第19話 ダンスコンテスト その10

 土曜日の夕方、四人はいつもの喫茶店の前で集まり、近くにある小さな洋食屋に向かった。ここの洋食屋は値段も手ごろでメニューも豊富なため、夏樹と沙友里が時々利用しているらしい。洋食屋ではあるが二階には畳の座敷もある。彼女たちのおすすめは塩カルビ定食だが、今夜は色々な料理をオーダーして、皆でシェアすることにした。二人は肩を寄せ合いメニューの品目を指さしながら料理を選んでいる。

「何か食べたいものある?」

 沙友里が俊介と徹に尋ねたが、

「なんでもいいよ」

「お任せします」

 と二人は答えた。

「それ、一番困るヤツだな」

 夏樹はメニューから顔を上げ、しかめっつらをしている。

「二人の好きな物でいいよ」

 何も料理が思い浮かばない俊介は畳の上に置いてあるメニューを適当にめくった。

「それも、困るヤツだ。もう勝手に決めちゃおう」

 夏樹はまたメニューに顔をうずめた。

「やっぱり塩カルビは外せないわね」

「クリームコロッケも取ろうよ」

 何やら二人で言いながら、五種類ほどの料理を選んだ。四人とも二十歳を超えていたが、ほとんどお酒を飲むことは無い。夏樹と沙友里は最初だけサワーを注文し、途中まで車で来ていた徹はウーロン茶だ。そして完全に下戸げこな俊介もウーロン茶を注文した。

 飲み物が運ばれてきて乾杯を済ますと、早速テレビで放映されたダンスコンテストの話になったが、夏樹ははじける炭酸の泡を見つめたままだ。

 沙友里は塩カルビの器を夏樹の方に差し出しながら、

「まだ気にしているの?」

 と少し心配そうだ。

「どうした? 何かあったの?」

 徹はウーロン茶を飲み干し、近くを通りかかった店員にお代わりを注文した。

「テレビ放映の後にネットを見たんだけど……」

 夏樹はグラスを両手で包み、下を向いている。

 俊介はネットのコメントに批判的な内容が書かれているのだと察し、

「そんなもの見るからだ。ほっとけばいいよ」

 そう言い放つと熱々のクリームコロッケにかぶりついたが、あまりの熱さにウーロン茶を飲んだ。

「熱かったー」

「でも見ちゃうとやっぱり気になって……」

「だから見なければいい」

「もう見ちゃったの!」

 いつものように俊介と夏樹が言いあっている。徹は『夏樹さんはきっとその内容を聞いて欲しいのだろうな』と思っていたが、俊介は聞く耳を持とうとしていない。

「何て書いてあったの?」

 徹は単刀直入たんとうちょくにゅうに聞いた。

「私たちが優勝できなかったのは、ココットの曲を選んだからだって。二国間の関係が冷えてるのに、ココットの曲を選んだからだって」

 夏樹は言いつけるようにありのままを話すと、膝の上で拳を握りまたうつむいた。

「バカバカしい」

 俊介は息をはきながら肩を落とし、徹に視線を向けた。

「真剣に話しているだけじゃない」

 夏樹は身を乗り出し噛みついたが、

「夏樹さんの事じゃなくて、その投稿の内容だよ」

 俊介にそう言われると、夏樹は黙ってまた下を向いた。

「俊介が言うように、確かにバカバカしいよ。もしココットの曲を選んだことが影響するようなら、予選の時に落とされているよ」

 徹の冷静な口調に沙友里も納得し、

「そうね。二人の言うとおりだよ」

 下を向いたままの夏樹を見た。

「あの予選の時からいた審査員は、純粋にダンスの良し悪しを判定していると思う。女子チームが優勝したのは、あの場にいた皆が納得しているはずだよ」

 俊介はその審査員を少し尊敬しているようだ。

「そうそう、あの審査員ぶっきらぼうだけど、何か信頼できるよな」

 徹も俊介と同じ印象を持っているらしい。

「でもその他にも私たちのダンスの悪口も書かれていたし、それと……」

 夏樹は話を途中でやめた。皆を傷つけたくなかったからだ。でも俊介はその話の続きは何となく予想できた。

「どうせ俺の女装についても、悪い内容が書かれていたんだろ」

 俊介が夏樹の前にある塩カルビを取ろうと手を伸ばすと、夏樹は塩カルビの器を持って、俊介に渡した。

 俊介の言うとおりだ。ネットのコメントには女装で審査員の眼をごまかそうとしている、とか色々と書かれてある。

「俊介君は気にならないの?」

 夏樹は俊介が全く気にせず、美味しそうに塩カルビを頬張ほおばっている様子を見て、何を考えているのか分からない。

「そりゃ~、見れば気になるとは思うけど。見ない勇気も必要だろ」

 俊介は塩カルビの器を徹に勧めながらあっさりと言ったが、夏樹はその言葉を噛みしめていた。

『見ない勇気か……』

「それに肯定的な気持ちの人達は、いちいちネットに投稿しないだろうな」

 徹が付け加えるように言うと、沙友里も真剣な表情でゆっくりと頷いた。

 料理に箸をつけず、浮かない顔で机の上を見ている夏樹に、俊介が話しかけた。

「後悔しているのか?」

「後悔なんかしていないわ」

 夏樹が強く首を振った。

「俺も後悔はしていな。ココットのダンスがやりたかったんだ」

「私も誰に何と言われようと、ココットが踊りたかったの」

「一生懸命やって、こうして満足しているんだから、それで良いだろ?」

「うん!」

 夏樹のポニーテールが弾んだ。

「よしっ、じゃあ食え!」

「わかったわ!」

 俊介のかつに応えるように夏樹の顔に笑顔が戻り、塩カルビの器を自分の前に引き戻した。

「辛いときは一人で考えずに、こうして俺達に話してくれよ。そうすれば気分が楽になると思うよ」

 徹は優しく夏樹に言い、クリームコロッケに添えてあったキャベツを口に詰め込んだ。

「そうなんだ、これからは何でも話しちゃおうかな」

 沙友里がグラスを持ったまま首を傾けて徹に微笑んだ。徹はキャベツがこぼれないように手で口を押さえた。完全に瞬殺しゅんさつだった。

『えっ、これはどういう合図だろうか。ただ酔っているだけなのかな』

 徹は手で口を押さえたまま目を丸くして、夏樹と話をしている沙友里を見つめながらキャベツを噛んだ。

 俊介は、

『こいつ、落ちたな……』

 と思いながらウーロン茶のグラスを徹に差し向けた。

 いつもの調子を取り戻した夏樹が、

「そういえば……」

 と言い出したので、すかさず俊介がその言葉をさえぎった。

「姉貴の写真だろ。今日は特別に見せてやる」

「えっ、本当に? でもその『見せてやる』っていうのはどういうことよ」

「見たくないならいいよ」

「ウソウソ、見せて、見せて」

 夏樹は自分の席を立って俊介の横に移動した。俊介が自慢げにスマホを渡すと、

「本当は見せたかったんじゃないの」

 そうからかいながら受け取ったスマホを見た。

「わー、可愛いね」

 徹がお姉様とあがめるのもわかるような気がする。

 沙友里も夏樹が手にしているスマホの画面を横から見て、

「俊介君が女装した時の表情に似ているね」

 と感想を言い、次に徹の方を見ると、

「徹君はこういう女性が好みなの?」

 穏やかながら直球の言葉を投げた。お酒のせいか、今日の沙友里は積極的だ。

「い、いや、そうじゃないよ」

 沙友里の気を引くために、そう答えるしかなかった。本当はもう少し気の利いた返答をしたかったが、そんなセリフは若い徹に思い浮かぶはずもない。


 二時間ほどでささやかな打ち上げはお開きとなり、四人は駅に向かって歩いていた。通りは控えめなクリスマスのイルミネーションで飾られていて、カラフルな色のLEDが蛍のように点滅している。俊介と徹は、夏樹と沙友里より少し後ろを歩いていた。

 俊介は小さなクリスマスツリーの枝を指で軽くはじいた。

「もうクリスマスだな」

「そうだな」

 上の空な徹を俊介は少しせかした。

「おまえ、少し急いだほうが良いんじゃないか?」

「なにを?」

「またまた、とぼけてるな~」

「どうしろって言うんだよ。沙友里さんは全く気が無いかもしれないし」

 徹が沙友里に気持ちを寄せていることは、俊介も承知している。

「馬鹿だな。気が無いような素振りをしているだけだよ。見ろよあの華奢きゃしゃな後姿。お前からの誘いを、今か今かと待っているんだぞ」

 俊介は面白がって適当なことを言っているだけだが、

「そうなのかな~」

 徹は真に受けている。

「とにかく、明日ランチでもする約束をしてこいよ」

「明日か? 早くないか?」

「クリスマスまでもう日が無いんだ。とにかく行って撃墜されて来い」

 俊介にそう言われて、徹は話しかけるタイミングを見計らっていた。ちょうど夏樹が何かを買うためにコンビニに入った隙に、徹は沙友里に近寄った。俊介は少し離れたところから見ていると、突然徹に話しかけられて沙友里は驚くように振り向いた。どうやら徹の誘いを今か今かと待っていたわけでは無いようだ。当然と言えば当然である。

『あれっ、本当に撃墜されるのか?』

 俊介は勢いで言ったもののちょっと申し訳なく思っていた。後戻りできない徹はひたすら笑顔を振りまきながら何かを話しているが、その必死さに何となく沙友里が後ずさりしている感じだ。

『ちょっと時期尚早じきしょうそうだったか……』

 俊介が徹をなぐさめる言葉を考えていると、夏樹がコンビニから出てきたので、徹は話を止め戻ってきた。

『あ~あ、可哀想に』

 頭を垂らし黙々と歩く徹の姿が哀れに見えたが、途中で徹が小さくガッツポーズをしている。

『えっ、どういうこと?』

 半信半疑でいると、

「明日のランチ、OKをもらったよ」

 徹が弾んだ声で再度ガッツポーズをした。

「マジか。でも沙友里さんは何か引いてる感じだったけど」

「ちょっと戸惑っていたけど、強引にOKを貰った」

「お前もやる時は、やるな」

 俊介は少し徹を見直した。彼女達と別れる際に、徹は、

「それじゃあ」

 と軽く手を上げたが、沙友里はぎこちなく笑ってお辞儀じぎをした……。


 俊介と徹は電車の中で吊り輪につかまりながら揺られている。俊介は窓に映っている徹を見ながら、

「確かに戸惑っていたな」

 別れ際の沙友里の苦笑い気味の表情が気になっていた。

「やっぱりそう思うか。ちょっと強引だったかな。今頃悩んでいるんじゃないかな。可哀想なことしたな……」

 徹は自分の気持ちだけを押し付けてしまったことを少し後悔しているようだ。しかしそう思えば思うほど、ますます沙友里への思いが強くなっていく。

「夏樹さんと一緒に来たりして」

 俊介がふとそんな事を言い出すと、

「えー。そうなのかな」

 徹は吊り輪にぶら下がるようにうなだれた。思っている以上にダメージを受けている徹に、俊介は少し焦り、

「まっ、さすがにそれは無いよ」

 と気休めな言葉をかけたが、徹にとっては眠れない長い夜になりそうだ。


 夏樹と別れた沙友里は徹に誘われたことを思い返しながら、家に向かって歩いていた。決して誘われた事に困っているわけでは無い。今まで二人っきりで会う事など無かったから、明日どうやってふるまえばいいのか分からなかっただけだ。沙友里も徹に気持ちを寄せている。もしかしたらその気持ちは大学祭のポップコーン店で目が合った時から始まっていたのかもしれない。考えれば考えるほど、居ても立っても居られない気持ちになってきた。

 家の中に入る前に徹にメールを送信しようとしたが少し迷った。いままで夜に男子へメールを送るような事はしたことが無い。

『今日は酔ってるからかな……』

 沙友里は今までにない自分の行動をお酒のせいにしようとしたが、お酒の力だけでは無さそうだ。

(今日は楽しかったです。明日は誘ってくれてありがとう)

 短いお礼のメールを送るのが精いっぱいだったが、沙友里にとってはこれでも十分に大胆な行動だ。


 俊介と別れ、駅の近くの駐車場に泊めてある車のカギを開けた時にメールの着信音が鳴った。

 沙友里からのメールだ。徹は冷え切った車の中に慌てて入り、スマホの画面を見た。メールを読んだ瞬間、さっきまで胸に圧し掛かっていた大きなおもりが一気に吹き飛ぶような感覚を覚えた。

 徹は運転席のシートにもたれかかり大きく息をした。ダウンジャケットの擦れる音がやけに大きく感じる

『なんて返信しようか……』

 返信の文を何度も頭の中で考えた。


「ただいまー」

 沙友里が家に帰ると、母がキッチンで洗い物をしていた。

「お帰り。思っていたより早かったのね」

「食事してきただけだから」

 冷蔵庫の中から取り出した水をコップに注ぎ、一気に飲み干した。スマホを見たがまだ返信は来ていない。『ちょっと大胆すぎたかな』沙友里は自分のメールを徹にどう思われているのか心配でリビングでくつろぐ気にもならない。

 スマホを握りしめてリビングを出る時に、風呂上がりの父と出くわした。

「お帰り。風呂入れよ」

「後で入るから」

 何故か今は父の顔がめんとは見れない。足早に階段を駆け上がった。スマホを机の上に置いてベッドに座りながら、じっと徹からの返信を待った。

『どうしたのかな。運転中なのかな』

 そのじれったい時間が、徹を思う気持ちを高めていく。


 徹はようやく返信の文面を書き終え、

『やっぱりまずは焦らずシンプルな内容が良いな』

 そう自分に言い聞かせ、メールを送信してから車のエンジンをかけると、ラジオからクリスマスソングが流れてきた。


 透きとおったグラスを銀のスプーンで叩いたような着信音が鳴った。沙友里は慌ててベッドから立ち上がると髪の毛をかき上げ、スマホの画面を見た。

(明日会うのが待ち遠しいよ)

 かなりシンプルな内容だが、会いたいという気持ちが鮮明に表れている。その真っすぐな徹の気持ちが沙友里の感性にも響いた。そして反射的に返事を書いた。それは沙友里も自分では信じられないような大胆な言葉だ。

 沙友里からの返事を見た徹も体中に電気が走るような衝動をおぼえスマホを持つ手が震えている。そして勝手に体が動き、短いメールを沙友里に送ると、何の迷いもなく車を走らせていた。


 

(明日まで待てない)


 

(今から行くよ)

 

 純粋で真っすぐなメールが二人の気持ちを繋げた。

 国道を走っている徹の体は、まだ震えている……。

 沙友里はスマホを握りしめながら、窓の外を見ていた。何故か不思議なほど気持ちが落ち着いている。

 家の前の通りがヘッドライトで照らされ、徹から家の近くに来たことを知らせるメールが届くと、両親に気付かれないように階段を降りた。リビングからテレビの音と微かな父の笑い声が聞こえる。物音を立てないように玄関に近づいている時に二階から妹が降りて来た。振り返ると妹は階段の途中で止まって、不思議そうにこっちを見ている。沙友里が口の前に人差し指を当てると、妹はあきれた素振りで階段を降り、何事もなかったようにリビングに入って行った。

 静かに玄関のドアを開け小走りで道路に駆け出した。

「そんな薄着で来たの?」

「コートを着ていると、お母さんたちに見つかった時、言い訳できないから……」

 徹はすかさず自分のダウンジャケットを沙友里に羽織らせた。

「寒いね。車に乗りたいな」

 ジャケットにうずくまる沙友里を車までエスコートし、助手席のドアを開けた。

「助手席に乗せてもらうの初めて……」

 沙友里は小声で喜んでいる。車に乗り徹はとりあえず笑顔で「寒いね」と語り掛けたが、次の言葉が出てこない。

「徹君は緊張している?」

 今夜ほど積極的な沙友里は見たことが無い。徹は完全に押され気味だ。

「そりゃあ、緊張しているよ」

 ハンドルを強く握って前を向きながら答えると、

「私は不思議なぐらい緊張していないの。本当に不思議」

「そ、そうなんだ……」

 言葉に詰まってしまった。こんな状況でなぜ沙友里が緊張していないのか、頭をフル回転させていたが全くわからない。

「ちょっとドライブしようか」

「うん。でもあまり遅くなると親に気付かれちゃうから」

「そうだね、早めに戻って来よう」

 徹はエンジンをかけ、ゆっくりと走り出した。エンジンの回転とともに徹も自然と話し始めている。話の内容はほとんどが自分のことだったが、沙友里にとっては徹を知ることが何よりもの喜びだった。


つづく……

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