第2話


 来客用の駐車場に車を止めたら、「ご用のかたはこちらまで」と張り紙のある通用口を覗き込む。すると事務員さんが現れ、事情を話すとどこかへ電話をかけている。周りに掲示されたプリントを眺めていたら、廊下の向こうから小柄な女性が、小走りでやってきた。

「さっ、ささささ……」

 軽いデジャヴュ。おそらく「笹原さん」と言いたいんだろうと勝手に解釈して、私はペコリと頭を下げた。


 保健室の入り口は引き戸だった。取っ手に手をかけた佐藤先生が横に動かすと、ガラガラとにぶい音がした。どこか懐かしさを感じたけれど、ベッドを仕切るカーテンがきっちり閉められているのが見え、妙な緊張が胸に走る。

「笹原さん。お母さん、来てくれたよ」

 カーテンの隙間からなかを覗き込みながら、佐藤先生が言う。でも綾音の声はしない。ベッドで寝返りでも打ったような、衣擦れの音が聞こえるだけだった。


 

 ため息をつくような素振りを見せた佐藤先生が、こちらに視線を向ける。いったいどんな意味があるんだろう……と考えたあと、自分を差して首をかしげてみた。すると佐藤先生はコクコクと頷き、手招きをする。

 おそるおそる近づき、カーテンのなかを覗き込んだ。そこにはすっぽりとタオルケットを被り、背を向けてベッドに横になる彩音がいた。

 

「綾音、大丈夫?」

 尋ねても返事はない。

「綾音?」

 もういちど口にすると、佐藤先生も「笹原さん」と続ける。

 すると綾音は怠そうに、のそりと体を回転させ、トロンとした眼差しをこちらに向けた。



「先生、ご迷惑おかけしました」

 綾音を車に乗せたあと、駐車場まで見送りにきてくれた佐藤先生にお辞儀をした。来たときよりも深く、丁寧に。

「い、いえ。私もびっくりしちゃって。本当なら、携帯に電話したほうがよかったですよね。なのにこんなので……いろいろと、すみませんでした」

 佐藤先生はペコリと頭を下げたあと、照れくさそうに笑った。そして肩をすくめたかと思うと、急に真剣な表情で「あの」と呟いた。


「綾音さん、給食を食べてないようなんです。ここ一ヶ月くらいのことなんですが……」

「えっ?」

 もともと食の細い子だ。心当たりもあったけれど、言葉が出ない。

「私もずっと見ていられなくて申し訳ないのですが……ひと口、ふた口手を付けるだけみたいで。『もっと食べたら?』とは言ってみたけど、その……無理強いは……」 

 顔をうつむかせた先生は、マスカラで伸ばしたまつ毛をパチパチさせた。


「あまり踏み込んじゃいけないとは思うのですが……。ご家庭で、変わったことはないですか? 私が知る限り、学校ではいつもどおりのようなので」

 その問いに、どくんと胸が鼓動した。心当たりがぞわりと疼いて。

 

「家で、綾音と話してみますね」

 胸を支配するものを押し隠し、私は言った。なにかを感じ取ったのか、コクリと頷いた佐藤先生は「よろしくお願いします」と、また頭を下げた。



「どうもありがとうございました」

 もういちどお辞儀をして、車に乗り込む。全力で冷気を吐き出すエアコンで乱れた前髪を整えたあと、シートベルトをカチリと締めた。

「綾音。一応、病院に行こうね」

 返事がない。ルームミラーで後部座席を見てみると、そこには涙を流しながら外を眺める綾音がいた。


――どうして泣いているの?


 訊きたくても言葉にできなくて、私は静かにアクセルを踏み込んだ。

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