は城で待機、無理でもいつものように従者役という形にしたかったのに、なぜか全く聞き入れられなかった。

(いつもならなんだかんだと言って結局付いては来るけど、入れ替わること自体に文句は言わないのに)

 なにか怪しい、絶対にまたなにか企んでいる、とアンリエッタは目を眇めた。


「トム、君も出て行きなさい」

「……は?」

 ドナウセルと向かい合ってソファに座り、むかつくぐらい長い足をこれまたむかつくぐらい優雅に組んだ王子が発した言葉に、思わず素で呆然とした。

(で、出てけとかいった? 今??)

「……な」

 何考えてるのよ、馬鹿っ。そんな犯罪者と2人きりになってどうする気っ!?

 そう怒鳴ってやろうとしたのに、性悪馬鹿王子は、「いいから」と飛びっきり可愛い、邪気のない顔で笑いながら立ち上がり、人を戸口まで押しやっていく。

(あ、その顔、懐かしい。……じゃなかった! なにそれ、そりゃあ、カイだって十分強いけど、なんかあったらどうすんのよ!?)

「殿下、おまちくださ」

 必死で抵抗したのに、とんっと肩を押され、パタンと目の前の戸は閉められた。



「……な、んなの、ここまで来てこんなのってあり……?」

 その扉の前でぱっくりと口を開けること数秒――本当に追い出されたと気付いて、アンリエッタは呻き声を上げた。

「何か考えがある……? ならちゃんと説明しなさいよ、馬鹿王子馬鹿王子馬鹿王子……!」

 そうしてムカつきながら、扉の前を往復すること1分。

「……」

 頭が冷えて、扉の前に立つことまた1分。

(……静か過ぎない?)

 不安になること……分。


 知らず眉が寄り始める。

 知らずそわそわと体が細かく動き始める。

 知らずガシガシと頭をかき始める。


「大丈夫……」

 だとは思うのよ。だって天井裏も窓外にも諜報部隊がいるはずだし。本人だって近衛隊長がそれなりに認めるぐらいには強いし、悪知恵働くし、えげつないし、殺しても死なない奴だし。大体、憎まれっ子世にはばかるって言うじゃない、ねえ?

「……ああ、やだ、美人薄命なんて言葉もあった。中身はともかく、洒落になんないわ、外見は」

 アンリエッタはついに呻き声をあげた。


「となると……」

 計画を練ること30秒――

(そうね、もういいわ、突っ込んでやる。テーブルをはさんで向かい合っているはずだから、その間に駆け込めば、奴の手はカイに届かない。万が一庇うのに失敗して、カイに危害が行くようなら、生け捕りなんて可愛いこと言ってないで、ドナウセルを切り捨ててやる。ざばっといこう、ざばっと)

「……」

 そう決めて、アンリエッタは剣の柄に手をかけた。


「ああ、ちょっと、あなた」

「邪魔しないでよ、私は今忙しいのっ、」

(――馬鹿カイの命がかかってるんだから!)

 その瞬間、落ち着いた声に呼び止められて、アンリエッタは殺気混じりに振り向いた。

 廊下の向こう、奇麗な黒髪の女性が「まあ、怖い」と心にもなさそうな声を返しながら、艶やかに笑っている。


「……」

(この人、あれからここに通う度に王子が会っていた……)

 近づいてくる赤絹のドレスに身を包んだ彼女がその人だと認識して、アンリエッタは剣にかけていた手を無意識に脇に下ろした。

「あなた、カイのお付きの人でしょう?」

(……カイ?)

「もし? 聞いていらっしゃる?」

「え、ええ」

(なんでかしら、もやもやする)

 目の前まで来たその人のこげ茶の瞳を、アンリエッタはじっと見つめた。

「やっと会えたわね」

 美しいその人はさらに美しく笑った。大人っぽく艶やかな、でも嫌味のない、満開のバラの花のように。

(つまり、この人と王子は……)

「……」

 考えなきゃいけないこともしなきゃいけないこともあるはずなのに、なぜか頭が唐突に動かなくなった。


「前々からお話しする機会を窺っておりましたの。誤解があるのではないかと思って」

「と仰いますと?」

(いけない、頭に空白を作っては――大体、おかしいじゃない、人払いしたはずなのにここに来られるって)

「私――第10諜報部隊所属ルデリア・ミンスです。執務補佐官どの」

 警戒を取り戻したアンリエッタに、彼女はガラッと声音を変えた。


「…………はい?」

 アンリエッタは、真顔で見つめてくる目の前の女性を凝視する。

(え、えと、第10、は王の私的な……、ルデリア・ミンス、ミンス……ああ、取れない情報はないっていう凄腕の諜報員……って、)

「こ、さん? 大ベテランって……」

 ぱっくり口を開けてしまったアンリエッタに向かって、その人は「そう、勤続年数48年」とニヤッと笑った。

「まあ、あの子は妬いて欲しかったみたいだけれど」

 嘘はいけないわよねえ、大体無理がありすぎだわ、年だって40近く違うのに、と言って、元の声と口調でさらに笑う。

(あ、あの子……って王子よね、やっぱり。よ、40?)

「それにしてもあの子、やっぱりあなた追い出したのねえ」

「やっぱり……?」

 何かを含んだ笑いは、見慣れたもののはずなのに、だから抜かりなく対処できるはずなのに、またうまく頭が働かない。

「ドナウセルがあなたを妻に欲しがっていると聞いて、かなりきてたみたいだから」

「ドナウセル、の妻、私……」

(きてた? って頭? ……誰が?)


「アンリエッタ」

「っ!」

 慣れ親しんだ呼び声が耳に届いた瞬間、一切の思考が消えた。反射的に剣を抜き放って、アンリエッタはその戸を蹴り開き、室内に飛び込む。

 同時に、たくさんの人影が四方から同じ空間へとなだれ込んできた。


「っ、カイっ」

(よかった、無事……だ、けど、)

 部屋の中央に王子の姿を捕らえて、ほっとしたのも束の間――その彼の足元、赤い絨毯の上に転がる物体に目が釘付けになった。

「……」

(これ、ドナウセル、よね……?)

 乱れた襟元の上、精力的で自信に満ちていた彼の顔は、青を通り越して真っ白に変わり、頬は歪に引き攣って、半開きの口からは食いしばった歯がのぞいている。もっとも目を引くのはひん剥かれた白目、いや、むしろ足の付け根の間の染み……。


「……」

「……」

 うふふ、そこでドナウセルを見ながら呆ける第9のあなた、またお会いしましたね。

 ええ、私も同じ心境よ。そうなの、月給5,000ソルドだけじゃないの。悪魔な奴を怒らせてはいけない理由は、他にも色々あるのよ。頑張れ、私!って励ましながら、日々生きのびる、それしか道はないの。


 ああ、悲劇、11年の年月とはかくも恐るべきものかな――今日はちょっと叙情的に言ってみたわ、お母さん。ええ、現実逃避よ。それぐらいしてないと泣きそうなのよ。

「いい気味だ、始末しておけ」

 だって目の前には、清々しい顔でにっこり笑い、涙目の第9の彼に話しかける王子――昔はそりゃあ可愛かったのに、ああ、もう本当、一体いつからこんな子になってしまったのかしら……。


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