悪役令嬢と性悪執事は転生者狩りをするようです

@LOT164

序章「祓い手と執事」

序章1


「はあっ、はあっ、はあっ」


俺はバザールの人波を押し退け走る。後ろから追ってくる気配はない。それでも、息を切らしながら走りに走った。

目的地は街外れの駅舎だ。あそこには首都ヴァンダヴィル行きの汽車がある。時間的にはそろそろ発車時刻だ。多分、ギリギリ間に合う。

もちろん、切符は手元にないし席の予約もしていない。ただ、金はあり余るほどある。ヴァンダヴィルまで逃げれば、あとはどうにでもなるはずだ。


とにかく、今はこの街……シャロットを離れないといけない。このままだと、俺は多分「殺される」。


視界に、レヴリア国の国旗を掲げたドーム状の建物が見えた。やっとだ。距離にして目視で300mもない。

この身体の運動能力が高くて助かった。きっともう、大丈夫だ。安堵から涙が溢れ、視界が滲んだ。



それと共に、俺はどうしてこんなハメになったかを思い返していた。

……そう。どうして俺は、追われなきゃいけないんだ。





1時間ほど前まで、俺は人生の絶頂にいた。




「ここにある一番高い酒を持ってきてくれ。それと、娼婦の手配も。この街の最高の女を頼む」


俺はザックを床に置き、カウンターに1万オード札を50枚広げた。酒場のマスターが、「正気か?」とでも言いたげに訝しげに俺を見つめる。

そして、ペラペラと紙幣を検めると「偽札ではないようだな」と呟いた。


「当たり前だ。嘘だと思うならデズモント商会に聞いてみるといい」


「……しかし総額50万オード。酒と女の代金にしては、随分な額だ。他に何か用があるのでは?」


「白を切るなよ。ここがシャロット市の裏ギルドの受付を兼ねているのは知ってる。

ギルドの顔役に会いたい。最高のビジネスを持ってきた。これはその手付金だ」


「……ビジネス?」


俺は「おっと」と口にした。これでは通じないな。


「失礼、商売のことだ。無限に金を稼がせてやる。とりあえず酒と女だ。それを持ってきたら、具体的な話をしてやるよ」


短い白髪のマスターは、眉を潜めながら奥へと消えていった。多分、これから電話か何かするのだろう。


俺はカウンターの椅子に腰掛け、まだ人もまばらな酒場を見渡した。まだ日が高いうちから酒場に入り浸るような奴に、ろくなのはいない。


お通し代わりに出された干しナツメをつまんでいると、案の定というか奥の方にいた無精髭の大男が立ち上がり近づいてきた。俺の話を盗み聞きしていたのだろう。

その身体はアルコールと垢の入り混じった悪臭を放っていた。俺は思わず鼻をつまむ。


「随分と羽振りが良さそうじゃねえか、兄ちゃん。俺にも奢ってくれねえか」


逃げられないよう強引に肩を組んでくる。オーガか何かの血が流れているのか、相当な怪力だ。


「い、痛えな……。まずは放してくれ、話はそれからだ」


「お、奢ってくれるのか?……とりあえずそうだな、お前の有り金を全部くれねえか」


随分と図々しい要求だ。これから最高の酒を飲もうというのに邪魔された気がして、俺はイラッと来た。


「んなことするわけねえだろ」


「ああん?レヴリア国武術会の地区大会で準優勝したこともある俺様に逆らおうというのか??」


大男は胸ぐらを掴み、俺を持ち上げる。首が軽く締まって苦しい。



仕方ない、とりあえず「分からせてやる」か。



俺は男の太い手首を握る。「こんな弱い力で何をしようというんだ?」と言いたげに嗤う男の表情が、すぐに歪んだ。



くにゃり



男の手首が、まるで木綿豆腐のように潰され、そのままポトリと落ちる。


「ぎゃああああああっっっ!!!」


苦痛で男がその場にしゃがみ込む。手首の先からは鮮血が流れ出ていた。


「どうした!!?」


マスターが慌てて飛び出す。俺は肩を竦めた。


「どうも何も、見ての通り。金をよこせと絡まれたんで、オイタを咎めてやっただけだ」


「……お前が、ゲイブをやったのか……?」


「あ、喧嘩を売ってきたのはこいつだぜ。刃傷沙汰はご法度というなら、落ちた手首をくっつけてやってもいいけどな」


マスターはしばらく考えた後、「いや、いい」と溜め息をついた。


「ゲイブ、とりあえず出ていけ。そして二度と来るな。やっと厄介払いができた」


「て、てめえっ……!!」


「この男がお前の代わりだ。何より、無駄に高いみかじめ料を要求するんじゃなく、逆に50万オードも払ってくれる。図体が大きいだけのお前は、もう用済みだ」


ゲイブと呼ばれた大男はよろよろと左手首を押さえながら立ち上がる。そして歯を食いしばると、キックボクシングで見るような後ろ重心の構えになった。


俺はやれやれと首を振る。


「今度はお前の脚が落ちるぞ。死にたくなかったらやらないことだな」


「て、てめえっっっ!!!」


酒場の扉がバンと空いた。スーツに口髭の小男と、それを護るかのように2人の屈強そうな黒服が立っている。黒服には角が生えている……鬼人か。


「そこまでだ、ゲイブ」


「ジ、ジミーの旦那っ……!?」


「お前は好き放題やり過ぎた。穀潰しは俺のギルドには要らない」


ジミーと呼ばれた小柄な男が合図すると、鬼人二人が「消さないでくれええええ!!」と泣き叫ぶゲイブを両脇に抱えて外に連れ出した。


「あいつは?」


「もう用なしだ。放っておいても出血で死ぬかもしれないが」


流れ出る鮮血が店の外まで続いている。確かにそうかもしれない。


それにしても、この国では命が安い。いや、「この世界」では、か。

分かっちゃいたが、俺はその事実に背筋が震えた。


「……そりゃどうも」


ジミーがニタリと笑う。


「お前が、サンドバルの言っていた男だな。デズモンド商会からも話は聞いている。3000万オード相当の金塊を持ち込んだそうじゃないか。どうやって手に入れた?」


「それは企業秘密だ。ただ、望むなら幾らでも金塊は入手できるぜ?富と権力、それをあんたに与えることは容易い」


「……ほお?」


ジミーが俺の隣に座った。


「それは大変興味深いな。……サンドバル、こいつの望み通り、オーパス酒の30年物を開けてやってくれ。俺にも頼む」


グラスが2つ置かれ、トプトプと琥珀色の液体が注がれた。


「では、商談といこうか。お前、名前は?」


俺は一瞬躊躇した。本名を明かすのはまずいな。


「……マルコスだ」


「マルコスか。了解だ。女は商談が終わり次第手配させる、それでいいな」


「ああ、問題ない」


ジミーがグラスを手に取った。


「それじゃ、乾杯だ」



「金塊の出元は明かせない、その代わり確実にデズモンドのとこに売った品質のものを俺に渡す、か」


グラスを傾けてジミーが呟いた。どこか俺を訝しんでいるように思える。


「ああ。重量は最大で3メルト。売った分け前は俺が3、あんたが7でいい。悪い話じゃないだろ?」


「いや、俺が8だ。そもそも、3メルトもの金塊なんてどこから取ってくるんだ?」


俺は足元のザックに手を突っ込んだ。そこに入っているのはただの石だ。……今は。



だが、俺の手の中に握られた瞬間、それはゆっくりと純金へと変わる。



そして、完全に重さが変わったのを確認すると、それをカウンターに置いた。


「これで1メルトくらいかな」


ジミーの目が見開かれ、顔色が紅潮していくのが分かった。


「……デズモンドのところに売った以外に、金塊を持ってたのか??」


「そういうこと。信頼できないというなら、これを手付金代わりに持っていっていいぜ」


ジミーは元々は石だった金塊を手に取り、色々な方向から観察するように見た。そして「うーん」と唸る。


「俺は貴金属商じゃないからこれが金かどうかは判別できん。そもそも形が石ころそのものだ。

ただ、その重みと光沢は、確かに金のものだ。……お前、何者だ?」


「それも言えない。シャロットの人間じゃない、とだけ言っとく。ここに来たのは昨日でね」


「……どこかしらから盗んできたのか」


「いや、これはあくまで俺が見つけたものだ。そこは心配しなくていい」


身元を探られるのは都合が悪い。レヴリアなら「俺」のことを知っている人間はいないと踏んでいるが、本気で調べられたら厄介なことになる。


俺はオーパス酒を一口飲んだ。少し甘みの強いウイスキー、なのだろうか。確かに美味い。


「この取引は俺の身の上を詮索しないことが条件だ。それさえ守ってくれればいい」


ジミーはしばらく黙って考えている様子だった。そして10秒ほどの沈黙の後、「分かった」と頷いた。思わず頬が緩む。


「そうか!嬉しいよ」


「俺もだ。だが、マルコス。お前が信じるに足る人間かはまだ疑っている。あまりに条件が良すぎる。だから、俺の部下と相談の上、最終的に決めたい。どうだ?」


「構わないよ。あ、女を忘れないでくれ。シャロットは美女の街として有名らしいからな」


「……ああ、お前が泊まっている宿によこすことにする。とりあえず、明日の朝俺の館に来てくれ。それで本決まりだ」


宿屋の名を告げると、ジミーは金塊をポケットに入れ、すっと立ち上がった。ドアの向こうには、ボディーガードと思わしきあの鬼人2人が待っている。


「じゃあ、また明日会おう」


パタンとドアが閉められ、俺は安堵の息をついた。まずは第一歩、だな。


ジミーは利に聡い男だという評判だ。多分取引に応じるだろう。

ひょっとしたら俺を襲って金塊の在り処を吐かせようとするかもしれないが、あの鬼人2人程度なら多分なんとかなる。


俺は右の掌をじっと見つめた。この手はまさに錬金術師の手だ。触れたものを、自分が思う材質に変えることができる。

これは魔法ではない。俺が授かった能力だ。それも、世界を支配できる能力だ。



俺、高松裕二はこの世界に「マルコ・モラント」として1週ほど前に転生した。

そして、転生した時に自称「神」からこの力――「錬金術師の掌」を受け取ったのだ。



転生、といってもその実は「憑依」に近い。この身体の持ち主、マルコはレヴリアの隣国、カルドニアの豪商、「モラント商事」の御曹司だった。

彼の意識は今のところ感じない。ただその知識と記憶は、俺が使わせてもらっている。ジミーがどんな男で、シャロットの闇ギルドがどんなものか知っていたのも、マルコの知識によるものだった。


シャロットの闇ギルドは、娼館の運営が主な収入源だ。だが、娼館には若く美しい女の「仕入れ」と、それに対して十分な給料を与える必要がある。

元はヴァンダヴィルとカルドニアの首都、ドレイモンドの中継貿易都市として栄えたシャロットだったが、この10年間では両都市間の交易ルートが変わったために徐々に廃れていったらしい。それに伴い、娼婦の調達にも苦労するようになったという。

つまりジミー、ひいては闇ギルドの金回りは悪くなっている。安定して資金を調達する手段は、喉から手が出るほど欲しいというわけだ。だから、おそらくこの話にジミーは乗る。


俺はグラスをあおり、「ククッ」と笑う。グラスが空になった。酔いも少々回ってきたところだ。


「主人、美味かったぜ」


俺はザックを拾って立ち上がった。宿屋に帰れば、女がやってくる。どんな女がやってくるだろうか。

マルコの外見は御曹司らしく品がよく、整っている。無駄に図体ばかり大きく、全く女にもてなかった元の世界の俺とは大違いだ。女の経験もそれなりにあるようだった。


数年ぶりになるセックスを前に、俺は早くも昂ぶっていた。一晩中、たっぷり楽しんでやる。


「悪いな、マルコ」


俺はニイと笑うと、独り呟いた。




その時の俺は、まだ知らなかったのだ。

宿にやって来るのは最高の娼婦などではなく、最悪の死神だということに。



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