フィラメントディズ・アフターグロウ

千歳 一

第1話 違和感無き世界

 昨日、いや今日の午前一時以降の記憶が無い。

 一ヶ月ぶりの定時退社に心躍らせていた矢先、先輩の融島とけしまに捕まったのが運の尽きだった。三回目の会計を済ませたあたりで胃と肝臓が反転する幻覚を見たが、融島はそんな識嶺しきみねを自慢の筋肉で引き摺り、四回目の燃料補給へ向かうのだった——。

「『吐くか吐かないか』じゃない、『何回吐くか』だ!」

 体育会系達磨の意味不明な格言が何故か頭から離れない。朝から限界を迎えていた識嶺陽介は、自らベッドから落ちることで強引に目を覚ました。

「ヴッッッ!」

 二日酔いだろうが落下ダメージを受けてようが、社会人としての責務は当然のように訪れる。社会人たるもの、日付を跨ぐ飲み会ごときで泣き言を言ってはいられないのだ。おそらく本件の元凶の融島は二時間も前に起床して、英会話のレッスンと高負荷の筋トレを終わらせた頃だろう。

 識嶺は辛うじて手が届くちゃぶ台からテレビのリモコンを取り、虚空に向けてボタンを押す。何度目かのトライで、ようやく陽気な女子アナの声が聞こえてきた。嗚呼良かった。お疲れさまでした。では、これで。

 と言う優しい世界ではない事など知っている。識嶺は死力を尽くして這い上がると、体感数千里先の洗面所へ向かった。


 そんな泥水のような新卒二年目とは対照的に、朝の情報番組は軽快なメロディをバックに天気予報を始めていた。

 大きく映った日本地図と、代表的な都市が全国的に晴れであることを晴れやかに紹介するキャスター。

 何も表示されず、地図上でただ黒く塗りつぶされた東京二十三区。


 今日は四月一日の金曜日。いつもと大して何も変わらない朝だった。

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フィラメントディズ・アフターグロウ 千歳 一 @Chitose_Hajime

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