第3話 姫の条件
はじめが着物を取りに部屋を出ると、月夜はすぐ朔の方に居直って、話し始めた。
「これはどういうこと?」
「なんでしょう?」
「なぜ、ここなの? どういうつもり?」
「すべては大王のご意志です」
「みくびらないで! 私は曽祖母さまとは違うわ!」
月夜は朔にくってかかる。朔は平気な顔でニヤッと笑った。
「なによ、その顔」
「姫さまにも、条件を仰せつかっております」
「条件……」
「はい、こちらも3つです」
1.想いを相手に伝えてはいけない
2.性的行為をしてはならない
3.相手の恋路の邪魔をしない
「……性的行為って……、お父さまは娘を全く信用してないのね。そんな手、使いたくもない。つまり地球にきたのは、ただ謹慎ということだけでなく、できるものなら、己のものにしてみせよということ? もし達成できなければ?」
「おとなしく月に戻って、祝言をあげよとの仰せです」
「人の気持ちをなんだと思ってるの……」
「あの方がそれを望めば、姫の願いも叶えられる。簡単なことです」
「くっ……」
月夜は項垂れた。そんなの無理だ……しかもたった2週間で。そう思ったが言葉が出てこない。
「楽しい地球の想い出、作ってくださいね。困ったときはいつでもお呼びください」
朔は冷たい笑顔を月夜に向けるとすっと姿を消した。
朔もどこかで地球見学しているのだろう。
実体は遠くにあるのだろうか。
想念……そうだ、満月。
月夜は胸の翡翠の勾玉を握りしめて、姉の満月に想念を送った。
『月夜、無事についたようですね』
『お姉さま、こんなのあんまりです!』
『あなたの心はよくわかります。落ち着いて。あなたはどうしたいのですか?
それを実現するために何が必要ですか?』
『また、問いかけですか』
『そうです、あなたは何を選択するの? その答えは自分の中にしかないわ』
『……わかりました。すこし考えてみます』
『うまくいくことを祈ります』
満月への想念を手放すと同時に、はじめが部屋へ入ってきた。
「舞に合う着物なんてわかんなかったんだけど……」
はじめは、紅花紬、ペールピンクの色無地、ベージュの訪問着。帯は藍染の名古屋帯と銀糸が織り込まれたピンクの袋帯を持ってきた。
月夜は、自分が思っているような着物は、地球にはないのだなと察すると、ペールピンクの色無地と藍染の帯を選んだ。小物もきちんと用意してくれてある。やるな、はじめ。
「今から着替えるね。ちょっと待ってて」
そう言って、月夜は立ち上がろうとした。
「わわわっ! 部屋出てるから、着たら教えて」
あわててはじめは部屋からでていった。ああ、そりゃそうか。着替えも見せれば性的行為になるのかもしれないな。お父さま、さじ加減が難しいです。
月夜はさっと着替えるとはじめに合図して、和室の真ん中で舞の最初の位置についた。「あの、何か曲流せる?」
「え? 曲?」
「そう、ほらなんて言ったっけ、遠いところにいる人と話ができて、いろいろな情報が手に入る、手のひらほどの大きさの……あれ使えば流せるでしょ?」
「ああ、スマホね。曲、なんでもいいの?」
「明るいので」
「明るいの……ね……」
はじめはそう言いながら、すまほとやらを操作し、これだ! と叫ぶと、明らかに早すぎる拍子の曲が流れてきた。
こっ……これは!! はじめのすきなスリーピースバンドの、みんなを鼓舞して奮い立たせる曲……。これに合わせて舞を踊れと? あまりのはじめの天然さに月夜はうろたえた。
それでもなんとか合わせて、祝いの舞を踊る。舞だけは、きつく覚えさせられた。はじめを喜ばせられるのはこれくらいなものだろうか。
そう思いながら、妖艶に月夜は舞った。時折みせる流し目。チラッとはじめを見ると、ぼんっと赤くなって月夜をじっと見ている。
あんまり見ないで……。恥ずかしくなる。そう思いながら曲の終わりと共に、舞を終えた。はじめは思いっきり拍手をしていた。満面の笑みだ。
「すごい!! この曲になんか合ってた!!」
「二週間、よろしくお願いします」
月夜は三つ指ついて挨拶をした。
「うん、楽しく過ごそう。塾もあるけど、息抜きに東京観光しよう」
「どこか連れて行ってくれるの?」
「うん、せっかく来たんだし、地球のあちこちは難しいけど、東京なら案内するよ」
まじか!? 案内してくれるの? そんなこと……嬉しすぎる。
「ありがとうございます」
あぁ、なんか猫かぶってるのもつかれたな。いやウサギかぶってるか。月夜はそう思いながら息をつく。
「あの、名前って月夜でいいの?」
はじめが首をかしげながら訊いてくる。
かっ、かわいい。
「うん、月夜でもいいけど。せっかくだから地球ネームほしい」
「地球ネーム!? 面白そう」
「あなたがつけて。かわいいのがいい」
「僕? 僕がつけていいの?」
はじめは腕組みをして考え始めた。
ややあって口を開く。
「……"ゆめ"はどうかな」
「ゆ……ゆめ?」
「そう」
ゆめ……なんでそれ? まあ確かにかわいいけど。月夜は不思議に思いながらも「うん」とそれを受け入れた。「さっそくだけど、ゆめはこの部屋を使って」
「この部屋?」
「そう、ここならウサギになってもトイレ近いし、母さんの着物は向こうの和室にいっぱい入ってるから、そこから好きなの出して着ていいよ」
「そんな……勝手には」
ゆめは申し訳なさそうに顔の前で両手を振った。
「大丈夫。和室にあるのはもう着てない物ばっかりだから。ちょっと埃っぽいかもしれないけど、着れるよ。母さんはそのタンスごと断捨離しようか悩んでたくらいだし。昔のでよければ洋服も何枚かはあるはずだから、好きなの使って」
「そう……わかった。ありがとう」
「僕、2階で寝るね。なんかあったら声かけて。そうだ」
「なに?」
「人でいられるのは、月が出ている間だけなんだよね? 昼間の月でもいいの?」
「うん、昼間でもいい」
「なるほど、じゃあちゃんと月の出入りを調べないとね」
はじめはすまほを取り出し、月の出入りの時間がわかるものを探しているようだ。
「毎日だいたい12時間くらいは月が出てるね。今週はちょっと様子見で、来週末、月に帰る前に少し東京観光する感じでもいい?」
はじめはゆめに、にこっと笑いかける。心に明かりが灯るとはこんな感じだろうか。
「ありがとう。楽しみ!」***
時刻はもう午前0時を過ぎていた。
今日の月の入りは11時23分。向田に朝、紹介するときも、まだゆめは人間だろう。
「ゆめ、ちょっと教えて」
丸窓から月を見上げる姿は美しい。さすが月の姫。ゆめは、はじめに声をかけられて、顔だけこちらへ向けた。
「なに?」
「きみはつまり月の人ってことだよね? かぐやひめとは関係あるの?」
「大あり。かぐやひめは
「ええっ!? でもそれじゃあ年齢おかしくない? 竹取物語の正式な成立は不明だけど、それでも9世紀か10世紀頃だと言われてる。曽祖母さまってのはおかしくない?」
はじめは腕をくんでゆめを見た。ふぅっと息をついて、ゆめは話し始める。
「月の人間は、寿命が300年くらいあるのよ」
「さんびゃく……!?」
「ちなみに、なぜ月に人がいるのかは、私たちにもわからない。ただ月の裏側に国があって、王国として成立しているのは確かよ。不思議な力も持ってる」
「不思議な力?」
「……、曽祖母さまも、帝に見せたと思うんだけど、ちょっと待って」
ゆめは正座して、目をつぶる。しばらくすると、すぅっと姿が消えた。
はじめはあまりのことに、押し入れの襖にガンっと背中をぶつける。
「──っ!!」
しばらくすると、またゆめは姿を表した。
「すごい……」
「私はほんの少しだけなんだけどね。もっと長い時間できる人もいるんだけど」
「私は力が弱い方。お父さまに家の恥って言われてる」
「家の恥……。僕と一緒だね」
「……そう……なんだ」
「うちの家は病院を経営していて、両親は医者、兄は大学の医学部に通ってる。僕は出来損ないなんだ。頭も良くないし、運動もできない。それでもなんとか褒められたくて、一生懸命やってるんだけどね……」
はじめは苦しそうに笑った。ゆめは真剣な眼差しを向けている。
「出来損ないなんて……そんな人ひとりもいないよ」
「ありがとう、でもしょうがないことなんだ。医学部に入れなければこの家出てくつもり。親ももう諦め入ってて、浪人はさせないって言われてるんだ。現役合格じゃないと世間体が許さないんだろうね」
眉根を寄せて、ゆめの表情は怒りを纏う。
「なに、それ。はじめは両親の駒でしかないってことなの」
「そう、所詮は親の駒でしかない。もう駒でいるのも疲れたけどね。やれるところまではやってみる」
「……はじめ、本当に医者になりたいの?」
そう言われてはじめは石になった。
進路志望を決める頃、兄からも何度も同じことを聞かれた。
お前はなぜ医者になりたいのかと。
はじめは、家が医者の家系だから、としか答えられなかった。そんな人間が、医者になって人の命など救えるはずがないと、ピシャリ。いつも温厚で味方の兄に、はじめて叱られた。
夏の間にお前の進路を考え直せ。
兄にはそう言われているが、やりたいこともこれといってない。
頭の中にモヤがかかったみたいで、勉強も闇雲にやるから結果も出ない。
八方塞がりもいいとこだった。
「……わからないんだ。ただ小さい頃から、将来は医者になるんだって思ってきたから……」
「つまんないわね」
ふんっとゆめはそっぽを向く。
「つまんないってなんだよ」
はじめは、ゆめを睨む。医学部に合格して医者になる。それしか自分の存在意義がないような気がしていたからだ。
「つまんないからつまんないって言ったの。誰かに認められなきゃ、はじめの価値はないわけ? 自分の価値は、自分じゃ計り知れないくらい尊いものなんじゃないの? 人に認められないからって、自分が価値のない人間だなんて、馬鹿げてるわ」
ゆめは腕組みをしてまだ怒りの表情だ。なぜ、怒るんだろう。
「待って待って、ゆめもさっき自分のこと家の恥だって言ってたじゃん」
「確かにお父さまからは、家の恥と言われているけれど、私自身が家の恥だと思ったことは一度もない。今回のことだって……」
そう言いかけてハッと口に手を当てる。
言いたくないのか、次の言葉はもう出てこなかった。
「……言いたくないなら、言わなくて大丈夫だよ」
悲しそうな顔をするゆめに、そう声をかけていた。ゆめは困ったような顔で笑うと、大きく欠伸をする。「ごめん、もう遅いね。明日、8時半には向田さんがくるから、そのとき親戚の子だって紹介するよ。僕は9時から塾が始まるから、ゆめは家でゆっくりしてて。向田さんには、この部屋に入らないように言うから」
「ねぇ! 私も、じゅくに行ってみたい!」
「ええっ!? 塾にいきたいの?」
「うん、勉強するのよね?」
「よく知ってるね」
「ちっ……地球のこと、少しは予習してきたから」
「でも、お金は? タダじゃないんだよ?」
「心配しないで。そこに、ほら」
そう押し入れを指したゆめ。はじめが押し入れを開けてみると、見たことのないツボの中に福澤諭吉がいっぱい入っていた。100万はゆうにありそう。
「曽祖母さまのときは小判だったけど、現代アレンジ」
はぁ……。はじめも使っていいと言われたけど使えるか! こんな大金。
二週間の短期集中講座に申し込むには十分な金額だ。すごいな月の宮殿の財力はとはじめは感心した。「でも、11時23分には月が沈むから、ウサギに戻るんだろう?それからどうするの? 僕は夕方まで塾あるし……」
「大丈夫、ウサギになる前に帰るから」
はぁ? あっけらかんと言うゆめに、はじめは呆れた。見られたら即終了なんだろ? もうちょっと慎重にしてもいいのでは?
「ねぇ、ゆめ。バレたらどうするの? もうちょっと慎重に……」
話の途中で、ゆめは手を出して制した。
「私がそうしたいの。絶対見つからないようにする! はじめの願い、叶えてあげたいし……」
ゆめは目を床に落とした。そうか、せっかくの地球見学だ。家にいたところで、地球見学にはならないんだろう。積極的なんだな、ゆめは。
はじめは自分のことも考えてくれているのが、素直に嬉しかった。
「ゆめがそうしたいならいいよ。……、確かに願いを叶えてもらえればうれしい。でもせっかく地球見学に来たんだし、ゆめには二週間楽しんでほしい」
そう微笑みかけると、ゆめは耳まで真っ赤になった。どうした?
「……わかった」
「向田さんにうまく言い訳しないといけないね」
はじめは立ち上がりながらそう言うと、おやすみと声をかけて2階へ上がった。
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