第16話 ダンスコンテスト その7

 予選の進む時間が早く感じる。一チーム当たりの所要時間はだいたい五分ぐらいだろうか。既に半分以上のチームが演技を終えていた。演技を終えた参加者たちは緊張がほぐれたようにおしゃべりをしたり、少し遅めのランチを食べていたりと、リラックスした様子だ。

「なんか腹減ったな」

 俊介がマスク越しにこもった声で呟きながら、予選を終えてランチを食べている参加者達を見ている。

「こんな時に、よく食欲があるわね」

 夏樹はマスクの上に乗っかっているような俊介の美しい眼を見た。その時、十七番目のチームが呼ばれた。

「次だな、準備したほうがいい」

 徹が緊張した声に、俊介は被っていたフードを外し、コートを脱いだ。今までコートを着込みフードを深々と被っていた俊介を他の参加者も気にしていたらしく、一斉に俊介を見た。

「えっ、綺麗……」

 ざわめきの中から、かすかにそんな言葉が聞こえてくる。

「でも、男の声だったよね」

「男の子なの?」

 あまりにも謎の多い俊介に参加者たちはその場から動く事を忘れ、眼だけが釘付けになった。

「次、十八番のチーム、準備してください」

 ついに順番が回ってきた。四人は円陣を組み、

「やれるだけの事はやって来た。大丈夫だ」

 俊介が珍しく熱い言葉を言うと、皆の体にアドレナリンが充満した。

「よし、行くよ」

 夏樹が音頭おんどをとり、

「カランコロン!」

 会場に入るその姿には、もう何も迷いわない。後はやるだけだ。

 会場内はロビーより気温と湿度が高く、参加者たちが必死な想いで踊っていたことを物語っている。審査員テーブルの前に進み、センターに夏樹、左に沙友里、右に俊介の順で並んだ。小さく深呼吸をして息を整えると、ようやく審査員が五人だという事に気づいた。そして、そのうちの一人が俊介に話しかけた。

「君は男の子か?」

「はい」

「完璧な女装だな。自分達でメークしたの?」

「いえ、美容室でやってもらいました」

「へー、腕の良い美容師さんだね」

 三人とも花咲のことを褒められると何だか嬉しい。俊介は女装のことについて、色々と言われるのではないかと覚悟していたが、どの審査員も女装の事をほとんど気にしておらず、少し拍子抜ひょうしぬけした感じだ。

「じゃあ早速、ダンスをしてみようか」

 真ん中に座っていた審査員が机の上に両肘りょうひじを立て、肩のりをほぐすように頭を左右に傾けた。すみに控えていた徹は三人と目を合わせ軽く頷き、音楽を再生した。

 ココットの可愛らしく軽やかなメロディーが流れ始めた。いままでアップテンポの曲ばかりを聞いてきた審査員も曲調の違うメロディーに心地よさを感じている。しかし心地よさを感じたのは曲調だけではない、キレはあるけど滑らかな動きが何とも見ていて心地いい。そう、三人のダンスは見る人を魅了みりょうするというより、心地よくするダンスだ。

 俊介が見出したポイント通り、余裕を持たせた動きに時折見せる微笑みが、とてもクールに見える。

『いいぞ、今までで一番いいぞ』

 少し夏樹と沙友里の踊りがブレる時があったが、崩れることなくクールさを保ちながら踊りを続けていく。

『思ったより、長い時間踊るんだな。夏樹さんと沙友里さんの体力も限界かな』

 二人の踊りが乱れだしたのに気づいた俊介はそう思っていた。

『体の力が無くなってきた。曲についていくがキツイ』

 沙友里は笑顔を保っていたが、内心は悲鳴をあげている。激しい動きではないが、キレと滑らかさと言う、相反あいはんする動きを合わせ持ったこのダンスは、意外と体力の消耗しょうもうが激しい。

『最後まで絶対に踊る。後悔したくない』

 夏樹は力を振り絞ってさらに力強く踊ると、夏樹に勇気をもらったかのように、沙友里も力を振り絞った。

 俊介は二人の気持ちが切り替わったことを、わずかな動きで感じ取った。

『よし二人とも頑張れ、最後までいける』

 ようやく曲の終盤になり、最後の振り付けをやり切った。夏樹と沙友里は大きく呼吸を繰り返しながら審査員の表情をうかがっている。俊介は静かに肩で息をしていたが、直立した姿勢を保ったままのたたずまいだ。その姿がとても美しい。

 真ん中に座っていた審査員が、

「ついつい最後まで見ちゃったよ」

 と椅子の背もたれに寄りかかりながら腕を組むと、隣の審査員も、

「そうですね」

 と笑っている。

「審査結果は、後で発表するので、ロビーで待っていてください」

 進行役のスタッフはそう言って扉を開けた。

 ロビーに戻ると同時に緊張の糸が切れ、

「あー、もう限界」

 夏樹と沙友里は床に座り込み、ペットボトルのお茶を飲み干した。

「みんな凄いよ。練習の時以上に良かったよ」

 徹も興奮がまだ冷めやらない感じだ。

「やり切ったな。二人とも凄い」

 珍しく俊介に褒められ、夏樹も素直に、

「ありがとう」

 と言う言葉が心から出てきた。てっきり「なによ、偉そうに」と突っかかってくると思っていた俊介は意表いひょうをつかれ、調子がくるってしまい、

「あー腹減った、メシ、メシ」

 そう言って、ごまかした。

「ちょっとー。素直に『ありがとう』って言ったのに、メシ、メシは無いでしょ」

 夏樹がいつものように俊介に突っかかったが、俊介は夏樹に背中を向けながら笑っている。今は最高に清々すがすがしい気分だ。夏樹の不満っぽい言葉も、楽しく聞こえる。


 徹はパンを小さくちぎっては口の中に入れている俊介をじっと見ていた。

「おまえ食べ方まで女子っぽくなってきたな」

 沙友里も、

「お上品で、よろしい」

 と褒めながら笑っている。

「口紅が気になって、かぶりつけないんだよ」

 唇同士がくっつかないように、口を半開きにしながらパンを噛んでいる。こんな時に思いっきりかぶりつけたら、どんなに良いことか……。

 もう全チームの予選が済んだようだ。

「なんかスタッフの人達が出てきたよ」

 夏樹が背伸びをするように受付の方を見た。

「番号を呼ばれたチームの皆さんは、会場に入ってください」

 スタッフがメガホンで説明し、間を置くことなく番号を呼び始めた。

「まずはエントリーナンバー一番」

 発表と同時に甲高い歓喜の声が響き、一番目のメンバーがお互い肩を叩きながら、はしゃいでいる。

「いきなり一番のチームが呼ばれたな……」

 そんな声が何処からともなく聞こえてくる。

「次に十一番」

 ここは男子だけのチームで、たけびのようなドスの効いた声が響き渡った。それと同時に十番までのチームの落胆らくたんした溜息ためいきも聞こえてくる。四人ともそんな参加者を見て、自分達も呼ばれないかも、と不安な面持ちだ。

「えーと次は……」

 スタッフはメガホンを一旦おろし、別のスタッフに手元のメモ書きを見せながら確認をしている。どうやら何回かメモ書きの番号が修正されているらしく、念のため確認をしているようだ。



「失礼しました、次は十八番」



 時が止まった。



 心臓の鼓動以外は何も聞こえない無音の世界だった。

 何故か自分達の番号が頭の中から抜けて、思い出せない。


 しばらくして徐々に音が戻ってくると、

「えっ」

 夏樹は横にいる沙友里を見た。沙友里もまばたきを忘れ立ち尽くしている。

「よっしゃー!」

 俊介がフードを外しこぶしを高々と上げて叫んだ。周りの参加者達は俊介の美貌と声が一致せず、唖然あぜんとしている。

「行くぞ」

 会場の入り口に向かって歩き出す俊介を、夏樹と沙友里は感情が戻らないまま追った。

「やったね」

 徹にそう言われ、ようやく目元めもとに笑みがあらわれた。

 最後に呼ばれたのは二十二番のチームだ。このチームは男女混合で十人ほどの大所帯おおじょたいなため、歓喜の声もひときわ大きい。

 会場に四チームが並んだ。真ん中に座っていた審査員がゆっくりと立ち上がり、ゆったりとした口調で話し始めた。

「今日はお疲れ様でした。予選突破おめでとうございます。決勝でも頑張ってください」

 素っ気なく短い挨拶を済ませ足早に会場の外に出て行くと、すぐに会場の外からメガホンの音が聞こえてきた。どうやらさっきの審査員が他の参加者達に話をしているらしい。

「皆さん、今日はお疲れ様でした。今回は予選通過にはなりませんでしたが、どのチームも個性的なダンスでとても良かったと思います。これからも挑戦し続けてください」

 先ほど予選を通過した四チームの前で話した時の口調とは違い、力強く参加者を励ますような声で話している。今回のダンスコンテストの目的はスターの発掘ではなく、ダンス業界の底上げだ。この審査員もその趣旨しゅしをしっかりと理解している。だから、コンテストに挑戦してきた参加者たちをたたえ、これからも挑戦し続けてくれることを心から願っていた。他の参加者が帰ってしまう前に、その思いだけは伝えておきたかったようだ。

「さて決勝のお知らせを配ります」

 進行役のスタッフが決勝の日時や場所、注意事項が書かれた用紙をチームのリーダーに手渡し用紙に書かれていることを一通り説明すると、

「それでは、くれぐれも体調には気を付けてくださいね」

 最後にそう言い、解散となった。

 他の参加者はほとんど帰ってしまった。静まり返ったロビーには靴の音、話声が冷たく響いている。それまで予選を通過した四チームは特に言葉を交わすことは無かったが、エントリー番号一番の女の子が俊介に話しかけて来た。

「凄く綺麗ですね。自分でメークしたんですか?」

「あっ、ありがとう。美容室でやってもらったんです」

 控えめに俊介が答えると、エントリー番号十一番の男子たちも話に交じってきた。

「ほんまに綺麗やな。もうちょっとで告白するとこやったで」

 この男子チームは大阪から来ており、今夜バスに乗って大阪に帰るようだ。

 最初に話しかけてきたエントリー番号一番のチームは女の子五人で、みんな保育士を目指している。沙友里は自分たちの練習場所の隣が託児所で、小さな子供が練習を見ていたことなどを話して少し盛り上がっていると、

「決勝も頑張りましょう」

 エントリー番号二十二番、男女混同の大所帯チームのリーダーが挨拶をしてきた。このチームは大学のダンスサークルの仲間で、サークルのメンバー全員で参加したため、大所帯になったようだ。今から打ち上げに繰り出すらしい。

「私達も花咲美容室に行こうか」

 夏樹の声が皆をいやした。花咲美容室が懐かしく感じる。

 四人とも疲れと満足感で帰りの車中ではほとんど喋ることもなく、後部座席に座っていた夏樹と沙友里は車に揺られて首の座らない赤子のように眠っている。時折他愛たあいもない会話をしている俊介と徹の顔を、西日が照らしていた。

 花咲美容室に着くころにはすっかり日も落ち、冬の寒さに身を縮こまらせた。

 扉の窓から中をのぞき、お客さんがいないのを確認してから扉を開けると低く心地の良い鐘の音が鳴った。

「カランコロン」

 沙友里がそう口ずさみ、鐘を見つめている。

「幸運の鐘だね」

 夏樹の言葉に、花咲は不思議そうに、

「幸運の鐘?」

 と聞いたが、四人ともただ笑顔で頷いているだけだった。

「ダンスコンテストはどうだった? 皆の笑顔を見ていると、思いっきり出来たみたいだね」

 達成感のある顔をしている四人を見て、花咲は結果はどうあれ、みんなが満足していればそれでいいと思っていた。

 四人はお互いの顔を見ながら誰が報告するかを探っていたが、

「リーダー、お願いします」

 徹がかしこまって指先まで伸びた手を差し向けると、夏樹は「あたし?」と言わんばかりに自分を指さした。何か大切な発表があるのかな、と感じた花咲も改まったように姿勢を正して、夏樹の方を向いた。

「花咲さん、私達、予選通過しました!」

 夏樹は満面の笑みだ。

「おー!」

 花咲は体をのけぞらせて目を丸くし、言葉にならない声を発した。そして驚きの表情のまま、

「本当に? 本当に? 凄いじゃない、凄いじゃない!」

 四人の顔を順に見渡すと、夏樹と沙友里がせきを切ったように興奮しながらコンテストの様子を話し始めた。

 受付でちょっとまごついたこと、会場の様子、喧嘩けんかをしてしまったこと。

「喧嘩の話はしなくていいから」

 俊介が苦笑にがわらいしながら話をさえぎると、

「俊介君も怒るんだ」

 花咲は俊介の人柄ひとがらをまた一つ知ることが出来て、嬉しそうに眼を細めた。

 夏樹は花咲に言いつけるように、

「そう、世話のやける弟なんです」

「そっちが先に怒り出したんだろ。世話がやけるのはどっちだよ」

 俊介もそう返した。

 そしてダンスをしている時は長く感じて体力的に辛かったこと、審査員が女装を気にしていなかったことや落選した参加者にも誠意ある対応をしていたことなども話した。

「へ~、そういう人もいるんだね。なんとなく落選したら用が無いっていう態度の人ばかりってイメージだったけど……」

 花咲は感心しながら聞いている。

「今日は色んな事がありすぎて、すっごく長く感じるな」

 沙友里は椅子にもたれかかりながら、俊介と徹が知らない朝のトイレ騒動の事も思い浮かべていた。

「ほんと、冷や汗かいたり、緊張したり、笑ったり、怒ったり、喜んだり」

 夏樹が一日の出来事を順番にそう表現すると、

「冷や汗かいたっけ?」

 俊介が徹に尋ねた。徹も思い当たらないというような顔で、首をかしげている。沙友里が椅子にもたれていた体を急に起こして、ふくれっつらで夏樹を見た。

「えっ、ほ、ほら受付の時の、証明写真と女装の顔が一致しなかった時……」

 夏樹は慌てて説明をした。

 花咲にメークを落としてもらい着替えた後、四人は徹の車で帰った。にぎやかな打ち上げとかはせず、いつもの練習帰りの時のように静かな夜だったが、四人の気持ちはまだまだ勢いよく転がり続けている。

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