生き物たちのカノン
雪待ハル
生き物たちのカノン
「そっちは行っちゃダメ」
そいつはそう言って、わたしの袖を引いた。
「行ったら戻れなくなる」
「・・・・」
仕方なく振り向けば、目の前にそいつのでっかい口があった。
わたしはため息を吐いた。
「・・近い」
「アッ、ごめん」
不機嫌なのを隠さずに言えば、そいつは慌ててわたしの袖を放して距離を取った。
足音は立たない。そいつは浮いているので。
そいつはまるでジンベエザメのような見た目をしていた。
魚、でかい、平べったい、目と目が離れている。あと口が横に長い。
で、宙にぷかぷか浮いている。海の中を泳ぐように。
そんな不可思議なイキモノが、真っ黒な体に黄色い瞳をしてわたしに言うのだ。
「ひとりきりになっちゃ、ダメだ」
「・・・・」
わたしは眉をひそめる。何だよ、それ。
そんなのわたしの勝手だろ。
アンタの知ったこっちゃない。
そう言おうとして、
「方法が分からない」
と口は動いた。
そんなつもりはなかったのに、目からは涙があふれた。
そんなわたしに、そいつはぱちくりとまばたいた。
「ひとりきりにならない方法が分からない。だから、もう何もかも終わりにしたい。もう疲れたよ」
そんな事言うつもりじゃなかったのに、始めから言うつもりだったみたいに、言葉が次から次へと転がり出た。
それを、目の前のそいつは黙って聞いている。
黙って聞いていたが、唐突に口をがぱっと大きく開けた。
「ッ!?」
わたしは息を呑んでのけぞった。何だ!?
そいつはそれまでと口調も声音も同じまま、こう言った。
「じゃあ、食べちゃおう」
「・・え?」
思わずわたしは聞き返した。
こいつは、今何と言った?
目の前の異形のイキモノがにっこりと笑う。
「だから、食べちゃうんだよ。キミをひとりきりにしたすべてを」
「はあ!?」
わたしは大きな声を上げた。それだけこいつが今言った事は受け入れがたい事だった。
「シャーク」
わたしは相手の名を呼ぶ。わたしが名付けた名を。
「わたしはそんな事望んでない」
「どうして?」
「わたしがひとりきりになったのは、誰のせいでもないからだ」
「キミのせいだって言うのかい?」
「それは・・・分からない。わたしに何かひとりきりになってしまうような要因があるのかもしれないし、ただ単にわたしという人間と合う人がいなかっただけなのかもしれない。だから、」
すべてを憎むなんて事は、できないよ。
そこまでわたしの話を聞いたシャークは、目をすうっと細めて口を閉ざした。
何だかとっても不服そうだ。
「・・・シャーク・・・」
――――本当は。
本当は、わたしはひとりきりなんかではないのだ。
(だって、わたしにはあなたがいるから)
夢の中に会いに来てくれる、わたしのたった一人の友達。
子どもの頃からずっと、一緒にいてくれた味方。
あなたがいてくれなかったら、わたしはきっと、ここまで生きる事はできなかっただろう。
だから――――ありがとうと思う。
ここまで離れないで一緒にいてくれてありがとう、と。
けれど、もう限界なのだ。
生きる事、人と関わっていく事に、自分は疲れ果ててしまって。
だから、
(もうさよなら、だ)
覚悟は決めた。
先程シャークにそっちには行くなと止められた扉、あそこを通れば全部終わらせる事ができる。
シャークには悪いけど、わたしは
「よし分かった」
「ん!?」
唐突にシャークが目をカッ!!と見開いて言うものだから、わたしは思わずまばたいた。
「やる事は決まった。アスカ、とりあえず起きて。もう現実世界は朝だから」
「えっ・・」
「ほら、ほら!」
とん、とんと背中を押され、現実世界の扉へ体が向かう。
わたしは慌てた。
「待って――――わたしはもう、」
「終わりになんてさせないから」
一気に低くなった声にギクリとした。
わたしの背後にぷかぷかと浮くジンベエザメみたいな見た目の怪物は、怒っているのだと、顔を見なくても分かった。
こいつとは、それくらいの長い付き合いだった。
「そんなのはボクが許さない」
「・・・シャークあなた、」
「ほら起きる!」
「うわっ」
どんっ!!とトドメの一撃。
わたしはたまらず、開け放たれた扉の外へ躍り出る。
視界に広がるのは真っ白な光。
まぶしくて目を開けていられなくて、とっさにきゅっと目をつむる。
しばらくそうしていた。
息を吸い込んで、吐いて。
おそるおそる目を開けると。
見えたのは見慣れた自分の部屋の天井だった。
わたしはベッドの上で布団にくるまって横になっている。
現実世界に戻ってきてしまった。
自分にとって何一つ救いのない世界に。
隣の部屋から電子レンジの音が聞こえて、ああ隣人さんは早起きだなあと思って、
カーテンのすきまから朝日が差し込んで、ああ起きなきゃなあと思って、
寝返りをうったら視界の真正面にジンベエザメみたいな見た目の怪物が宙にふわふわ浮いてこちらをじっと見ていて、何だコイツと思った。
「おはようアスカ」
「何でいんの?」
「キミのそばにいたかったから。もうキミをひとりきりになんかさせないぞ!」
「このアパート、ペット禁止なんだけど」
「ペットじゃないぞボクは!!!!」
「でかい声を出すなお隣さんにご迷惑でしょーが!!!!」
・・・生きる事は、少なくとも今のわたしにとって苦痛に満ちていて、息をするのも辛いけど。
とりあえず、この不可思議なトモダチのおかげで、自分を見失う事はしなくて済みそうです。
本当はこっちに頑張って来てくれてすごく嬉しかったって事は、言うと調子に乗るから、言わない。
おわり
生き物たちのカノン 雪待ハル @yukito_tatibana
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます