恋の見出し方

ユキノト

プロローグ

【雛の孵り方】

「怖いの?」

 暗がりの中、目の前から響いてきた高い声は、たどたどしくて、でも一生懸命で、

「大丈夫、だよ」

 覗き込んできた、これまで見たどんな色より美しい紫の瞳は、心配と気遣いで溢れていた。

 

「僕が一緒にいるから泣かないで」

 髪を梳いて頭を撫でてくれた手は、ぎこちなくて、でも優しくて、

「ほら、平気でしょう?」

 繋いでくれた手は、ひどく温かかった。

 

 眠かったのだろうに、それでも頑張って泣く私に付き合ってくれていた彼が、ついに睡魔に負けて同じベッドの上に倒れこむ。

「……ん、だいじょ、ぶ」

 小さな寝言と、横に響く息の音と散らばった同じ色の銀の髪、それにようやくほっとすることができて、

「……ふふ」

 大きく変わった環境に不安になって、さっきまで泣いていたことも忘れて、“大丈夫、きっと明日は素敵な日になる”、そんな予感を覚えて、一緒に眠りについた。

 

「うん、本当に楽しかった。だから、明日も明後日もその先もきっとずっとそうなのね」

 翌日それが本当になって、そう無邪気に笑って、また眠りに落ちる。

 

「カイ、大好き」

「うん、僕もアンリエッタ好き」

 怖いことが一杯の王宮暮らしの中でも、そうやって一緒に笑い合って、ずっと幸せ。

「一緒にいるの、楽しいね」

「うん、そうだね」

 この先もずっとそうだと、意識することもないまま信じていた。

 

 

 そう、そんな会話を何年も毎日交わせば、人間の頭は“経験則”なるものを勝手に思い描く。

 即ち――“昨日も今日も幸せ、じゃあ明日も幸せ”と。


 

 ああ、悲劇。捕らぬたぬきの皮算用とはまさにこのこと。

 ありもしない物をあてにして将来を描くなんて、経済観念のある者は絶対にしてはいけない。

 

 私、その『経済観念のある者』こと、アンリエッタ・スタフォード17歳。

 ド貧乏名ばかり伯爵令嬢として生まれ、7歳のみぎりに我が国ミドガルドの第1王子カイエンフォールの側役に選ばれて、はや10年。英才教育を経て、3年半前にその王子が太子と定められた後は、彼の執務補佐官となって今に至る。

 月給5,000ソルド(税込み、諸手当含む)。

 扶養家族は2人。箸にも棒にもかからない生活能力ゼロの哲学者の父と、可愛い可愛い可愛い、私の癒し、7つ年下の弟のルーディ。


 そんな私の野望は――

 

「おい、アンリ」

「アンリエッタ!です。カ……殿下」

「どうでもいい。それより北部の治水事業の案件、さっさと終わらせろ」

「こっちはどうでもよくない。けど、その件ならとっくに済んでるわよっ……ではなく、済んでおります」

「なるほど優秀なことだ。それほど有能なのだから、この案件もいけるな」

 王子の輝かしい笑みに、「げ、引っ掛けられた」と気付いた時には、後の祭り。

 仕方なく「もちろんですわ」と口にする私は、げに悲しき雇われ人――返事の前にちっと舌打ちしちゃったのはご愛嬌、心の声という奴よ。


「ふふふ、舌打ちが聞こえたような気がするが?」

「ふふふ、その歳で耳が遠くおなりだなんて、きっと何かの天罰。日頃の行いに何か後ろ暗い心当たりがおありではありませんこと、殿下?」

「ないな。執務補佐官には高給を持って厚遇していることだし、感謝されこそすれ、天罰などありえないし」

 ――高給? 高給とか言ったか、その口で……?

「ふ、ふふふふふ、高給かどうかは、費用対効果で論じていただきたいものですわ」

 あんたの相手で、5,000は割に合わない!と叫びたいのを精一杯オブラートに包み、コメカミに青筋を立ててつつ、王子ににっこりすれば……、

「ふふふ、高給をもらった上に、この俺の側で働けるんだ、さぞかし幸せなことだろう」

 向こうは向こうで、にっこり返し――胡散臭さ全開のさわやか笑顔がむかつくことこの上なし。

 

 そう、私の野望は奴から解放されて、郊外の農園を買い、トマトと小麦の品種改良をしながら、静かに暮らすこと。

 自給自足万歳! インフレが起こっても、地価が暴落しても、人が物を食べる限り農業は生き残る!

 

「ほお、不服そうだな。ならば、減給100ソルド。マーガレット、会計官に伝えておけ」

「っ、ちょおっと待てっ、横暴にもほどがあるでしょ!」

 

 おのれ、いつもいつも、この性悪王子め……いい度胸じゃない。

 この私が5,000ソルドごときでいつまでも縛られてるなんて、思うんじゃないわよっ!


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