わたしのステラ
文月八千代
第1話
突然響いたベルに、肩がビクリと跳ねた。
昼ごはんのカップラーメンを平らげ、デザートにバーアイスを1本。窓の外で照りつける太陽を一瞥したあと、エアコンの設定温度を2度下げる。ゴウゴウと大きな音を立てながら吹き出る冷風のおかげで、体が心地よい眠気で包まれて……そんな、出勤前のひとときを壊されて。
ハッとしたあと、ダイニングテーブルに置いてあったスマートフォンを取る。でもよく見てみると、画面は真っ暗。おまけにシン……と静まり返っていた。
「あれ?」と首をかしげながら、まだ続く音のほうへ耳を傾ける。すると発生源は、キッチンカウンターに置かれた固定電話だと気付いた。
「珍しい……。いったい、誰からだろう?」
普段電話といえば携帯がほとんどだから、久しぶりに聞くベルの音に違和感を覚えた。しかし相手を待たせてはいけないと、足早に電話のほうへと向かった。
「もしもし?」
受話器には、うっすらと埃の感触があった。それを指先でなぞりながら耳にあてると、若い女性の声が聞こえてくる。
「もしもしっ! あのっ……笹原さんのお宅、でしょうかっ?」
妙に焦ったような口調で。
「あの、どちらさまでしょう?」
どこかで聞いたような声だけれど。不信感を抱きながら尋ねると、慌てた声がふたたび耳に届く。
「すっ、すみませんっ! 私、遥川中学校教諭の、『サッサトウ』と申しますっ!」
遥川中学校。娘が通っている学校だ。でも「サッサトウ」なんて先生はいただろうか? しばらく首をかしげながら黙っていると、また声がした。
「ええと。2年3組……笹原綾音さんのクラスの担任で……」
さっきより少しだけ落ち着いた声。私の脳内に立ち込めていた「?」の霧は次第に晴れ、「サッサトウ」が「サトウ」を意味していたことにようやく気付いた。
「あ、ああ、佐藤先生! いつも娘がお世話になっております」
すぐにわからなかったことに少しだけバツの悪さを感じながら、それを悟られないよう丁寧に挨拶をした。
コホンと小さく咳払いをすると、佐藤先生は聞き慣れた口調で話を始める。
「実は、笹原さんが学校で倒れて……」
「あ、綾音が?」
どくん、と心臓が跳ねた。それを表すように声も裏返る。
「あっ、といっても意識はあって……養護教諭の話では、貧血のようなのでご安心ください」
「は、はぁ……」
ご安心と言われても安心なんてできないけれど。でも、重大な事態ではなさそうで胸を撫で下ろした。
「いまは保健室で休んでいて、本人も授業に戻ると言っているのですが……。念のため、病院を受診したほうがいいと思いまして……」
申し訳なさそうに話す佐藤先生に、私は「そうですね、わかりました」と答えた。
遥川中学校は、自宅のアパートから徒歩10分。平坦な道が続くため、通学に苦はない道のりだ。だから学校行事で訪れるときは、てくてくと歩いて向かう。ほんとうは今日もしたかったけれど、体調の悪い彩音のことを考えると……。
午後からシフトが入っている勤務先に連絡をすると、用が済むまで時間休をくれるという。「迷惑かけてしまったな」と思いながら、ソファに放り投げてあった車のキーを手に取った。
玄関のドアを開けると残暑の熱気が押し寄せてきて、無意識に「うっ」と声が漏れた。これが買い物みたいな私用だったら、いちど引き返して、日が沈んだころに出直してしまう。
「綾音……」
いまは娘を思い、閉めかけてしまったドアを押し開ける。そして外への一歩を踏み出した。
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