エーアイシンプトンS

@sougoss

第1話 ニュース

住宅街から少し離れた場所に白塗りの建物が見える。

巷では何かの医療施設、または研究所か特殊な病院だという噂がある。

建物の周りの広い敷地には青々とした手入れの行き届いた芝生が一面に生い茂り、所々に数種類の木々が立ち並んでいる。

それらを取り囲むように壁が立ちはだかり、その建物よりも高い場所以外からは全く中の様子を伺う事が出来ない。

かなり前に建て替えがあって工事中は少しだけ中の様子を垣間見る事が出来たとか出来なかったとか…。

当然建物の中からも壁の外の様子を見る事が出来ない。

規則的に並ぶ窓。

一階部分のひと部屋の窓にだけ何故かステンレス製の柵が取り付けられていて部屋の中に人影が見えた。


人影は窓辺に立ち、自身の向こうに広がる綺麗な黄緑色の芝生をボンヤリと眺めている。

窓を片手で横にスライドさせると芝生やその周辺に立ち並ぶ緑の清々しくもどこか青臭いような雨上がりの匂いが部屋の中に入ってくる。

湿った庭の若草の匂いを楽しみつつ、鼻からスーっと空気を身体の中に送り込んで深呼吸をすると自然と口元の両端の筋肉がキュッと持ち上がった。

(今更逃げようなんて……思ってもいないのに…。)

心の中で独り言をつぶやいてフッと思わず鼻で笑ってしまった。

抱えたもう片方の腕の中には薄いサバトラ柄の毛色に珍しい藍玉のような薄いアイスブルーの色の目をした美しい成猫の姿がある。

名前はハイロ。

大切な人から預かり受けた猫で今年で九歳になる。

窓辺に立つ若い男の名前はサトル、十八歳。

あまり運動もせず日にも当たっていないせいなのか色が抜けるように白く、その年齢の平均的な身長であるわりには筋肉量がかなり少ない細身の体つきだ。

一瞬女の子かと見間違う顔にあご下まで伸ばした艶めく黒い前髪。

明るい場所では金色にも見える薄茶色の瞳が余計に肌の青白さを強調する。


八年前、十歳の時に誰にも知られずに殺人を犯してから今年で九年目の月日が経とうとしていた。

相変わらずこの施設はエーアイシンプトンズの為の医療施設兼研究所と言いながらも実際にはサトルひとりの為に存在しているような建物だ。

つまり、サトルはこの施設唯一の被験体なのだ。

警備体制は常に万全で決まった医師や研究者と限られた人間のみがこの建物内に存在する事を許されている。

一般人からすればかなり前からあるものだと認識しつつも何の為にそこにあって何をしているのかも分からない。

つまり、基本的には誰もが素通りする建物だ。


エーアイシンプトンズとは、とある世界的なパンデミックの後に不思議な能力を持った新生児が次々と誕生し、彼等を称してこの言葉が生まれた。

エーアイシンプトンに共通するのは産まれてきた時に身体の一部が全く機能していない事とその部分と同じ働きをするAI機器に触れる事により、動かなかった部位に触れたAI機器が宿ったかのように機能し始めるという現象だ。

これは何故か普通のメカでは効果がなく、AI機器であり尚且つそのパーツと用途が合致する機器でなければ触れたところで何も起こらない。


例えば腕が全く動かずに産まれてきた者がAI機能搭載型のアームロボットに触れた途端にたちまち腕が動くようになるといった感じだ。

そして見た目は人間のそれだが、その腕はもはや人間のものとは程遠く機能や頑丈さはアームロボットそのものだった。

更にAI故に性質をそのまま受け継ぎ学習を繰り返し、自ずと性能が上がっていく。

また、エーアイシンプトンとして目覚めたその部位だけは劣化もせずに傷付いても数分又は数時間で治ってしまう。

本来エーアイシンプトンは腕や足といったパーツタイプと目や耳に鼻などの感覚タイプに分かれるが、全てひと括りにエーアイシンプトンと呼ばれた。

彼等が複数人集まるとエーアイシンプトンズという呼び名になる。

因みにシンプトンは症状という意味だ。


現在、この世の中にはそう呼ばれる人間が多くはないが複数存在し、彼等を神のように崇める者もいれば差別的な目で見て理由もなく嫌う者もいる。

世界各地に彼等は存在しているが、どの国の政府も彼等は危険だという意見が一致している。

彼等を生んだ親は多額の保証金を毎月国に納める義務が生じ、それが不可能だとなると我が子を幼い頃から施設に預けなければならずに子供達は国に管理される。

これには裏があり、そうしてわざと多額の保証金を課せる事によって国を潤すと同時にエーアイシンプトンズを管理して国が非常事態に陥った時に特殊能力を持った彼等を利用する為でもある。

施設は例外を除いて十八歳迄しか居留まる事を許されないが、そこを出た後には本人にその義務が課せられるので大人のエーアイシンプトンは保証金をなんとか自力で支払い続ける。

但し、国の非常時に自ら進んで兵力となり貢献した者に限り保証金は免除される。

故に極一部を除いてエーアイシンプトンは基本的には孤独で肩身が狭く、経済的にも恵まれない人生を送る羽目になる。

因みに極一部とは、経済的に豊かな家庭に生まれた者の事を差す。


サトルは世界的に見ても珍しい脳のエーアイシンプトンだ。

これは国家の一部の人間にしか知られていない事だが、エーアイシンプトンは実はランク分けがされていて一番下はCランク、その上にB→A→Sと一番上にはSSランクの五段階がある。

サトルはSSランクに更にプラスマークの付いたSS+という六段階目に属するこの地球上にも数名しかいない存在で当然危険度もそれだけ高いという事になる。

サトルが脳死状態で誕生してからあまり時間が経たないうちに両親は病院内で親権を破棄している。

その後、病院からすぐにこの施設に身柄を移されてサトルという名前もこの施設の職員達による投票の多数決で決定した名前だった。

だからサトルにとっては両親はおろか名付け親ですら曖昧な存在だ。


サトルはその能力のおかげで一般的な子供とは全く異なる成長を見せた。

物凄い早さで同時に複数ヵ国の言語を話し始めるという驚きの一面を見せたかと思いきや、赤ちゃんが誰に教わらなくても出来るような物を飲み込む事や掴むという事がなかなか出来なかったり、脳と身体を連動させる事が難しいようで、それらを習得するまでに何年もの月日を費やしている。

また、感情というものも殆ど持たずに欠落しているようだった。

しかし、その知能はコンピューターそのものと言っても過言ではなく誰に何を教わらなくともサトルは何でも知っている。

産まれてすぐに触れたAI機器が病院の医師の持つパソコンだったからなのか、取り分け医療に関する知識は世界最高水準だ。

(サトルが医学に明るい理由は実は他にもあるが、それはまた別の話。)

幼い頃は直接サーバーに触れないと習得不可能だった情報も十八年かけて脳が学習を繰り返した為に今となっては触らずとも世界中のありとあらゆるサーバーにリンク出来るようになっていた。

サトルの脳は地球上にあるエーアイコンピューターとほぼ同じように成長している。

そして、その脳は更に勝手に学習を繰り返して今後ももっと進化してゆくだろう。

故に当然の如く学校へ行く必要もなく、こうしてこの施設で十八年間暮らしている。

そもそもサトルが普通の子供達と同じように学校へ通う事は他の子供の保護者達が許さないであろうし、その子供達に与える影響を考えると危険過ぎる。

勿論、幼いサトル自身も様々な危険に晒される。

もしサトルが普通の子供だったならば当たり前に教育を受け、年齢の近い者達と共に時間を過ごしてどんな十八歳になっていたのだろうか。


「ハイロ、外のいい匂いがするね。これは緑の匂いなんだよ。」

サトルの顔を見上げていた唯一の家族であり、親友でもあるハイロが窓の外に顔を向けた。

「明日は散歩でもしようか?」

微笑みながら話し掛けて頭を撫でる。

初めて会った頃はサトルの小さな両手に乗せても余る程に小さかったハイロだが、今はその十倍近くの体重になっている。

綺麗に手入れされた薄いグレーの背中をゆっくりと撫でると気持ち良さそうに喉をゴロゴロと鳴らす振動が抱えた腕に伝わった。


幼少期の頃は殆ど監禁状態にあったサトルだが、成長に伴ってここ数年前からは少しづつ自由を与えられるようになった。

部屋の中を監視するカメラや盗聴機器も二年前には撤去されている。

とは言え、軟禁状態にある今も施設の外へは簡単に出る事を許されてはいない。

それは単にサトル本人が危険な存在だと認識されているのと同時に貴重な存在として守られているとも言える。

通常のエーアイシンプトンは十八歳ともなれば施設から嫌でも社会に出されるのだが、むしろサトルにはそれが許されてはいなかった。

今は仮に外出をしたいと思ってもその為にはいちいち面倒な手続きを取らなくてはならないのが現状で、外出申請を出したところで許可されるのは二割程度だ。


しかしサトルにはひとつだけお役目のようなものがあり、十歳の頃からエーアイシンプトンを熱狂的に崇拝する人間を集めた宗教団体の教祖として週に一度だけ集会に参加していて、それはサトルにとっては貴重な外出日となっている。

一般的な感覚の持ち主からは、こんな似非宗教染みた集会に八年間もよく通えるものだと思われそうだが、見張りと運転手付きではあっても集会が終わった後の貴重な自由時間や、この宗教団体をつくった人間がこの研究施設を建てた人間と同一人物という事実がある以上そう簡単にはお役目を無下にも出来ない。

創立三十年のこの団体は現在信者も四万人を越え、三年程前から宗教と言うよりは政治に絡む団体になりつつあった。

創設者の元々の意向としてはエーアイシンプトンズが差別されない世の中にする為に集めた人間達だったので、宗教団体を名乗るよりは別の団体名を名乗った方がこの先、色々と都合は良いだろう。

この団体の中にはサトルの数少ない友人のアイという目のエーアイシンプトンが幹部として働いている。

アイはサトルよりもだいぶ年上だが頼れる兄貴といったふうではなく、いつも対等に接してくれる優しい友人だ。

(そう言えば、アイは今頃何をしているかな…。この時間だったら教団の名簿整理とかの事務仕事だろうな…。)

「ハイロも久し振りにアイに会いたいよね?」

もの言わぬハイロだが、アイという名前を聞いた途端にサトルの顔を見上げて細長い尻尾をユラユラさせた。


現代の普通の十八歳がどんな日常を過ごしているのかサトルは知っている。

自分とは全く違う生活を送る彼等。

それを羨ましいと思うかと訊ねられたら返答に迷う。

そもそも他人を羨ましいと思う感情がいまいち分からないのだ。

サトルは何でも知っているが、その持ち得る知識と実体験が合致しないと感情が生まれにくい事も知っている。

何でも知っているが故に興味も湧きにくい。

体験が必要な事はよく分かっていても今の自分にその術がない事を知っている。

「明日の朝は晴れか……。」

曇天の空を眺めながら知りたいと意識するだけで自分の頭の中の天気予報が地球上の明日の天気と気温や湿度に降水確率に気圧、雲の流れを瞬時に教えてくれる。

簡素な部屋の中を数歩だけ歩くと病室にあるようなシンプルな白いベッドの縁に座り、膝に乗せたハイロを撫でながら頭の中で次はニュースを検索する。

一秒も掛からないうちに大量の新しい世の中の情報が整理される。

「あれ?これ……なんだ?」

ふと、地球の裏側で起こった小さなニュースが気になった。

サトルが何かを気にするなんて珍しい。


そのニュースは小さな村で一夜にして突然村民十数人が眠ったまま目が覚めないでいる、というものだった。

眠ったままの村民が病院に運ばれて検査を受けた結果、全員植物状態と診断されたのだという。

一晩にして同じ場所でこんな偶然が重なるような事が起こるなんてある訳がない。

しかも未だに原因不明だというのにどうしてもっと大きなニュースにならないのか……?

疑問が沸いたと同時にこのニュースに関するどんな些細な情報も全部漏らさず頭の中でひとつに集約する。

その後サトルの得意技とも言える計算と統計と予測が始まった。

「まずいな……これは……。」

サトルが基本的にこのような感情を抱くことはまずない。

これは焦りの感情だ。


サトルは九歳の時にある事件がきっかけで人の命の重さや儚さを知った。

だからこそ、今はまだ小さなひとつの村で起きた怪事件としてしか取り上げられていないこのニュースが気になった。

サトルの予測が正しければこれは単なる偶然ではなく何かの病であり、あと数ヶ月と経たないうちに地球全体に蔓延するだろう。

そして数千万人が植物状態に陥ってしまう。

サトルの予測が現実化する確率は九割以上だ。

「原因だけでも突き止めないと……。もっと情報が必要だ。」

そう呟いた時にふと思った。

これが正義感というものなのだろうか?

否、サトルには基本的に正義感というものは存在しない。

正義というものは時と場所と法律、それとそこに存在する者が変われば平気で真逆のものとなる事をサトルは知っている。

そもそも人を助けたいと思う気持ちは本当に正義なのかサトルは考える。

サトルが知り得る情報では正義感にも様々な理由が付き纏うという事だ。

では、今の自分はどうだろう?

このどうにかしないと……という気持ちは何なのだろう?


Q.自分は純粋な正義の味方か?

A.いいえ。

Q.自分ならばこの病を治す事が出来るという事実を世に知らしめる為?

A.いいえ。

Q.自分という存在を世の中に知って貰いたいから?

A.いいえ。

Q.新種の病に興味がある?

A.はい。

Q.純粋に人を助けたいだけ?

A.いいえ。

Q.人を助ける事で自分が救われたい?

A.いいえ。


サトルはよく頭の中で自問自答を繰り返す。

今回の結論は単純だった。

この未知の病に興味が沸いて殲滅してみたいと思ったから。

ただそれだけだ。

まずは発端であろう地域の気候や村の地形とそこに住む人間達はどのような生活を普段送っていたのか、また、彼等の遺伝子情報にそれから初めてその病を罹ったと推測される人間の入院記録と現在どのような検査や治療が行われているのか……等々。

世界と常に繋がっているサトルにとってこれらの情報を手に入れる事は朝飯前だ。


膨大な量の情報を整理していくと、ひとつの仮説が浮上した。

いや、仮説というよりほぼ真実だろう。

「脳に寄生するアメーバ…。」

原因は水。

このアメーバは雨水や水道水、海や川や池、綺麗な湧水、水溜り。

全ての水に対して生息可能である。

そして身体の主成分が水で出来ている人間から人間へも…。

それは目や鼻、皮膚の小さな傷口から気付かずいつの間にか身体の中に入り込み数日かけて脳へと辿りつく。

脳に到達するまでは検査の術もなく無自覚、無症状なのも厄介だ。

そして脳に寄生された人間は数時間~数日後に植物状態に陥ってしまう。

また、このアメーバが好んで寄生するのは人間の脳の一部と決まっており、有難い事にその他の部分は正常を保てている事と人間以外の生物に寄生しない事が判明した。


ただ、今現在どこを探してもここまでの原因究明と現状把握はなされていない。

まずは植物状態の人間を元に戻すべくサトルはいとも容易く治療方法を考えついた。

その方法というのはサトルが開発したチップを脳に埋め込むだけの簡単なものだ。

そもそも人間の脳というのものは半分以上使われないまま生涯を全うする。

アメーバが寄生してしまった部分を取り除き、代わりに今まで使われていなかった脳の一部分にチップを埋め込み、チップから常に微弱な電気信号を流す事で脳を活性化させ、記憶等も損なわず今まで通りの脳の状態に戻す事が出来るというものだ。

但し、このチップの本当の仕組みを理解出来る者はこの地球上ではサトル以外にはいない。

これは人には到底理解出来るシロモノではないし、それは例えるならば宇宙の原理を全て理解しろと言っているようなものなのだ。

それでも脳の専門家と相応の技術者がサトルの指示通りに作成すればチップを完成させる事が可能ではある。

説明書にチップの製造方法と完成図、埋め込み手術の手順と病の原因、現状、今後の予測と対処方法。

これらをひとつのデータにまとめ、匿名で入院患者のいる病院のコンピューターに送信した。

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