第2話
自室へ行こうとすると隣で歩いているシアが立ち止まった。
「どうかされましたか?」
服の裾をくっと引かれ手元を見ると小さい子のようにぎゅっと握られている。シアの睫が震えていた。
「ルナ、せめてわたくしとお揃いの首飾りだけは身に着けること。それがわたくしの条件ですからね。確認しに行くわよ」
思わずぎゅっとシアを抱きしめた。ありがとうを込めて。
「分かっているので来ないでくださいね。私が行く意味が無くなりますから」
「ルナ殿! ルナ殿! 洗濯室に来てください」
遠くからルナを呼ぶ声が廊下に響く。
「大変です! 桶が壊れて廊下まで水が溢れました」
バタバタと駆けてきた足音にそっとシアから離れた。
「じゃ、後片付けてきますので失礼いたします。洗濯室へ行かなければ」
慌てるルナの腕をヨンが掴んだ。
「何?」
理由が分からず訊いた。呆れたようにヨンは肩を落とす。
「どこに行く? 洗濯室は右に曲がるぞ」
「あっ! また間違えた」
「よくこれで一人でも大丈夫だと言えたものだな。シアを連れて室に戻るから何かあったらいつでも呼べよ」
ルナの頭を子犬のように撫でて去った。ヨンが触れたところがいつまでも熱を帯び、後ろ姿を見つめた。
騒ぎを治め、ルナの仕事を各自に振り分け終え自室に戻った。荷造りをすべて終える頃には夜が更け静かな時間が流れる。もう屋敷には戻らないかのように自分の持ち物を整理し終えると、筆を手に取った。墨に筆先を浸しすっと紙の上を滑らせる。
シアの世話に関しての注意事項を後任に引き継ぐために書き残していた。
一、二枚のつもりだったのが、書き出していると本のように分厚くなった。何十項目と書き出したらきりがない。
残った紙に何を書こうかと迷いながら筆をもう一度持った。
最後に書き残しておこうと気持ちを綴る。口に出せなかった想いが溢れていく。止めることができなかった。
『大好き。振り向いて欲しかった。いつも後ろ姿だけを追っていた。
苦しくていつも逃げたかった。拒絶されたら居場所がなりそうで怖くて気持ちを伝える勇気がでなかった。
もう誰かを想い愛することはできないだろう。でも愛する人から愛している人を引き裂けない。だってヨンも、シアも、私の大切な人。私だったらと思うほど自分が嫌いになる。だんだん卑屈になる自分の姿を見たくない。二人を嫌いになれないから私の心をすべてここにおいていきます。二人の幸せを願える私でいたいから』
ヨンを好きだったのはシアだけじゃない。
シアと付き合うまえからルナはヨンだけを見ていた。初めて会ったのはもう思い出せないぐらい昔のこと。ヨンだけに想いを寄せてもう六年が経った。ルナの初恋だった。
恋を終わらせることもできず、片思いのままでもいいからそばにいたら、いつか自分に振り向いてくれるかもしれないという僅かな望みで破裂しそうな心を抑えこめていた。絶対知られてはいけない気持ちだと独りきりで抱えて過ごすことに限界がきていた。シアのことも大好きで幸せになって欲しい。わざわざ自分のせいでシアからヨンを奪うことなどできない。近くに居ながらヨンをあきらめるのは無理だった。避けようとしても心が求めてしまう。だからどこか遠くへ行って忘れたかった。シアとヨンが目の前で手を絡ませて歩くたび。隣にいるのが自分だったらいいのにと思うたび。シアの目をまっすぐに見られなくなった。シアは何も悪くないのに避けてしまう自分が嫌いになる。二人から離れられる機会をずっと待っていた。
気持ちを綴った紙は破ってくず籠に入れ深く息を吐いた。
落ち着かせると笑顔を作りシア宛に置手紙を書く。
『シアへ
昔のように呼びます。私を必要にしてくれてありがとうございます。愛する人の傍にいられたのはシアが私を必要としてくれたから。お役に立つことがファ家で私の居場所を守ることだった。私を頼らなくてもヨンがシアを支えてくれる。どうかお幸せに』
すべてを書き終えたルナはヨンとの思い出のすべてが詰まった屋敷を巡って記憶を一つ一つ心の引き出しにしまおうと部屋を出た。
書物室に行ってみようと歩くが、ぐるぐると同じところを回るだけで迷ってしまい、あきらめて外に出る。何も考えないでふらふら歩いていると馬小屋にたどり着いた。いつもヨンが馬の様子を見に来てシアをこっそり呼んでは一緒に馬の毛並を整えていた。懐かしそうに柱に触ると後ろから声がした。
「ルナ? こんな夜更けに一人でどうした?」
「ヨン!!」
夢の中なのか幻覚なのか分からなかった。戸惑うルナだったが、次の一言で夢じゃないと確信した。
「寝つけないからと馬に埋まらなくても。俺ってうまくない?」
こんな寒い冗談を言うのはヨンに間違いない。即座に切り捨てる。
「違いますから。寒い冗談は親父の始まりですよ」
「やみつきになる寒さだろ。箸が落ちるだけで笑える年頃なんだから、俺の冗談ぐらいは笑えるよ」
「あ、あの――。その、えっと……」
言いかけて言葉を飲み込むと不思議そうにルナを覗き込む。
「どうした? 落ち込んだらここにきているだろ。言いたいことがあるなら言ってみな。俺がちゃんと聞くから」
一瞬考えたが頭に過ったのは、抑えていた気持ち。ヨンを見ていたら自然と口が開いた。
「――ヨンが好き」
無意識に思ったことが脳を通して考えることなく口に出た。ヨンの目が大きく開き、きょとんと丸くなる。そのまま固まったままヨンの態度にルナは自分がとんでもないことを言ってしまったことに気が付くとルナも動けなくなった。
(しまった!! 私は何を言ったの? 必死に隠してきたのに。なんで最後になって言ってしまったのよ。間抜けすぎる。お菓子が好きだぐらいに普通に言っちゃった)
ルナは自分の言ったことが信じられず固まった。背中から冷や汗がだらだらと流れる。それでもヨンは顔色を変えることなくさらりと口にする。
「知ってる」
(えっ? 知っていたの!? 嘘でしょ。ヨンがシアと恋仲になったときから避けようとわざと冷たく接していたのに。好きだと知られていたなんて恥ずかしい。絶対顔が真っ赤だ。ヨンは顔色一つ変えていないのに。冗談だと言う? それとも取り消そうか? 今取り消したら好きだと更に認めているみたいじゃない。どうしたら……)
頭の思考回路が静止しかけたとき、頭にそっと手が置かれた。
「よくできました」
驚きすぎて声が出せないルナの姿にヨンはくすっと優しく微笑んだ。ルナの頭をガシガシと撫でる。
見上げた瞬間――瞳が揺らいだ。嘘をついているときに出る癖に肩の力がぬけた。答えが分かっているだけに傷つけないようについた嘘だ。
(返事をかわされたら泣けないじゃない)
「暑くなってきたがまだ夜になると冷えるのに、上着も持たずに来たのか?」
ヨンに言われるまで忘れていた。部屋から夜着のままで出てきた。熱く火照るルナの体には丁度良かったのだが、一気に血の気が引いて肌寒い。
風を避けようと馬の前でしゃがんだルナの肩にヨンは自分が着ていた上着をそっとかける。
「風邪を引くだろ。大役を引き受けた体を壊さないようにしろ」
襟元を引き寄せ顔を埋める。
(ヨンの香りだ。あったかい)
ヨンもルナの横に腰を下ろす。
「ねぇ、ヨン」
「どうした?」
「シア様は大切?」
「とても大切だ。愛してる」
「シア様以外、瞳に映らない?」
怖くて少し声が震える。どうしてもはっきり聞いておきたい。
「そこまで問い詰めなくていいだろ。ルナが居なくても浮気しないよ。ルナがシアを好きなのは十分知ってる。シアを俺が奪ったから取られて悔しいだろ。こいつめ~」
「いいえ。シア様が私ばかり先に構うから拗ねていたくせに」
「やっと俺が独占できる」
「シアはとても大切だし、シアが俺のすべてだ。ルナのおかげかな? 俺たちを出会わせてくれたのもルナだったな。今でも感謝してる。ありがとう」
(忘れてなんかない。シア様とヨンを会わせたのは私よ。剣の稽古を嫌がるシア様を仲間がいたら嫌がらないと思ってヨンと一緒に稽古をしてもらおうと将軍にお願いしたのは私だから。それまではヨンに私が教えてもらっていたのにな)
「ルナに大切な人が現れてくれることを願っているけど、俺がそばにいないから悪い虫がつかないか心配だ。シアと組んで片っ端から悪い虫候補を蹴散らしているのに。変な奴なら俺が一から根性を叩きなおす。一瞬大人に見えただろ? そんなに本気にするなよ」
冗談のように誤魔化されたが、目が本気だと物語る。
「一度も男の子が寄ってこなかったのはシアとヨンのせいだったの? 私の問題だと思っていたのに。うわぁ、信じられない。ヨンが私の邪魔する必要ないでしょ?」
「妹を想う兄の気持ちだよ。俺が認めた男しか付き合うことは許さないからな。婚約者だっていうのも、ふざけた男なら王子だろうが関係なく反対するからな。俺が見極めてやる。男から見た方が信用できる。ルナ、他の男に隙をみせるなよ。どんな男でも野獣だと心得ろよ。何かされたら帰って来い。相手が誰であろうと仇を取ってやるからな」
「親が何も言わないのに、シアもヨンも私に過保護気味だから。私は子供じゃないのに」
「は、は、はっ。しょうがないだろ。ルナは一緒に育ってきた兄妹同然だ。可愛くて他の男にやりたくないぐらいルナが好きだ」
ルナは瞳を見開く。初めてヨンから「好きだ」と聞いた。一応、告白はヨンに通じていたということだ。うれしいのに胸の奥が締め付けられる。
聞きたかった言葉の意味とは違っているのは知っている。妹としてということでも満足だ。心に浸み込むようにゆっくり目を閉じる。今、ヨンのために出来ることがあるとすれば、負担にならないよう初恋として胸の奥にしまい兄として慕う気持ちだけを残すことだ。
落ち着かせるように深く深く息を吸った。胸の奥へ押し付けるように想いを隠していく。誰にも見えないぐらい深い場所に閉じ込める。
泣きたいような気持ちを抑え、息をふぅっと吐くと笑顔を作った。せめて笑ってさよならを言いたかったから。ヨンを六年間慕ってきた意地でもある。意識的に口角を上げる。見破れない嘘をついた。
「妹みたいに思ってもらえる私は幸せ者ね。私がいない間はシア様と一緒に悪ふざけは止めてくださいね」
「生意気だな。ルナは自分の心配だけをしていろよ」
ヨンはルナートの頭に手をのせて小さい子をあやすようにくしゃくしゃっと撫でた。
ぐっと胸を締め付けられるように苦しくなって、息ができないくらい押さえつけられているようだ。胸をぎゅっと握りしめる。
「それでは、行って参ります」
消えそうなぐらい小さな声で別れを告げ、走り去るルナの後ろでヨンは大きく手を振る。
――明朝、シアに注意事項をまとめた手紙の束を置いてルナは馬車に乗り込む。シアからもらった首飾りをかけ、ぎゅっと首飾りの蝶を握りしめた。
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