4 やるじゃん惑星


 確かめるのは簡単だ。私とスズカは同郷で、郷里には共通の友人が掃いて捨てるほどいる。そのうちの数人に久々の世間話を装って電話をかけ、3人目であっさりヒットした。

『え、スズカお見合いするんでしょ?』

 私を叩きのめすには充分すぎるほどの致命打クリティカルヒットだ。

 私は、絞り出すようにしてようやく言葉を返した。

「あの子、何も言わなかったから」

『言いにくかったんじゃないの。今時お見合いなんてねー』

「結婚、するのかな」

『さあ? してもおかしくない歳だとは思うけど』

 何も知らない友人の、残酷な言葉が私を苛む。ひどい追い打ちだ。死体撃ちみたいなもの。

 適当に話を切り上げ、スマホを放り捨て、私はベッドに潜り込んだ。スズカと一緒のしとねではない。私の家の、孤独の寝床だ。

 気が変わって、さっき捨ててしまったスマホを手繰り寄せ、LINEを立ち上げた。スズカに適当な挨拶を送り、しばらくじっと画面を見つめていたが、いつまで経っても既読マークは現れない。

 それから私は、スマホを拾い、通知を確認し、また放り出すということを、30秒おきに繰り返した。もっと頻繁だったかもしれない。

 だが――夜明けまでそうしていても、ついに既読が付くことはなかった。


 スズカは帰ってきた。

 約束通り、その夜のご褒美はいつにも増して素晴らしいものだった。3日分の鬱憤を晴らすかのように、スズカはねちっこい愛撫を執拗に執拗に繰り返した。彼女の前では私は弦楽器のようなものだ。指が私を爪弾き、私は甲高く歓喜を歌う。

 しかし、愛に満ちた行為が終わってもなお、私は満足できずにいた。肉体ではない、心が渇きに呻いている。私はもう、黒黒とした疑念に取り憑かれ始めていた。

 隣で微睡んでいるスズカの身体は、しっとりと汗ばみ、私の肌に吸いつくよう――だがいかに身体が馴染もうと、それは表面のことに過ぎない。何も保証してくれない。

「ね、スズカ」

「んー」

 私の腕の中で、スズカが身じろぎした。スズカの方から身体を押し付けてきたが、滅多に見せないその甘え方が、今の私には作り物っぽく思える。

 私は彼女の耳元で囁いた。飽くまでも優しく、しかし断固として。

「実家で何してたの?」

 沈黙はほんの0.5秒くらいだったが、私には分かる。確かに今、スズカはためらった。

「別に、何も。ゴロゴロしてた」

「ふーん」

 スズカが私の胸に頬を押し当ててきた。抱いて欲しい時の合図。だから私はそうした、いつものように。そしていつもより乱暴に彼女を犯した。スズカはその行為をいたく気に入ったらしく、今まで出したこともないような声で鳴き、何度も何度も“もう一度”をおねだりした。

 私はその要請を機械的にこなしながら、痙攣するスズカを冷たく眺めていた。

 面白くない。

 全くもって――面白くない。


 一度生まれてしまった不信は、薄れるどころか、日を追うごとに存在感を増していった。私は自覚できるほど不機嫌になり、スズカも異変を感じ取ったらしかった。セックスはルーティン化され、それに伴って意欲が急速に薄れ、週25回が10回に、10回が5回に、やがて2週に1回に減衰していった。その数少ない逢瀬すら、喜びより痛みのほうが際立つ有様だった。

 一方で、情熱だけは日増しに高まっていったのだ――一風変わった奇妙な形で、だが。隠し事をするスズカに苛ついた。こんな事で腹を立ててる自分が嫌だった。そして何より、相手の頭の中ひとつ見通すことのできない、人間なんていう生物に腹が立った。

 まったくボンクラにも程がある。社会性の生き物が人間だというのなら、どうして進化の過程でテレパシーのひとつも身に着けなかったんだ。

 きっと私は狂っていたのだと思う。スズカに近づくことを望みながら彼女の家に行くこともせず、言葉もろくに交わさず、悶々として夜の街をうろつく日々が続いた。

「おねーさん! どこいくの、急いでる?」

 私くらいの歳の女がひとりでいれば、やくたいのない男どもが声を掛けてきたりもする。余裕のあるときは、そういうのをからかって遊ぶのも楽しいものだ。しかし今は、ただただ不愉快なだけ。この鬱陶しさ、男性諸君には分かるまい。

 私は無視して立ち去った。幸い、しつこく追ってくるようなことはなかった。

 そういえば昔、スズカとふたりで絡まれたこともあったっけ。あの時は私が男に蹴りを入れ、逆上した男が凄んできたので、スズカが脇腹にソバットを叩き込んでくれたのだった。私らはきゃあきゃあと楽しく悲鳴を上げながら、絡まり合うようにその場を逃げ出した。何も言わずとも通じていた。言葉など必要なかった。

 そのはず、だったのに。

 涙が、目を押し出すようにして溢れてきた。

 涙を拭こうと持ち上げた手が、右耳の惑星に触れた。

 瞬間、怒りが爆発した。

 なんで泣かなきゃいけない。おかしいだろ。何が連星のピアスだ。何が星の引力だ! 確かに身体は近づけたかもしれない。裸で抱き合う関係にはなれたかもしれない。だがこの体たらくはどうだ? たとえ肌を晒したって、その奥で何を考えてるかなんてちっとも分かりはしない。こんなのスズカに触れたうちには入らないじゃないか!

 私は覗きたい。

 近づきたい。

 触りたい。

 何もかも裸に暴いて、この眼と指で思うさま嬲り尽くしてやりたい。

 肉体なんかのことじゃない。

 更にその先に。彼女の心。彼女の中心にあるはずのものを!

 その時だった。

【来てよ、萌……】

 LINEじゃない。

 私の耳に直接、その声は届いた。

 愕然として私は立ち尽くした。

「スズカ?」【スズカ?】

【萌?】

 彼女の声は耳たぶを擽るように密やかに響き、私は飛び上がった。途端、声は止んだ。

 今のは何だったのだろう。確かに今、スズカの声が聞こえた気がした。気のせいだろうか。狂った私の脳が見せてくれた妄想、ちょっとしたファンタジーなのだろうか。

 脳の中に痒みを覚えて、私は頭の横を掻きむしった。と、

【今の、何?】

 また聞こえた!

 そこでようやく私は気付いた。

 右耳にぶら下がった、ちっぽけな私の惑星。ピアスの玉飾りを指でつまむ。聞こえる。離す。止まる。拳に握り込む――いっそう大きくはっきり聞こえた。

 マジかよ。

 ついさっき散々くさしたのも忘れ、私はめいっぱい快哉を叫んだ。

「やるじゃん惑星!!」



(つづく)

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