第45話 覚悟 その8

 その夜、俊介はスーツケースと布団をユウリの部屋に移動させた。ユウリは自分のベッッド、俊介は床に敷いた布団だ。ユウリの枕元にあるライトが、ほのかにともっている。

「ねえ、起きてる?」

 ユウリの布団がわずかに動いた。

「もちろんだよ。寝るのがもったいないよ」

 俊介は今の状況を噛み締めるように天井を見つめている。ユウリは寝返りを打ちベットから俊介の方に顔をのぞかせた。

「私ね、これからは日本で積極的に活動していこうと思っているの」

 ロウソクのような弱々しい明かりがユウリの瞳の中でかすかに光っている。

「それは楽しみだな。ユウリならきっと上手くいくと思う」

「日本で俊介に会えるかな」

「きっと会いに行くよ」

 俊介なら色々な方法を考えて会いに来てくれると思ったが、少し心配事もある。

「もし見つかっちゃたらどうしよう……」

「その時は、その時だよ」

 いまの俊介には何が起きても、何とかなると言う楽観らっかんさがあった。

「そうだね……」

 ユウリも少し布団にうずくまり、今はそのことは考えないようにした。

「ユウリ」

「なに?」

 また布団から顔を出したユウリは俊介が次に何を話すのか、待ち遠しそうだ。

「今いる幹部候補生学校の課程は来年の春に終わる。そして勤務地が決まるんだよ。そうしたら日本に来ないか?」

 ユウリは少し体を起こし、

「日本で暮らすってこと?」

「ああ」

 俊介を見つめながら少し考えている。俊介はさらに話を続けた。

「そして、その後に婚約していることも公表しよう。その時は少し騒がれるかもしれないけどね」

 ユウリもいずれはそうなるだろうと思っていたが、具体的な時間軸は無い。

「俊介は凄いな。いつも色々と考えているんだね」

 またベッドに横たわり、俊介の方を向いた。

「ごめん、ちょっとせっかち過ぎたかな」

 俊介はこの話はまだ早すぎたと思い、話を終わらせようとしたが、

「ううん、いいよ。一年後に向けてお引越しの準備をしなきゃ」

 ユウリは嬉しそうに天井を見て色々と想像した。

「夏樹や沙友里と近い街に住めるといいな」

「そうだな」

 俊介もユウリとの生活を思い描いている。

「夏樹と沙友里にも婚約の事を知らせたいけど、良い?」

 ユウリは親友の二人には、伝えておきたかった。

「二人にはユウリから伝えておいてよ」

「うん、わかった。二人とも驚くかな?」

「驚くだろうな。特に夏樹さんはユウリの事になるとすぐにムキになるから、また口うるさい事を言われそうだ」

 ユウリは夏樹を思い出すように笑っている。

「俊介、眠くないの?」

「眠くないよ。ユウリも眠くなったら寝て良いよ」

「俊介が寝たら、私も寝るよ」

「俺もユウリが寝たら、寝ようかな」

 俊介の心地よい声が先にユウリを眠りへと誘った。俊介もユウリの寝顔を見て「可愛いな」と呟き、眠りについた。

 

 次の日、ユウリの実家で昼食をいただいてから帰ることにした。ユウリの父も、

≪また遊びに来なさい≫

 と少し名残惜なごりおしそうだ。ユウリは終始楽しそうに笑っていたが、俊介が荷物を持って玄関の扉の前で振り向くと、我慢していた涙が出てきてしまい声をまらせながら、

「俊介、またね……」

 と言うのが精いっぱいだ。チユウはそんな娘の頭を撫でながら、なぐさめている。

「これから二人の生活がはじまるね」

 俊介がユウリに優しくささやいた。離れていてももう一人じゃない。そう思うと寂しさが和らいでくる。

「日本に着いたら、メール送ってね」

 涙を引っ込めるように眼に力を入れてからぎこちない笑顔を取り戻すと、

「わかった」

 俊介はユウリの精いっぱいな表情を眼に焼き付け、笑顔でジェンの車に乗った。

 助手席で流れる景色をぼーっと見ていたが、ユウリと離れる寂しさと、ウィヨンやチユウの優しさへの喜びが込み上げてきて、景色が徐々ににじんだ。ジェンは気をつかいあまり話しかけてはこなかったが、車から降りるとき、

≪次に会う楽しみが出来たな≫

 と、前向きな言葉をかけてくれた。


 福岡空港に降り立つと同時に、今まで伏せていた現実の生活が襲い掛かるように起き上がってきた。また朝六時に起きる生活が始まる。キツイ訓練、レベルの高い講義の日々だ。俊介は憂鬱ゆうつになってしまった。宿舎しゅくしゃに帰っても楽しい思い出にひたることは出来ない。そう思い、空港のロビーの隅にある人気のないベンチに座り、ユウリの実家で撮った写真を何回も何回も見た。気づくと、

「ユウリに会いたい……ユウリに……」

 と声を震わせながらスーツケースにうつ伏せ、涙をこぼした。

 俊介にとってユウリは大好きな存在だけではなく、安らぎの存在、故郷のような存在になっていた。男は本当に辛いとき、無性むしょうに母親が恋しくなり、甘えていた頃のかすかな記憶をたどる。その感情と同じものをユウリに抱いた。俊介は初めてユウリに母性を感じていた。

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