前夜の訪問者

 案内されたのは豪華な寝具がある部屋で、それぞれ個室で使用できるように隔てられていた。


「自由に過ごしてくれ。食事がしたくなったら、この子にフォーンで伝えてくれるか?」


 バルードはそう言って、俺とそんなに変わらなさそうな年齢の男の子を紹介する。彼の大きな手で撫でられているその子は少し恥ずかしそうで、うつむき加減でこちらを見上げる。

 その腕には黒い腕輪が着けられており、それがフォーンだということを主張するように鈍く輝いていた。


給仕きゅうじ係のセルビンです、よろしくお願いします」


 少し明るめの茶色い髪の毛はくるくると癖毛の様相を見せていて、綿毛のような質感は彼が頭を振る度に全体がふわりと揺らいでいる。ぱっちり開いた目の色も茶色で、鼻と目の間にはポツポツとそばかすが点在し、それを隠したいがために俯いているのかもしれない。


 タンジョウには無いようなお洒落なチェックの服を着こなしている彼は、自己紹介を終えたあとも後ろ手に組んだままもじもじと揺れていた。


「この子はお前の子か? バルード」

「はは、よく分かったな。妻と一緒に王都に行かせようとしたんだが、酷く拒んでな」


 結婚していたんだな、バルードさん。いや、普通に考えたら当たり前か。自分の関わる人で既婚者とあまり会わなかったから、つい意外に思えてしまった。


「だって、お父さんともう会えなくなるって言うから、絶対嫌だったもん!」

「そんなことは無いって何度も言ったんだけどねえ」


 困ったように眼帯を掻きながらはにかむバルード。その表情に冒険者を湧かせるほどの演説をした面影は無く、ただの父親の顔になっていた。


「ふっ、いい顔だ」

「茶化すな、ウィーポ」


 そういえば、二人は互いに面識が一応あるんだったな。その辺もまた伺いたいところだけど、話してくれるだろうか。

 

 セルビンの紹介が終わり、早速部屋のベッドに腰掛ける。今日まで冒険者も活用する宿屋のような場所で寝ていたから、寝具の柔らかさに驚いた。

 ロディジーさんやガルマは元々この部屋に案内されていたみたいだが、立場的にはやはりそういう人たち専用の部屋なんだろう。


 それ以外には一人用と言える大きさの机と小さな椅子。驚くことに窓があるのかと思ったが、よく見れば綺麗な外の風景を描いた額入りの絵画だった。

 目の前には色とりどりの花が咲き誇り、山を緑が埋めつくし、眼下に広がる草原の中にはのどかな村が描かれている。実際にあった風景を描いたものなんだろうか。


 久々に一人の時間がやってきて、何をすることも無くぼうっとする。どこを見るというわけでもなく、視界はぼやけた状態だ。

 今日は色んなことが起こりすぎた。光の壁、魔物襲来の予兆、ペリシュドの歴史、父の過去。

 ベッドに倒れ込み、目を閉じる。頭の中を回るうるさい思考が消えていく。


『リオンくん』


 誰かに呼ばれて目を覚ました。それはあまりに懐かしい声だったから、思わず反応したのかもしれない。


『クリスト、さん……?』


 起き上がって目を擦ると、真っ暗闇の部屋の隅に立つクリストさんの姿があった。

 明かりもないのに白枠に囲まれたように存在感が強調され、内側から淡く光り輝いているような見た目で彼は微笑む。

 もう二年になるというのに、その顔は昨日会ったばかりのように懐かしさを感じない。


『驚かせてすまない、君の父親から頼まれたんだ』


 不思議な事を言うなと思った。彼と父は面識が無いはずなのに。

 いや、そういえば彼はファアムと共にハヴェアゴッドに居たんじゃなかっただろうか。

 二人が姉弟していだったことをぼんやり思い出した俺は、やけに閉じようとするまぶたと格闘しながらクリストさんの姿を見やる。輪郭が掴めない彼の姿は、瞬きをしたら次の瞬間消えてしまってそうなほど儚いものに感じた。


『これを……』


 近づいてきたと感じさせない緩慢さで、いつの間にか真正面に立っていた彼は手を開いて中にある物を見せる。

 それは小さな光を放つ丸い玉だった。


『……リオンくんに神の御加護がありますように』


 玉を手渡した彼は一歩下がって、いつも見せていたお祈りの仕草をしたあと微笑んだ。

 俺は手に持たされた玉を持ったまま、やけにぼんやりした感覚で彼を見つめる。


『ゴカゴと……リアムを頼む』


 途端に彼の輪郭りんかくを象るように淡く灯っていた光が強く輝きだし、あまりの眩しさに目を閉じてしまう。

 そして、次に目を開けた時には、心配そうな顔をしたケルビンがこちらを見下ろしていた。


「だ、大丈夫ですか? うなされてましたけど」

「あ、いや、大丈夫……」


 起き上がろうとして、右手の中に何かが握られているのに気づく。

 それは、クリストさんから渡された小さな光を放つ玉だった。

 夢では、無かったのか。


「リオンさん、とりあえずご飯にしましょうか? 他の方は全員食べられましたし」


 いつの間にかそんな時間だったのか。寝入っていた俺は彼の提案に頷き、まだぼんやりする頭で光の玉を見つめ続ける。

 よく見ればそれは一方向に光の筋が伸びており、まるでその先に何かあるかのような促しを示していた。

 試しに腕をその方向に対して垂直に動かしてみると、針のような光の筋が動いて同一方向を指す。


 これを父に頼まれた……? これが指し示す方角に何があるのか。土地勘の無い俺には分からなかったが、いつか使う場面が来るだろうとカバンの中に入れた。

 いつも着けているから、外すタイミングが分からなくなったカバン。クリストさんの形見に、彼からの贈り物を入れる行為は何となく感慨深いものがあった。


 程なくして食事を運んでくれたケルビンを迎え、机に置かれたそれを食していく。

 食べ終わるまで待っているつもりなんだろうか、彼は部屋入り口の扉のそばでこちらを見つめながら立っていた。


「あの、座っててもいいよ。ベッドのどこにでも腰掛けて、さ」

「あ、はい……」


 椅子に座っていた俺は彼をベッドに座るよう促し、再び食事を口に運ぶ。

 それでも彼からの熱烈な視線を感じるので、食事を中断して再び振り向いた。


「何か聞きたいことでも?」

「あ、えっと、綺麗な髪色だなって思いまして」


 どうやら視線の理由はそれだったようで、綺麗だと褒められた俺は喜びを全面に押し出さないように口を手で隠しながら咳払いした。


「ありがとう、母譲りの髪色なんだ。自慢の髪だよ」

「……僕も、お母さん譲りって聞かされてます」


 変に含んだ言い方をするけど、もしかしたらあんまり踏み込まない方がいいかもしれない。

 俺は話題を変えるために、バルードの事について尋ねることにした。


「お父さんはどんな人?」

「えっと、格好良くてみんなの人気者で、たまに怖いけど優しい人です」


 もじもじと指を組んだ両手の中で動かしながら、恥ずかしそうに彼は語る。

 父を尊敬する俺にとって、彼の意見は微笑ましかった。この世界で関わっている子供は意外と少ないぶん、少しだけ彼に興味が湧いてくる。


「そういえば、何歳なの?」

「えっと、十一です」


 質問されるのが予想外だったのか、セルビンははにかみながら返事をする。その仕草が何とも愛らしく、小動物のような可愛さがあった。


「そんなに俺と変わらないね、敬語はいらないよ」

「あ、でも、リオンさんはその、お客様だから」


 ……なるほど、多分バルードに怒られると思って公私混同こうしこんどうしないようにしているんだろう。

 うやうやしい彼の態度に、俺の方が少し恥ずかしくなった。


「それは、ごめん」


 いつまでも彼を待たせるわけにもいかない。そう思い、食事に専念して腹を満たしていく。

 タンジョウでっていた食事というのは、素材そのものに味付けをしたりと簡素なものが多かったが、ハヴェアゴッドではそれを加工してスープにしたり合わせて炒めていたりとバラエティに富んでいる。

 此処は元々、食文化が豊かだったのかもしれない。そう思わされる夕食を平らげて、セルビンが取り出した布を貰う。


「ありがとう」


 口を拭いたのを確認した彼は手を差し出し、一瞬躊躇をしたが俺はその手に汚れがつかないように丸めた布を置いた。

 にこりと微笑んだ彼は大きな目をしばたたかせ、立ち上がってお盆を手に取る。

 偉大な父を持つ者同士もう少し話をしたかったが、早く休ませた方が良いだろうと判断してその背中を見送る。


 扉が閉まり、再び静寂が包み込む。耳を澄ませば、かすかに外の音が聞こえる気がする。

 食事を摂ったおかげか、体力の快復を感じた。これなら、明日も万全で挑めるだろう。

 握り拳を作って微笑んでいると、急にフォーンに反応があった。

 それはゴカゴで、俺は応じるように魔力を飛ばす。


「(寝てたでしょ、呼びかけても反応無かったから)」


 開口一番にちくりと言われ、目の前に居ないにもかかわらず思わず頭を下げた。


「(ごめん、疲れてたみたい。何か話したかったこと、あったの?)」

「(ううん、特に無いよ)」


 なんだ、無いのか。彼女にしては珍しく合理的ではない行動に、疑問を持ちながらも沈黙する。


「(……リオンは、怖くないの? 明日、魔物が沢山襲ってくるんだよ?)」


 ……なるほど。

 不安を抱いているであろう彼女の懸念けねんが読み取れた俺は、正直に答えた。


「(確かに怖いよ。でもこうなる事は予想できてたし、魔族と戦った自負もある。いまさら尻込みしてても始まらないから、むしろ早く明日が来ないかなとも思ってる)」

「(そう、相変わらずね)」


 何が相変わらずなんだろう。彼女の言いたいことがよく分からなかったが、ふとカバンの中に仕舞った光の玉のことを思い出す。


「(そういえば聞いて欲しいことがあるんだけど、夢にクリストさんが出てきたんだ)」

「(……そう)」

「(それで、俺のお父さんに頼まれて渡されたものがあって、夢なのにそれは起きたら右手に握り込まれていたんだ)」


 ゴカゴの反応を聞いて一瞬やってしまったかとも思ったが、重要な事柄であり話しておくべき事実だと感じていた為そのまま話を続ける。


「(これ、見た目は小さな光が中にある透明な玉で、中で一方向に光が伸びてるんだけど、動かしたら同じ方向のまま光の筋も動くんだ。もしかしたら、その先に何かあるんじゃないかと思って)」

「(……夢じゃ、無かったんじゃない? ほら、確かウィーポさんが言ってた光と闇の魔法が合わさったら時間を超越するって話)」


 そういえばそんな話をウィーポはしていたが、そうなると今回闇の魔法も無いのに何故起こったのかが説明つかない。

 思い当たるのはセルビンくらいだが、彼が闇の魔法を扱えるとは思えない。初対面だし、クリストさんの事も知らないはずだ。


「(うーん、確かに夢にしては有り得ない事だけど、その話も有り得ないと思うんだ。だって、闇の魔法を俺は扱えないし)」

「(そう、ね)」


 もしかしたら、光の玉を現実で握らせた人物が居て、クリストさんの姿はそういう夢を見せる魔法か何かだったんだろうか。

 途端に気味悪くなって光の玉を手放そうか考えたが、やっぱりやめた。そもそも悪意ある人物がわざわざ個室の部屋に人知れず忍び込んで俺を陥れようとするなんて、あまりにも回りくどいからだ。


「(どうするの、その光の玉)」

「(……とりあえず取っておくよ。得体が知れないけどね)」


 彼女に相談したおかげで、一辺倒に信じるのは危険だと思わされた。俺はもう少し疑う力を持たないとな。

 そのあとは軽く話して通信を切り、ベッドに移動して横になる。

 地下だと、外の様子が一切分からないのがやだな。教会に居る頃は、雨の匂いや神の目による星の光が差し込んだり、小さな生き物たちの声が聞こえたりしたんだけど。


 此処ではそういった生き物の声すら聞こえない。彼らは遠く住みやすい所まで逃げたと信じたい。

 時間の概念は存在するが、バルードたちはどうやってそれを判断しているんだろうか。それも魔法の類で可能だったりするんだろうか。


 何となく起き上がって腰に着けたカバンを外して机の上に置いたあと、横になって目をつむる。別に着けていてもそこまで気にはならないが、光の玉がどうしても引っ掛かってしまった。

 明日、外に出た際に光の動きを見てみよう。その方向に何かあるなら確かめたい。


 二回目の眠りは意外にも早く訪れて、扉のノック音で起こされた。


「俺だ、開けるぞ」


 低い声が扉越しに聞こえて、開く音と同時にゆっくりと上体を起こした。少しぼやけた視界をこすって明瞭めいりょうにし、入り口に立つ仏頂面の長髪男を見据える。


「ウィーポさん?」

「支度をしろ、出発する」


 それだけ言い残して背中を見せた彼は、ゆっくりと扉を閉める。

 端的だが、言い方からして予定が早くなったのかもしれない。机の上に置いていたカバンをしばらく見つめたあと、服を着替えてカバンを装着し、部屋をあとにした。

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