退廃の箱庭(エデン)

深川我無

第1話 鼠色の空

 この街の空は鼠色で排気ガスの臭いがする。

 

 

 

 カーテンの隙間から注ぐ光は埃に乱反射して伸びたり縮んだりしていた。

 

 マイペースに鳴り続ける目覚ましのベルはこちらの状態などお構い無しで嫌になる。

 

 

 

「ったくよぉ……」

 

 

 

 擦り切れたタンクトップに薄汚れたトランクス。

 

 細く引き締まってはいるが栄養状態がいいとは言えない。

 

 

 

 彼の名はナナシ。

 

 誰にも本当の名を名乗らなかったせいで、いつしか周りの者達は彼をナナシと呼ぶようになった。

 

 

 

 

 ナナシはむくりと上体を起き上がらせると目覚ましのベルを止めて服を着、薄汚れた蛇口へと向かった。

 

 

 蛇口をひねると空気が漏れる音に続いて錆だらけの赤茶けた水が吹き出す。

 

 しばらく眺めているとなんとか飲めそうな色をした水が頼りない線を描いた。

 

 

 ポリタンクを乱暴にあてがって水を溜める。毎朝の日課。水は朝のこの時間しかまともに出ない。

 

 

 

 歯を磨きながらナナシがカーテンの外を眺めると街のあちこちから蒸気と黒煙が立ち上っている。いつもと何も変わらない景色。

 

 

 

 

 薄汚れたビルには電線とパイプが張り巡らされ、不法に増築を繰り返す街は日毎に大きくなっていく。

 

 

 怪物を閉じ込めるラビュリントスの方がお似合いのこの街を、住民たちは皮肉を込めて箱庭エデンと呼んだ。

 

 

 

 

 

 ナナシは水を止めると13階の窓から外に飛び出した。

 

 

 

 背面跳びの要領。

 

 ふわりと重力から解放され……

 

 

 

 一瞬だけピタリと世界が静止する。

 

 

 

 そして一気に重力に囚われる。

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