白い願い、黒い願い
翡翠
白の願い、黒の願い
「あぁ、刑事さん」
白いパーカーを来た男が言う。その男と向き合うように立っているのは、黒いトレンチコートを来た女だった。
「何があぁ、刑事さん、だ。そんな事しても意味はない。こっちに来い」
あくまで落ち着いた口調で、でもどこか優しさを感じる口調だった。それも、その場しのぎではなく、ずっと前からお互いを知っているかのような。
「はは、何言っているんだ。お前がこっちに来いだなんて……」
笑いながらも、白いコートの男は下を向いていた。
そこはビルの屋上で、下には赤色に光が沢山見える。パトカーの赤色灯だろう。
「どうしても、身を任せる事はしないのか」
女が言うと、男は少し空を見上げた後に腰を下ろす。
「それはしないかな、自由じゃなくなる」
空が一瞬光る。雷が遠くで起こっているのだろう。そのうちここも雨が降る気配があった。
「貴様は昔から、旅ばかりしていたからな」
その言葉に対し男は大笑いしながら応える。
「はは、それならお前は引きこもりじゃん」
女は少しむっとした表情をする。
「仕方がないだろう、あれは……、そういう役割だったのだから……」
その様子を見ながら、男は微笑む。女が続けて問う。
「貴様だって、今も昔もぷらぷらとだな」
「あー、はいはい、分かってます分かってます。どうせこれまでの人生ずっと根無し草ですよー」
「あ、すぐそうやって適当になって……、貴様それでも勇者か」
勇者という言葉に、一瞬の静寂が2人に流れる。
「懐かしい呼び方するなぁ、勇者か」
女は申し訳なさそうに、少し間を置いた後に謝罪するが男は軽く流す。
「おいおい、そんな謝るなよ。そりゃ今は世界を敵に回した犯罪者だからな。俺じゃなかったら、勇者のくせにって言いたいのかって、キレる奴はいるかもしれないけどな」
女は言葉に詰まって黙り込んでいる。
「でも、仕方ない――」
「仕方なくなんか無い!!!!」
男は思わず身体をびくっとさせてしまった。
「こわ……、流石は魔王、本気出すとおっかないなぁ」
さらに眉間にしわが寄る女。
「うるさい……。それに事実だ」
男は背中を向けながら言う。
「なんで……、そんな心配してくれるんだよ」
女は手で拳を作り震わせながら言う。
「心配なんかじゃない…!! ただ、ただ私は! 貴様がこれまでどれだけ世界の為に戦い、傷つき、己を犠牲にしてきたかを知っている! だから、そんな貴様を切り捨てようとするこの世界に怒りを感じるのだ……!!」
上空からヘリコプターが2人を時折ライトで照らす。その度に、どこか女は苛ついている事が分かった。
「おかしな話だよな、前はお互い戦って戦って、戦いまくったはずなのに、今じゃお互いの身の心配までしてさ。俺はあくまでさ、人の味方なんだよ。だからこの機械が世界を主導して、知らず知らずに蝕んでいる世界じゃ悪者なんだ。人を助け、人を支配する者に反逆する存在。それが神様が定めた勇者の定義だ」
「それに対して、私の役目は人を亡ぼし、人を支配する、もしくは支配する存在を増長させる事」
男は頷きながら、親指を立てる。
「そうだ。だからさ、この世界じゃどうしても、もう扱いが勇者じゃないのは仕方がないんだよ。ここで幕引き、負け戦って事だ。……、なぁ、タバコあるか?」
女はコートのポケットから静かにタバコを取り出し、男に歩み寄って差し出す。
「ありがとう、っていうか吸うのか?」
女は少し恥ずかしそうにしながら
「吸わない。でも、今日はそんな気がした」
「……、そっか、ありがとう」
女は予想外の返答に驚きを隠せなかった。
「笑わないのか……?」
タバコに火を付けながら男は応える。
「いや……、この世界で生まれてきてから、思いやりを受けた事ってなくてな。ちょっとそれを思い出して、染みるものがあったんだよ」
タバコをしまいながら女は俯き話す。
「今まではずっと、人と魔物の関係だったけど、現世で初めて人と人、初めて対等になった。それで気が付いた事も沢山あるのだ。……なぁ、飛び降りるのか?」
女が聞くと男は天を仰ぎながら少し迷ったような表情で
「うーん…、まぁそれしか今できないだろうしなぁ」
と答える。空に向かってタバコの煙が漂っては、風に吹かれて消えていく光景が、妙にこの間に似合っていた。
「痛いぞ」
不意に女が言う。それを聞いて男は少しばつが悪そうに苦笑いする。
「あー……、それについては本当にごめん。毎回俺に倒されてるもんな……」
「毎回倒されているくだりに少しいらっとしたが、経験からして間違いない」
「なぁごめんって!」
お互いに少し和んで笑みがこぼれる。
「魔王、いま家族いるのか?」
急に踏み込んだ内容に、女は少し動揺する。
「な、なんだ藪から棒だな。……、いない」
「なんだ、俺みたいな根無し草犯罪者ならともかくとして、お前なら平穏な人生にする事だって出来るだろうよ」
それを聞いて少し女はあきれる。
「そんな事出来たらな、今こうしてビルの屋上まで貴様を追いかけてはいない。宿命だからな」
「確かになぁ……」
そう男が諦めたような笑いを浮かべながら呟く。
「もう一本もらっていいか」
「貴様健康に悪いぞ」
男は屈託のない笑顔を浮かべながら大笑いする。
「魔王のお前が健康に悪いって……!! やめてくれ」
腹を抱えて笑っている男に、女はタバコを箱ごと投げつける。
「ごめんって……、でもほんとさ、こう話していると勇者と魔王なんて呪われた宿命が無ければ、なんか気軽に色々と話せる関係だったんじゃないかなと思うんだよな」
少し困ったような表情をしつつ、女は頷く。
「なぁ勇者よ」
「なんだ?」
男がそう答えると、女はコートの内側からリボルバー式の拳銃を取り出した。
それを見て男は、それにそっと手を当てて言葉をかける。
「やめておけ、大丈夫だ」
女が申し訳なさそうに拳銃を見つめる。
「お前は敵ながら本当に昔っから仲間思いだったからな。同族の為なら危険を惜しまなかった。だから多分、俺が苦痛を最も伴わない手段として、持ってきてくれたんだろう。……悪いな、そんな気を使わせてしまって」
女が少し涙を流していた事に、男は大きく動揺した。
「おいおいおい、大丈夫だって! お前、やっぱり人間になってから情にもろくなって……、いや……、ありがとう……」
数分して落ち着いた後に、ふと女が口にする。
「私達に限らず、人もそうだ。それぞれ役割を持つようになり、いつしかそれが自分なのか、自分ではないのか分からなくなってくる。役割を演じる事で感じる苦痛は、間違いなく本心からの叫びだと言うのに、それを弱さとして役割が押しつぶす」
それを聞いた男は、少し悪い笑みを浮かばせながら言う。
「それじゃさっきの涙は、役割じゃない涙なんだな」
女が文句を言いたそうな表情をしながら、男の横腹をどつく。
「ぐっ、お回りさんこの人暴行してきます……!」
「私がお回りだ」
ぶっ、と男はまた吹き出したのちに笑う。
「お前お笑い向いているかもな」
「いい加減にしないと殴るぞ」
「ごめんごめん」
ふざけ合った後に、女はぶっきらぼうな言い方で問いかけた。
「なぁ……、その、私が倒された後って、どうなんだ?」
男は一瞬よく意味を理解できなかったが、よく物語である因縁のライバルを倒した後に燃え尽きたかどうか、みたいなものだと思った。そういえば、某大泥棒を捕まえようと必死に追いかける男がいて、捕まえたらその度に燃え尽きた挙句に逃げ出さないかと思ってしまっている、なんていうのもあったな…と男は思い出していた。
「おい、どうなのだ」
「あぁ、すまん。正直な、暇だった」
暇だった、という雑な回答にきょとんとする女。
「暇?」
思わず聞き返す。それを見た男は少し驚きながらも続ける。
「お前そういう表情も出来るんだな。そうだな……、大きな目的も無くなって、どこか欠けたような毎日を送っていたよ」
それを聞いて女は少し沈んだ顔をする。
「そうか……、今度は私がその番か」
それを見て男が少し慌て気味にフォローする。
「いやいや、いってもだぞ、少し何か感じるなーくらいで、そんな重症な感じじゃないぞ!」
「……ふふ、さすが人の英雄、勇者だな。励ますのも一流だ」
男はあまり嬉しくなさそうな声色で続ける。
「でもなんか、そう考えると残して先逝ってしまうのも、気が引けてきてしまうな」
「……、でも逝く以外の選択はないのだろう」
男は頷く。
「今まで私は、その場や集団から出ていく側が寂しい想いをするのだと思っていたが、こうして残って見送る側も、同じくらいの想いをしているのだな。今になって知ったよ」
男はタバコを地面に擦り火を消しながらも、
「そうだな、俺が抱いていた感覚もそれなのかもしれない」
そう相槌を打った。そんな中、雨が降り出して来た。
「あー……、雨か。ずぶぬれってのもあれだし、そろそろ逝くかな」
「そうか……」
二人は立ち上がり、どこか心残りがあるような雰囲気が漂った。
「なぁ、魔王」
すでに女は物悲しい顔をしていた。
「なんだ」
わざと不愛想に返事をしている事が分かる。あまり親密になると、別れはそれだけ辛くなるからだ。
「次ももし生まれ変わって覚えていたらさ、ちょっと……なんというか、今度は戦わないで、さっきみたいな馬鹿な話しながら一杯やらないか」
それを聞いた女はより顔を地面に向ける。堪えていたはずなのに、コンクリートの地面に雨とは別の何かが濡れた後を残した。
「あぁ……、そうだな」
男は微笑みながら、ありがとう。と答えた。
ビルの端まで歩むと男はいよいよだな、という顔付に変わった。
あとは一歩を踏み出すだけ、その時。
右手に温もりを感じた。振り返ると、女がただ黙って男の右手を握っていた。
暫くの静寂の後、女は顔をあげて言った。
「今回は奇しくも私の勝利だった。だが、これまでのようにきっとこれからも、どちらが勝っても、またどこかで巡り巡って戦いは続く。だから……、今日の事は忘れないでほしい」
「あぁ、お前こそ忘れるなよ!」
――右手の温もりが失われた瞬間、男の体は重力に身を委ねられた。
***
「我が国の民よ、聞け!!」
中世を感じさせる城から、大勢の群衆に向けて語り掛ける王と思われる姿があった。
「我が国の勇者は! 勇敢にも魔王と戦い接戦の末、相打ちとなった!」
群衆がざわつき始める。
「勇者様が!?」
「この先一体どうなるんだ…!?」
動揺の声が湧きたつ。
「静粛に! たしかに勇者は命を落としてしまった、しかし! 我々人間を苦しめて来た魔王はもう居ない! そして何より、残党からは停戦の申し出があり平和的な解決に向けて歩んでいく。世界平和の始まりの年となるのだ!」
この年、43年に及ぶ人と魔族の戦争が終結した。
勇者は魔王と相打ちになり、魔族は魔王の独裁による戦争であったと意思表明し、途中で戦争を放棄。和平に向けて世界が歩みを進めていった。
***
「しかし……、この姿も懐かしいな」
少し恥ずかしそうな表情を浮かべながら、女は言う。
どこかで見覚えのある二人は、海の見える飲食店のテラス席に居た。
「まぁそう言うなよ、似合ってるしあの時の世界の姿だから、俺は親しみあるぞ。と言うか、こうしないと俺たちがアレだったってばれるし……」
男からの文句を言いにくい説得に、はーとため息を漏らしながら渋々、頬付けをする女。
「まぁでも」
お店の一角でフルーツジュースを飲む女は言葉を続けて
「こういう人生も、悪くないな」
男はそれを聞いて、親指を立てた。
「そうだろー!」
女は親指を立てた手をぱしっと払いながら
「すぐ調子乗る」
とあしらう。冷たいなぁ……と文句を男が言う。ふっと女が笑いながら、冷たくあしらった事をフォローするかのように
「だが、戦いの最中あの言葉はなかなか笑えて良かったぞ」
お前それは言わない約束だろー、と男が騒ぐ。
「どこの世界に世界を滅ぼそうとする奴に、なぁタバコあるか。って聞くのだ」
「それは仕方ないだろう! 実際通じたしそれがきっかけで思い出したんだし……」
「ふふ、まぁ……な」
女がジュースを飲み終えたころ、再び男が
「しかし実際さ」
椅子に座り足を組みながら、ゆったりと背に持たれながら男が言う。
「和平に向かう、とは言ったもの細かい問題は山積みだし、これからも起こるよな」
「そうだな…、それは間違いない」
サンドイッチを食べながら女は肯定した。
「なんもしないってのも暇だし、ふらっと無名の冒険者として旅しながらちょっと人助けってのはどうだろう」
呆れた提案に女はサンドイッチを手から落とした。
「な、貴様それでは結局ゆう……、えーと…、前と変わらんではないか!」
「まぁそうなっちゃうんだけど……」
男は頭をぽりぽりとかきながら応える。
「はー……、どこかそうなりそうな気はしていたが…」
その言葉を聞いた瞬間、男は背もたれから背中を離し前のめりで女のほうを見る。
「仕方ないな……」
「さすがだぜ!」
ただし! と女は男に勢いよく人差し指を突きつける。
「目立ちすぎないような」
「ある意味一番難しいな……」
元々が強力な力を持つ者同士、力をセーブしても十分に目立つ可能性がある為、男にとってはなんだかんだと一番難しい注文だった。
「でも!」
随分と気合のはいった声色に女は首を傾げる。
「あの時お前が俺のお願いを聞いてくれたから、これくらい聞くさ」
女は記憶が蘇り、恥ずかしさから下を向く。
「お客様、お待たせしましたエールですー」
お店の店員が冷えたエールをテーブルに置き立ち去る。
「タイミングの悪さ……」
女は少し萎れた表情をしながら、タイミングの悪さを呪った。
「さ、したら一杯飲んで行くとするか」
「飲みすぎるなよ……」
それから先、各地で無名の冒険者二人が常人離れした技や魔法で問題を解決しては、行方をくらませたという噂が流れた。勿論、二人の最後を知る者はいない……。
白い願い、黒い願い 翡翠 @jade15
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