第42話 覚悟 その5

 夕方、玄関が開く音と共にシェリーの甘えたような鳴き声が聞こえた。耳を澄ましているユウリの表情から笑みが消えている。ユウリの父が帰って来たようだ。おびえた瞳でうったえかけてくるユウリに、俊介は息をのむように頷いた。

 部屋の扉をノックする音に思わず全身が強張こわばったが、≪夕食だよ≫ジェンが呼びに来ただけだ。

 二人は顔を見合わせ、もう一度頷きあって一階に向かった。ユウリは父の姿を探すように見廻みまわしながら、そのままキッチンに入り食事の支度を手伝い始めた。父は洗面所のほうにいるようだ。俊介も何か手伝おうと思いながらキッチンに近寄った時、ユウリの父が入ってきた。俊介は学校の教官を前にした時のように直立し、覚えてきた挨拶の言葉を言った。

≪初めまして。城山俊介です≫

 ユウリも俊介が自分の国の言葉を話したので棚からコップを取り出す手を止めたが、俊介が話せるのはこの言葉だけだ。父ウィヨンは落ち着いた笑みを浮かべ、

≪よろしく≫

 と低い声で挨拶をして椅子に座ると、俊介に手ぶりで座るようにうながしたので、俊介も頭を下げてから椅子に座った。心臓の鼓動が邪魔をして周りの音が聞き取りにくい。チユウもジェンも平静をよそおっているが、この後、何が起きるのか不安に違いない。それはユウリを見ればわかる。ユウリは時おり父に目線を向けながら、食事の支度をしている。『このあと俺はどうなっちゃうのか……』さっきまで『会いに来て本当に良かった』と思っていたが、実際にユウリの父を目の前にすると『やっぱり無茶しすぎたか』と言う思いも出てきた。そして以前電話でユウリが言っていた「覚悟して来てね」という言葉が頭の中で渦巻きだし、無意識にウィヨンと眼を合わさないようにユウリの方を向いてしまう。

 品数しなかずがすぐに数えられないほどの料理がテーブルに並び、重い空気を振り払うようにチユウが明るく声をかけた。

≪さっ、食べましょう。俊介さんも沢山食べてね≫

 俊介は手を合わせるとはしを取り、料理をいただいた。ユウリが料理の説明を色々としてくれているが、全ての神経がウィヨンに集中していて頭に入ってこない。ウィヨンは俊介と目を合わせることなく、何も言わずに黙々と食べている。不気味なほどに落ち着いた様子だ。

『このまま食事が終わってくれれば良いが……』

 静かに箸を動かしながら食べていると、ウィヨンが冷静な表情を崩すことなく話し出した。その瞬間、チユウもジェンも箸の動きが止まった。

≪君は、どんな仕事をしているんだ?≫

 俊介が自衛隊にいることはユウリから聞いて知っていたが、本人に直接質問をした。

 ユウリがその質問の意図をはかりかねるように父に目線を向けたまま俊介に体を寄せて訳してくれている。俊介は幹部候補生学校と言ってもユウリが訳せないだろうと思い、

「自衛隊の中の学校で学んでいます」

 そう答えた。さらに、

≪場所はどこなんだ≫

「福岡の久留米くるめです」

 ウィヨンは俊介を見て手を止め、

≪幹部か……≫

 と呟いた。ユウリは父が何故そう呟いたのかわからない。

≪幹部?≫

 ユウリは小さな声で言うと、俊介に訊いた。

「幹部って、どういうこと?」

 全く予期していなかったこの言葉に身の毛がよだち、ウィヨンを見たまま体が動かない。『場所だけで幹部候補生学校と分かったのか……』不思議に思った。ユウリにもこの事は話したことが無い。しかしウィヨンは知人から自衛隊について色々と聞いて調べていたようだ。ユウリは幹部と呟いた父と、明らかに動揺している俊介の様子に胸騒ぎがしている。

 俊介がユウリの不安を和らげるように説明をし始めた。

「俺は幹部を育てる学校に入ったんだよ」

 しかしユウリは今一つ理解できないようだ。そしてウィヨンが説明をした。

≪彼は幹部候補生の学校に入っているんだ。将来は機密に接すると言うことだ≫

 ジェンはそれが何を意味するのか直感で分かったが、ユウリはよくわかっていない。

≪そうなんだ、凄いね~≫

 と、良いことにとらえようと感心して見せたが、そんな娘を見るウィヨンの眼には悲しみが漂っている。ジェンにも不安から目をらし、楽しい事だけにすがろうとしているユウリの姿がはかなく、可哀そうに映った。『後戻りをするなら、早い方がいいのでは……』そんな思いが頭をよぎり、箸をテーブルに置き父の気持ちを代弁だいべんした。

≪ユウリと付き合っていることが、幹部としての出世に影響するかもしれないと言うことだ≫

 ストレートな兄の言葉が一気に残酷な現実へとユウリを引き戻した。ユウリの表情は曇り、

「どうして……。どうして、私に黙ってたの?」

 俊介に問いただした。

「別に黙っていたわけじゃないよ」

 少し笑顔を作りユウリを安心させようとしたが、いまのユウリには通用するはずもない。

「いつか俊介の出世に私が邪魔になちゃうの?」

 ユウリは悲しそうな表情で俊介の腕を揺すっている。

「そんなことは無い」

 俊介はすぐに否定した。

 二人がめていることはウィヨンとチユウ、ジェンにも分かる。そしてウィヨンは時期尚早じきしょうそうと思ったが、俊介に尋ねた。

≪君は将来をどう考えているんだ? 娘と結婚することまで考えているのか?≫

 それを聞いたユウリは涙でにじんだ眼で父をにらんだ。

≪お父さん何言ってるの。結婚なんて話、まだ早いよ! どうしてそんな事言うの!≫

≪でも大事なことだ。彼がどこまで本気なのか≫

≪そんな事、私の口から聞けるわけないじゃない……≫

 ユウリが激痛をこらえるよな顔でうつむくと、ジェンもそれをユウリに訳させるのはこくな事だと思い、英語で父の言葉を伝えた。

≪俊介、君は将来の事をどう考えているんだ? ユウリと結婚することも考えているのか?≫

 俊介は結婚と言う言葉に驚いたが、両親の心配やユウリの不安も理解できる。今は良いが、自分の任務が機密性の高いものになった時、外国人と結婚することが出世に影響するような事になれば、自分がユウリと別れてしまうのではないか、そう心配しているのだと理解していた。そして自分が選んだ道の為に、ユウリや家族を不安にしていることを重く受け止めていた。

 俊介は徹に言われた通り、自分なりの覚悟を決めてここに来ている。俊介はうつむいているユウリに、

「お父さんの心配はごもっともだ。俺もちゃんと考えてここに来たんだよ」

 そう言うとユウリは顔をあげ、涙が浮かんだ眼で俊介を見つめた。


「俺はユウリと結婚したい。ユウリはどう?」


 突然のプロポーズにユウリの身体からだはガラス細工の少女のように固まっている。瞳から一粒の涙だけがこぼれ落ちた。ただでさえ色んな事が起きて混乱している最中に、プロポーズまで……、何がなんだか分からない。だが狼狽うろたえてばかりもいられない。自分も気持ちをしっかりと伝えないといけないと思い、強い眼差しで、

「私も俊介と結婚したい」

 そう答えると、俊介は笑顔で頷いた。そしてユウリは父に向かい、ハッキリと伝えた。

≪私達は将来結婚するの。だから遊びの付き合いじゃないの≫

 ウィヨンもチユウもその言葉に驚き声を詰まらせている。そしてお互い顔を見合わせた後、ウィヨンが強い口調で、

≪しかし、言葉では何とでもいえる。思いつきで言うような事ではないだろ!≫

 おもわず感情的になった。ユウリも、

≪お父さん、俊介を信じて!≫

 と強くお願いした。もう話し合いになりそうにない。母が優しい声でユウリをさとした。

≪俊介さんは良い人なのかもしれない。だってあなたが好きになった人だから。でもね、今日会ったばかりの人を信じるのは難しいの。ましてやこんなに大事な話だから≫

 少し正気を取り戻したユウリは何も言えなくなり、黙ってしまった。ウィヨンも自らの気持ちを静めるように食卓をじっと見ながら、ゆっくりと息をしている。責任を感じ、申し訳なさがあらわれた表情でユウリや両親を見ている俊介に、ジェンが英語で状況を話してくれた。

≪言葉では何とでも言える、と心配している≫

≪気持ちは良くわかります≫

 俊介も、英語でそう答えた。そして、

≪ユウリにも聞いて欲しいので、日本語で話します≫

 とジェンにことわりを入れると、ジェンは快く頷きながら「どうぞ」と言うような手ぶりを見せ、

≪頑張れ≫

 そう励ましてくれた。俊介はうつむいているユウリの肩に手を置くとささやくように話しかけた。

「今から俺の言うことを、ご両親に訳してほしい」

 ユウリは俊介が何を話すのか少し心配だ。両親に理解してもらえるように俊介が話をしてくれるのではないかと言う期待はあったが、いままで見たことが無いほどに困惑している両親を見ているとこれ以上理屈っぽい説明で無理やり納得させるような事はして欲しくない、と言う気持ちも強い。しかし、とりあえず小さく頷いた。そして俊介は両親の方を向いてユウリが訳しやすいように、文書を区切りながら話し出すと、ユウリも真剣な表情で父と母の方を見た。

「ユウリさんと結婚することが将来の出世に影響するのか、しないのかは私も分かりません」

「でも私は仕事の出世の為に結婚する相手を決めたくありません」

「また結婚する相手に合わせて仕事を諦めることもありません」

「もし何か影響が出たとしても、そのことで自衛隊を辞めるつもりはありません。そしてユウリさんと別れることもありません」

 ユウリは眼に涙をためながら、一生懸命に、そして正確に訳している。チユウはそんな意地らしい娘を見て応援せずにはいられなかったが、夫の気持ちも無視はできない。

 ウィヨンはしばらく考えると俊介の眼を見て、

≪少し考える時間が必要だ≫

 そう言い、黙って食事を続けた。ユウリも俊介に、

「ありがとう。とりあえず食べて」

 と食事をすすめたが笑顔はない。部屋の隅ではシェリーが伏せながら心配そうな瞳でこちらを見ている。

 重い雰囲気のまま食事を済まし、ウィヨンは何も言わず別の部屋に行ってしまった。俊介は後片付けをしているチユウとユウリを手伝いながら、

「お父さんを怒らせてしまったかな」

 そう呟くとユウリは母にその言葉を伝えた。

≪お父さんにもあなたの思いは伝わっているはず。怒ってはいないわ≫

 母は笑顔で俊介を気づかってくれた。チユウは娘と俊介が二人で困難に立ち向かおうとしている姿を見て、何となく嬉しかった。

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