4.美しい来訪者


 慌ててウロウロしているだけじゃ解決しない。

 ちら、と時計を見る。実際ゴミ拾いの集合時間まで約一時間だったのがあと五十分、あと四十五分と皮肉なくらい順調に過ぎていっているのだよ。


「もぉぉぉ! どうすんのよこの髪〜! これで行ったら町内会のみんなが腰抜かしちゃうでしょぉぉ!!」


 ハイパーカラフルな髪をぐしゃぐしゃと掻き回しながら叫んだ。

 普段落ち着いてると言われている私だって、さすがにヒステリックにもなる。一人きりの空間なら誰に気を遣う必要もないから尚更だ。


「とりあえずピアスは外そう。うん、それなら出来る。というかなんでつけっぱなしで寝る訳? メイクもこれどうやって落とすのよ? 私じゃよくわかんないって」


 美容などほぼ興味ないけれど、ピアスは服とかに引っかかったら怪我しそうで怖いし、メイクも長時間塗りっぱなしなのは肌トラブルが起きそうで嫌だ。


 あとはやはり別人レベルまで顔が変わって見えることが問題だ。


 じいっと鏡に顔を寄せてみる。うん、さすがに整形している訳ではなさそうだな。元の顔は同じだ。

 そして正直、すっごく見覚えのある顔なんだけど……物事には優先順位というものがあるからな。今はそれを気にしている場合ではない。

 私はぎこちない手つきでピアスを一つずつ外していった。


 手強そうなばっちりメイクだったけど、洗顔フォームとぬるま湯で三回洗ったらだいぶナチュラルに近付いた。眼鏡をかければ更に誤魔化せるかも。唇がほんのり赤いのはもうしょうがないな。

 帰りに一応、クレンジングオイルというものを買って帰ろう。ドラッグストアならあるよね、多分……。


 歯磨き完了。荷物は事前に準備しておいて良かった。


 あとは髪なのだが、これはもう隠す! 私の頭じゃそれしか思いつかない。


 私は着替えを済ませた後、髪をなんとかお団子形にまとめ、その上から大きめのバンダナでしっかりと包み込んだ。

 でもこれじゃあ隙間から青い髪が見えてしまいそうだ。何かもう一つくらいカバーできるもの……


 考えながらリビングを見回していたとき、クローゼットの手前に黒い何かが落ちているのが見えた。

 拾い上げて数秒後、思わずガッツポーズをしてしまった。


「よっしゃあ帽子だ! ナイス! これで隙間を隠せるかも」


 全く見覚えのないアイテムだったがこの際どうでも良かった。ゴミ拾いさえ乗り切れればいいんだ。後のことはゆっくり考えるから。


 私は早速帽子を被って鏡を見てみる。


「う〜ん、なんか変わった形の帽子だな。ツバの面積がやけに狭いし下向きだし……でも頭のサイズは合っているからまぁいいか」


 割り切ってしまえば早いものだ。荷物を持って再度時計を確認。あと十五分。大丈夫だ、間に合う。


 外に出てからくるりと振り向き、玄関ドアに向かって指をさす。


「戸締まりよし!」


 単なる私の癖である。

 でもこんな状況だからこそ、出来るだけ普段通りのことをして安心したい気持ちがあった。



 本日は現地集合。帽子が飛ばされないように徒歩で行くことにしたけれど、早歩きすれば楽勝と言える距離だ。

 道のりの途中、鼻歌なんかが混じったのは呑気な性格ゆえか、はたまた現実逃避か。


 穏やかな波の音が聞こえてくるとなんだか無性に泣きたくなった。


 そうだよね、突然のことで情緒不安定になってるんだきっと。

「インターネット、全国放送のテレビ、ラジオ禁止。スマホ、携帯持たないでね。この町からも出ないでね。自分の過去なんて調べちゃダ〜メ! じゃあよろしく!」みたいなこと言われて四年間ずっと生きてきたんだもん。パニックにならない訳がないよ。まぁ長谷川家でタブレットを見ちゃったのは完全に油断してたんだけどさ。


 てな訳で本音はすんごい心細いんだけど、せめて事情を知らない人たちには心配かけないようにしなきゃ。そう決意して気合いを入れる。


 先に着いていた町内会の皆さんの姿が見えたところで大きく手を振って挨拶した。


「おはようございま〜す!」


 みんなが顔を見合わせている。首を傾げている人も。

 そうだ、自分の格好を忘れていた。多分遠くからじゃ私だってわからないんだ。すぐに言い直した。



「樫村です! おはようございま〜す!」



「えっ、琉夏ちゃん!?」


「あんら〜、また斬新な格好してるねぇ。どうしたんだい今日は」


「バケットハットなんか被っちゃってやけにお洒落じゃないか」



 思わず帽子に触れた。そうか、これは“ばけっとハット”というのか。ご年配の人の方がファッションアイテムに詳しいとは参ったな。

 それにお洒落をしてきたつもりなんて全くないんだけどねぇ。


 苦笑する私にはお構いなしに、おばあちゃんたちがぐいぐいと顔を寄せてくる。


「そのバンダナを下に巻くのはトレンドなのかい?」


「いや〜……汗かくかなぁと思って」


「おや。琉夏ちゃん髪色変えたかい? 生え際が……」


「あっ! 私! ゴミ袋持ってきますね!? 少々お待ち下さいね。す〜ぐ戻りますから! あははは」


 私は咄嗟におばあちゃんたちから距離を取ると、何処に置いてあるのかもわからないゴミ袋を探しに行った。しばらく適当に歩き回ってから会長さんのところに行けばなんとかなるだろう。要は時間稼ぎだった。



「あぁ……本当に参ったな。なんとか乗り切れると思ったんだけど無理があったかなぁ」


 無駄に空を仰ぎながら人気ひとけの少ない波打ち際を歩く。


 サーフボードを持った男の人が颯爽と目の前を横切った。五十代前後ってところか。姿勢が良くて若々しいな。

 私にも父親がいたらこれくらいの歳だったんだろうか、なんて思いながら、海へ向かって駆けていく後ろ姿を見送る。


 なんかやだなと思った。自分のことを。


 姿が変わっただけでなくやけに感傷的で。サッパリしてるのだけが取り柄みたいな人間だったのに。

 全く知らない性質に侵食されていくみたいだよ。


 一体どうなっちゃうんだろう、私。


 かくん、と力が抜けたようにうつむいた、ちょうどそのときだった。



――あの、すみません。



 細く、遠慮がちな声。


 振り向いた私の目の前で、艶やかな黒い束が逆さまにしたおうぎのように宙で広がっていた。


 凪が訪れると扇も音一つ立てずに畳まれる。


 次第に理解していった。それは長い長い黒髪だ。綺麗に整えられているさまはさながら平安時代の女性貴族。切長な目の形も控えめな大きさの唇もまさにそれだ。


 凄い。思わずため息が零れる。

 細い指によく似合う黒のネイル。すらりと細長い体型。カラスの擬人化のようにも思えてくる。


 なんだっけこういうジャンル……そう、確かヴィジュアル系。人でありながらそう感じさせないとてつもない雰囲気を見事に体現している。

 お洒落に疎い私でも美しいと素直に思う。目の保養とはまさにこのことだ。


「あの……」


「あっ!? はい! なんでしょう」


「“はせがわ”というお惣菜屋さんを探しているんですが、この近くで合ってますか?」


「はせがわさんですね。合ってますよ。ここから五分くらいで着くと思います」


 言葉を交わしてやっと気が付いた。この人、男性か。


 ともかく説明なら余裕である。何せ従業員だからな。

 私は惣菜屋へ続く道の方を指差して言う。


「あちらを道なりに進んでいくと、まずクリーニング店がありまして」


「はい」


「その先はしばらく何もないんですけど、右手側にちゃんと看板が見えてくるはずですので……」


「……はい」



「…………」


「…………」



 落ち着かなくて黙り込んでしまう。私たちの間には波の音が挟まるばかり。


 よく考えてみれば奇妙だ。何がってこんなお洒落なお兄ちゃんがセンスの欠片かけらもない私と並んでいる構図がだよ。ましてや今日は汚れてもいいようにヨレたTシャツに色褪せたハーフパンツ姿なんだからね。


 しかもこの人、さっきからずっと私の方を向いている。妙に潤んだ目なんかして。

 頼むから指差してる方を見てくれないかね!? 一応、道案内なんだからさ。


 心臓バクバク、汗だらだら、そんな状態でも私はなんとか話を締め括ろうとした。


「まぁその簡単な道なんで! もしわからなかったら途中のクリーニング屋さんに聞いてみて下さい」


「あっ、待って」


「すみません。私、用事がありますんで」


 切ない表情をされたってこれ以上は無理。すまん。私はサッと踵を返した。

 片足が砂の中へ深く沈むような感覚がしたのはそのすぐ後だった。



「危ない、琉夏!」



 彼が声を上げる頃にはすでに遅く、脱力した私の身体は砂浜に受け止められた。意外と硬いのだな。普通に痛い。歩いてるときは柔らかいのに。


 ……ん、待って。

 今、この人、琉夏って……?


 朦朧もうろうとする意識の中でも、誰かに抱き起こされたのはわかった。

 咄嗟にその人の手を握り返す。すみません。そう言ったつもりだった。


 そういえば私、最後に水飲んだのいつだかわかんないや。ご飯も食べてこなかった。今になってどっと疲れを感じる。

 丸一日記憶失くしてるんだもんな。元より自分のことなんてほとんど知らないんだけど。


 ぼんやり思い返してるうちに、周囲に人が集まってきたようだ。だけどもう瞼が重くて開けられない。


 みんなの声もかろうじて届いている程度。



「なかなか戻ってこないと思ったら、一体どうしたんだい!?」


「ちょっとあんた見かけない顔だね。この子に触んないでおくれよ」


「そうだよ、真っ黒な格好して怪しいねぇ。この子の知り合いかい。だったら当然名前も知ってるんだろうね」


 おばあちゃんたち、もしや私を助けてくれた人を疑っているのか。それはいけない。

 反射的にもう一度、繋がった手に力を込める。温かく大きいその手は同じようにして応えてくれた。



「この人は……樫村琉夏。僕の大切な人です」



 なんだって?



 さすがに聞き返そうとしたが意識は呆気なく途切れてしまった。

 寸前で理解できたのは、あのお洒落お兄ちゃんの声だったということだけだ。

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