鉄雄、想定外の事態に困惑する
黒川運輸の倉庫は、昼の休憩時間に入っていた。作業員たちは昼飯を食べたりスマホをいじったりと、各自が好きなように過ごしている。
そんな中、藤田鉄雄は
「どういうことだ? 今朝は、やけに警備が厳重だったぞ。何かあったのか?」
そうなのだ。
鉄雄は倉庫内で作業をしながら、ターゲット周辺の動きを見張っていた。獲物は銀星会の仕切る違法カジノの売上金だ。一晩で億を超えることも珍しくないらしい。当然、表には出せない金のため銀行に入金するわけにはいかない。銀星会の人間が、カバンに詰めて車で運ぶ。
鉄雄と正一の計画は、その売上金を奪うというものだった。もともと鉄雄は、銀星会を快く思ってはいない。裏の仕事人である彼にとって、何かと組織の看板を出して無理難題を押しつけてくる銀星会の連中は、非常にうっとおしい存在だった。
そんな時に舞い込んで来たのが、今回の話である。鉄雄は迷ったが、引き受けることにしたのだ。もう三十歳である。いい加減、人をさらったり拳銃をぶっ放したりの裏稼業を続けているのも嫌になってきた。金もだいぶ貯まってきたし、そろそろまとまった金を手に引退するのもいいだろう。
最後の大仕事の相手として、銀星会なら望むところだ。銀星会には今まで、さんざんこき使われてきた。組織の看板を持ち出しての無理難題……これまでの借りを返してもらうとしよう。
鉄雄と正一は、二ヶ月以上かけて準備してきた。計画は、朝の八時にカジノから売上金の入ったケースを持った銀星会の人間がふたり出て来る。
その地下駐車場で襲撃し、金を奪う。直後、階段で地上に出た後、隣のビルに侵入し着替える。外に出て自転車で移動し、次はバイクに乗る。最後に運転手付きの車と、次々に逃走手段を変えて遠くに離れる。
最後は空港だ。ひとまずは今いる真幌市を……いや、日本を離れるのだ。正一はタイにコネがある。現地に知り合いも多い。ほとぼりが冷めるまではタイに潜伏する。もし居心地が良ければ、そのまま住み着いても構わない。
本来ならば、昨日が決行の日だった。しかし、運転手を務めるはずだった男が、事故で死んだ。
それだけではない。憂慮すべき事態が起きた。
「今朝は、五人で売上金を運んでたぞ。いかにもな連中だ。しかも、その全員が妙にピリピリしてた。何かあったとしか思えない。お前、何か聞いてないか?」
(ひょっとしたら、アレかもしれないですね。あの事件知ってます? 両手両足をへし折られ目を潰され、薬打たれた男が発見されたって話です。寺門っていう名前の男ですよ)
そのニュースなら、鉄雄も知っている。両肘と両膝を完全に壊されており、もう歩くことは出来ないらしい。
「知ってるが、それがどうした?」
(あの寺門っての、銀星会の関係者だったらしいんですよ)
「何だと……」
(関係者って言っても、ただのチンピラなんですけどね。ただ、幹部の桑原には可愛がられてたらしいです。それよりも、両手両足へし折った挙げ句に両目潰して薬打つなんて、やり口が滅茶苦茶じゃないですか。どう考えても、裏の連中の見せしめとしか思えないんですよ。そのせいでピリピリしてんのかもしれないです。こりゃあヤバいですね。降りた方がいいかもしれませんよ)
話を終えた後、鉄雄は考えてみた。一体、ここで何が起きているのだろう。組織同士のいざこざにしては妙だ。どこの組織が、銀星会に喧嘩を売るというのだろうか?
もしや、関西方面の連中か? いや、それはありえない。奴らなら、もっとスマートにやる。そんな派手で猟奇的なやり方をするのは……外国の連中だろうか。
昼の休憩時間が終わり、鉄雄は作業に戻る。トラックから荷物を降ろしたり、あちこちの場所に仕分けしたり、ひたすら動き回ってた。
だが頭の中では、作業とは別のことを考えている。
まず、計画実行の前日に事故が起きた。計画が延期になったと同時に、銀星会の人間が不気味な事件に巻き込まれた。挙げ句、警戒が厳重になる。
しかも、あのしつこい高山刑事がこの辺りで動いているらしい。
これは、非常に悪い流れだな。
今回の計画は、中止にするべきかもしれない。
仕事が終わると、鉄雄はいつものようにボクシングジムに向かった。今回の計画は、中止の可能性が出てきた。それでもトレーニングを欠かすつもりはない。頼れるものは自分だけだ。
鉄雄は、普段通りジムに入って行く。だが、想定外の事態が待っていた。
見学者とおぼしき少年が、自分の顔を見たとたんにギョッとした表情になる。直後、座っていた椅子から立ち上がった。何やら言いたげな表情でこちらを見る。
鉄雄の方も驚いていた。目の前の少年に見覚えはない。だが、向こうは自分を知っているようだ。どこで会ったのだろう? 鉄雄は必死で思い出そうとする。だが思い出せない……。
困惑しながらも、曖昧な表情でその場を取り繕おうとする鉄雄だったが、それに気づかず少年は喋り出した。
「す、すいません! お、おととい助けてもらった者です! あ、あの時はありがとうございました!」
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