ジャーキング
灰汁須玉響 健午
第1話
初体験は、中学二年生だった。
別に特別な思い出ではない。
当時、親友だった山本愛奈の二つ上の兄が、私達の中では、なかなか格好がよく、人気があった。
彼は私達の中学に在学中も女子から人気があり、高校に上がってからもそれなりにモテる存在のようだった。
私は、以前から彼が、私に少なからず好意があることを知っていた。愛名とは小学生からの友達だったから、当然その兄も当初からの知り合いということになるのだが、いつ頃からか、彼の私を見る目は、他の同性の友達を見るそれとは違っているのに気が付いた。
あとは、別に語ることのほどでもない。
二人で、出かけるようになって、それはいつしかデートと呼べるものになって、それを数回繰り返しているうちにキスされた。
私は別に特別彼のことが好きとか、そういうのではなかったけど、格好良いとは思っていた。
格好良い。みんなに人気がある。その上、私のことが好き。その条件は、思春期で背伸びのしたい盛りであった私にとっては一番手頃でかなり好都合だった。
優越感や憧れや、そういう、中学生と女性特有の何かを満たす為だけに、私は処女を捧げたのかもしれない。
もっとも、それは今になって振り返ってみた時に考えられることで、その頃の私は、今よりは幾らか『当事者』であり、それなりに気持ちも動かしていたに違いない。
とまぁ、別に良い思い出とは言い難いけど、決してセックスがトラウマになるような悪い記憶なんかでは全く無いのが、私の初体験だ。
プライドが高く、ええかっこしいの私は、きっと初めての物凄い痛みにも、作り笑いで耐えていたんだろうな、なんてことは、記憶が無くても容易に分かる事実だ。この痛みに関しても、物凄く痛いというイメージはあっても、それが実際にどれくらい痛かったのか、どんな痛みだったのかの記憶はすでにあやふやだ。ただ、笑顔で耐えている自分がバカにみたいに思えるほど、そしてそんな私の無理を鵜呑みにしてグイグイとねじ込んでくる彼に一瞬の殺意が沸くくらいには、痛かったことは覚えている。
さて――。
そんな初体験から四年余が過ぎ、その間に少ないとは言えないけど多いかといわれるとそこまででもない男性経験をしてきた私が、何故こんなことを考えるに至ったかというと、今まさに男性との行為を終えたばかりだからである。
別に自分の性生活を進んで語るほど羞恥心に乏しくは無いし、色々な計算を差し引いたとしても、こんなことを人様に言うべきではないことくらい判断出来る程度には高めの女子力と常識とモラルを持ち合わせた乙女であると自負している。
しかし、セックスを終えて、彼が束の間の悟りを開こうしてやや放置されているこの瞬間くらいは、自分の性生活に関して実に中年の親父くさい身もフタもない感慨に想いを馳せることを許してもらいたい。
私もまた、目の前の彼とは別の『賢者タイム』であるのだから。
「絃……」
悟りから帰ってきた彼が、目を細めて微笑み、私の名前を呼び、私の髪を撫でようと手を伸ばす。
その手をそっと、自分の手で受け止めた。
手を繋ぐように絡めて、私は彼の大きな手のひらを自分の頬へと当てた。
私はゆっくりと笑顔を作り、甘えるように彼の手の熱を確かめる。
ああ、つまらない。
今私に触れている彼が、では無い。
恋愛というものが、実に甚だ退屈なのだ。
恋愛には、小さな区切りが無数に存在すると思うが、その一番最初の大きな区切りがセックスだ。
ゲームでいうところの『一週目をサラッとクリア』が、セックスだと思うのだ。
セックスまで至らないのは、クソゲー。
ああ、違う。
セックスできないのがクソゲーなのではなくて、セックスまでしようとすら思えない恋愛がクソゲーなのだ。
つまり、軽くエンディングにまで向かいたくないほど退屈でつまらないゲームということになる。これは当然、途中で投げ出させてもらう。
感情移入できない。戦闘システムが気に食わない。グラフィックが微妙。音楽が良くない。あるいはその組み合わせかもしくは全部。
理由は様々だが、とにかくプレイ続行できない代物だということ。
そんなゲームはさておいて、一先ずエンディングまで行けるのが普通ゲー。今の状態である。
ここから二週目をプレイするのか、とり忘れたアイテムをとりに戻るのか、発見したが、行かなかったダンジョンに向かうのかを決めるのだが……。
大体私は、ここでやめる。
やりこむこともしないし、だらだらとプレイもしない。やり残しを回収するのも面倒くさい。
ゲームと恋愛の違うところは、すぐに電源を切れないところとリセットできないところ。
ああ、待って。
こんな風な言い方をすると、私が男遊びを楽しんでいるような少しばかり尻の軽い女であるように思われるかもしれない。
だけど、それは違う。私の持っている価値観を分かり易く説明するとゲームに似ている、ということであって、私自身がゲーム感覚で恋愛をしているわけではない。いつだって恋愛には……というか、セックスには女性側のリスクが伴うから、その辺の感覚は麻痺なんてしていない、はずだ。
「ごめん、私、行かなくちゃ」
私は彼の目を見詰めて、そう口にする。
別に嘘じゃない。
実際にこれからバイトなのだ。
夕方から夜にかけてはバイトがあるから、あまり時間がないのだと言ったのだけれど、彼はそれでも良いと会いたがった。
一緒に食事をして、カフェで少し話し、その後ホテルに入った。
彼とのセックスはこれで二回目。
一回目と何も変わらず、特別な感動も無い。
彼自身は……全く以って悪くない。
顔だってイケメンの部類だろうし、優しいし、頭もまぁまぁいいし、話題も面白い。
ずっとサッカーをしていたから体も締まっているし、背だって高い。
つまり、悪くないし、ダメじゃないのだ。
だけど、それだけ。
シャワーを浴びて、身なりを整える。
アルバイトはカフェで接客業だから、それなりに小奇麗にしておかないといけない。
私がメイクを整えている間に、軽くシャワーを済ませた彼がバスルームから出てくる。
こういう時、男ってラクだと思う。
私達は部屋を出て、そのまま駅前まで寄り添って歩く。
それも当然だ。だって私達はおそらく、彼氏と彼女なのだから。
「それじゃ、バイト頑張って」
「うん」
駅の改札の手前で、彼が私の頬に軽くキスをする。
私は小さく手を振って、駅のホームへと向かう。
ただの一度も、彼を振り返ることはなく。
彼の住んでる家は実家で、この駅とは別の線の駅にある。
ここから反対に歩いて五分ほどのところにある駅から、電車で四つめのところにあるらしいけど……実家ということもあって、行ったことはない。
私は電車に乗り込むと、ドアの窓に映った自分を見詰めてふと気付く。
鎖骨の下。ギリギリ服で隠れない部分に赤い痕を見つけてしまったのだ。
キスマーク。
「はぁ……」
バイト先に着いたら、ファンデーションで隠さなくては。
そんなことを考えながら、私はぼうっと、そのまま自分の顔を見詰めた。
自信満々になれるほどの美人ではないけど、私はそれなりに、自分の容姿に満足してる。
そこそこ整った顔は、メイクすればそれなりに綺麗に見えるし、まぁまぁ育った胸は、努力次第で素敵に見せることができる。
お尻は少しだけ小さいけど、もう少し筋肉をつければ、多少は大きくなるだろう。
背は百六十二センチ。
自分では少しだけ大きい気がしているけど、服のことを考えるとこの背も丁度イイといえる。
合格点。
でも、それ以上にはなれない。
まるで、要領の良い美術学生が、見やすい絵を模倣して描いた、当たり障りのない絵画のようなものだ。
そこには味や個性や趣はなく、ただただ、見やすいだけの絵。誰にでもコピーの出来る絵。
それでいいじゃないかという人は多いだろう。
これ以上を望むのは、贅沢だと。
でも――。
『合格点』にはなれても、『特別』にはなれない。
私、七枷 絃は、それを酷く、虚しいと思うのだ。
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