第16話 美波の初夜。

「ねえねえ、海斗くんの子供が欲しい」

「はあああ?」

 書斎にノックもしないで入って懇願すると、呆れたようにコチラを一瞥して再びパソコンに向き直った。

「後で相手してやるから向こういっとけ」

 猫かあたしは、まったく海斗くんはイマイチ女心が分かっていない、デリカシーもない、今までの彼女はどうしてたのだろうか。

「浮気してやる」

「へ?」

「海斗くんが抱いてくれないから浮気してやるー」

「抱いてってお前……」

 海斗くんの言葉は無視して部屋を飛び出した、分かっている、子供を作ることなんてできるはずがない、でも、いったい自分は何のために現世に留まっているのか。海斗くんが言う通り、やり残した事があるから成仏出来ないだけなのだろうか。

 家を飛び出すと当てもなくブラブラと歩いた、連日の猛暑で外にはあまり人がいない、地球に恨みでもあるのだろうか、燦々と降り注ぐ太陽は容赦なくアスファルトを照らしていた。近くの公園には誰も遊んでいる子供がいない、日陰に設置されたベンチに座った。

 このままでいいのだろうか――。

 最近考えることはそんな事ばかりだった、このまま永遠に夏休みを繰り返す、変わらない自分とどんどん年齢を重ねる海斗くん、いずれ海斗くんもお爺ちゃんになって死んでいく、そうしたら美波はどうなってしまうのだろうか。誰も自分のことを知らない世界で永遠に生きていく事は死ぬよりも恐ろしいことに思えた。

「欲しいな、海斗くんの子供……」

 神様に聞こえるように声に出して呟いた、両親を訪ねて子供の大切さを聞いた事も影響しているのかも知れない、なにか現世において生きていた証を残したい。

 八年前にリセットしたはずの人生にはどういう訳か続きがあった、それはせっかく貰った命を簡単にリセットした事を後悔させるように神様が用意した罰なのかも知れない。

「暑くないのか」

 目の前に影が伸びる、その先には海斗くんがいた。

「すごい暑い」

「だろうな、ほら」

 細い缶のサイダー、去年の夏祭りで美波が好きだと言ってから家からストックが無くなった事がない。

「どうして海斗くんはそんなに優しいの?」

 もっと海斗くんが嫌なやつだったら、全然好きにならなければ、あの時話しかけなかったら、自殺なんてしなければ――。

「美波を愛してるからだよ」   

 生きている時に出会いたかった、夏休みだけじゃなくてずっと海斗くんの側にいたかった、結婚して幸せな家庭を作りたかった、二人の子供が欲しかった。 

「美波は海斗くんを不幸にしてないかな」

 ずるい質問。

「そんな訳ないだろ、馬鹿なこと言うな」 

 そう言うに決まってるよね。

「その、別に子供とかあんまり興味ないからさ、気にするなよ」 

 うそ、自惚れかも知れないけど、きっと海斗くんは美波との子供が欲しいはず、もっとずっと一緒にいたいはず。

「美波と海斗くんの子供だったらさ、ぜったい野球選手だよね」

 名前は何にしよう、女の子だったら、男の子だったら、そんな普通の会話が美波達には成り立たない。

「美波……」

「うそうそ、ごめんね、困らせちゃって、帰ろっか」

 

 その夜、ご飯を食べた後に少し話そうかと海斗くんが言ってきた、そう言えば今日は珍しくお酒も飲んでいない。

「うん、どうしたの」

 ダイニングテーブルで向き合った。

「えーっと、キスの事なんだけど……」  

 やっぱり、美波が我儘言って困らせるから海斗くんに余計な気遣いをさせてしまった。

「あ、いいのいいの、気にしないで」

 何もしてあげれないのに迷惑までかけていたらもう最悪だ。

「いや、やっぱりずっと避けては通れないし、ちゃんと話そう」

 海斗くんの推察では美波が実家の壁に貼っておいた目標、と言うより願望が全て叶った時に、謎の夏休みループは終わりを告げて無事に成仏するという事だった。普通の幽霊だったらそれで万々歳、あらたに生まれ変わって新しい人生を始める。輪廻転生を繰り返すのが正常な魂の在り方なのだろう。

「例えばさ、花火大会に行った時とか、海に行った後とか、目標を達成した時になんか変化とか起きなかったか」 

 なるほど、目標が達成されるたびに体が透明になっていき、最後には完全に消えてなくなる、的な事だろうか。

「あ、でも体がフワって軽くなった」

 なんて言うのか、少し体が浮くような、そんな微妙な変化だけど、それはただ気分が高揚した事に起こる脳内の出来事だと思っていた、実際にプロポーズされた時に一番それを感じた。

「そうか、やっぱりリスクがあるな」

 キスをするといなくなる彼女、なんて滑稽なんだろう、よくよく考えると益々自分が嫌になる。

「じゃあキスしないでエッチしよ」

 我ながらいい考えのように感じた、海斗くんだって男だ、きっと我慢しているに違いない。 

「え、いやでも、キスをしないでするってのはなんか、何ていうか、ほら、なんだ、その」

 おお、珍しく海斗くんが動揺している。そうだ、どうしてこんな簡単な事に気が付かなかったのだろう。まさに神の目を欺く抜け穴、そうと決まれば善は急げだ。

「ほらほら、どうぞどうぞ」

 とは言ったものの自分からどうするかは分からない。

「いや、じゃあちょっとシャワーを浴びてきます」

 ふう、ついに覚悟を決めたか佐藤海斗、これで少しは役に立つことができる、なんか風俗嬢みたいだけど。いやいや風俗嬢だって立派な仕事だ。 

 十分ほどでお風呂から出てきた海斗くんは冷蔵庫を開けると一心不乱にビールを飲みだした、なるほど、アルコールの力を借りるようだ、それにしても海斗くんぐらいの大人でもこんな動揺するのだろうか、もう何度も経験済みだろうに。

「海斗くんって童貞なの?」

 ビールを飲む背中がピクッと反応した。

「まあな」

 なぜかカッコつけている、そうだったのか、それは予想外だった。しかし悪い気はしない、お互いに初めて。なんて素敵な事だろう。 

 ベッドに移動するとお互いに向き合った、普通ならここでキスをして、自然とそういう流れになる段取りなのだろうが如何せんキスはNGだ。

「では、よろしくお願いします」

 海斗くんがペコリと頭を下げる。

「コチラこそよろしくお願いします」

 なんか試合が始まる前みたいだった。 

「どうしたらよろしいでしょうか?」 

「海斗くんのお好きなように」

 すると海斗くんは真綿のようにそっと優しく抱きしめてくれた。

「怖くないか?」

 あ、前に抱きしめられた時も聞かれた質問、あの時は確か、花火大会に行く前だ。そこまで考えて海斗くんの質問の意味に気が付いた。海斗くんは美波が無理やり強姦されそうになった事を知っている、その時のトラウマがあると思ってるんだ。

 ああ、結局いつだって海斗くんは美波の事を思って行動してくれる、その想いが嬉しくて少し痛かった。

「大丈夫だよ」 

 耳元で囁いた、それから何時間そうしていただろう、時計を見るとすでに深夜の三時を回っていた。童貞と処女の初めてのチャンレンジは見事に失敗に終わった、最後はなぜか二人で見つめ合って笑いあった。

「海斗くんにも苦手なことがあったとは、収穫だわ」

 真っ暗なベッドの上で見つめあう、もしキスが出来たら上手くいったのだろうか。

「ごめんな」

 なんかいつもより海斗くんが小さく見えた。

「全然いいよ、なんか楽しかったし」

「本当に美波はトラウマとかになってないのか」  

「大丈夫だよ、実際は何もされてないし、ちょっと胸触られたけど」  

「え、そうなの?」

「え、もしかして最後までやられちゃったと思ってた」

「いや、うん」

「めちゃくちゃ抵抗したからね、なんか写真は取られちゃったけどさ、でもショックなのは友達に裏切られた事だから」  

「そうか……」

 気がつけば今年の夏休みも残り五日、ただ楽しかった去年とは違って色んな発見があった、自分の存在意義を考えたのは初めてだったけど未だに答えは見つからない。そしてアッという間に最後の日は訪れた。

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