横顔

滝村透

横顔

 横顔を見つめながら歩いていると転んでしまうので危ない。それでもどうしようもなく視線が吸い寄せられてしまう横顔。その人と一緒に歩いていて、僕は奇妙に思われたかった。

「危ないよ、前向いて歩かないと」

 ミサキはそう言ってひらりとかわす。いつものことだ。類稀たぐいまれな美貌を持ちファッション誌でモデルをやっているミサキは、視線を向けられることに慣れている。僕の視線は大勢の視線のうちのひとつでしかないし、ミサキはその全てを軽やかに受け流す術を持っている。僕は前を向く。

「ミサキが綺麗だからつい横ばっかり見ちゃうんだよ」

「何それ。変な癖。人と歩きながら話すときは普通、前を向いて話して、その人の顔を見るのは時々だよ」

「そうかなぁ」

 ミサキに奇妙に思われることには成功した。だが、これだけでは大した意味はない。僕はもっと奇妙に、もっと特別に思われたいのだ。

「ミサキはさ、どうして僕なんかと一緒にいてくれるの」

「どういうこと?」

 ミサキが目を丸くして僕を見る。

「だってさ、モデル仲間には綺麗な人とかいっぱいいるわけじゃん。僕みたいな地味な人間と一緒にいるのを見られたら嫌だなとか思わないの」

 すると、ミサキは驚いたような表情を浮かべた後、おかしそうに笑った。

「ナツキ、そんなこと思ってたの? ナツキと一緒にいるのを見られたくないなんて、少しも思わないよ。だってナツキは、本音でありのままに喋るでしょ」

「そ、そうだっけ」

 努めてそのようにしているつもりはなかった僕は、突然の褒め言葉に上手く受け身を取ることができなかった。

「そうだよ。さっきだって、『ミサキが綺麗だから』って、素直に言ってくれたでしょ。そういうところが気持ち良くて好きなんだ。それに……」

「ん?」

 ミサキはうつむきながら言葉をこぼした。

「周りのモデルの子たち、見た目は綺麗でも、一緒にいて楽しいって思えないんだ。いつも本心を包み隠して喋ってるような感じで。上辺うわべだけの、中身のない会話。大切なことなんか何ひとつ話せやしない。ナツキと話してるときだけだよ、心が安らぐのは」

 ミサキは恥ずかしげにそう言うと、僕の方を見て顔をほころばせた。きらりと光る白い歯を見て、僕の心は洗われる。上手く笑えない僕は、ミサキのように自然に美しく笑えたらどれだけ幸せだろうかと、ぼんやり思う。僕のぎこちない笑顔を見て、ミサキの表情は一段と輝きを増す。

 僕は辺りを見回した。

「ねぇ、あの観覧車乗らない?」

 街の中心部にある商業施設の屋上観覧車を指差して僕は言った。本当はミサキとの遊びの予定が決まったときからあの観覧車に乗ろうと考えていたが、あたかも今この瞬間に思いついたかのように自然な感じを装って誘った。

 すると、ミサキは僕の顔を見ておかしそうに笑いながら、

「うん、いいよ」

と言った。

「ん、どうかした?」

「いや、だってさっきからちょくちょくあの観覧車見て、乗りたそうにしてるんだもん。そんなに乗りたいんだ?」

「あー、バレてたか……。あの観覧車、透明なゴンドラがあって。楽しそうだから、ミサキと一緒に乗りたいんだ」

 平静を装うことに必死な僕とは裏腹に、ミサキはにこやかな表情を浮かべている。僕がどれだけ策を凝らしたところで、僕の心などミサキにとってみればちょうどあの透明なゴンドラのように容易たやすく見透かせるものなのだろう。先ほど、本音でありのまま喋るところが好きだと褒められたばかりだ。僕は下手な芝居を打つのはやめにした。

 観覧車の入口に着いた。ゴンドラには通常のタイプと透明なタイプの二種類があり、せっかくだから透明なゴンドラに乗ろうと僕が提案した。

「高いところとか大丈夫?」

「うん、大丈夫。でもこれ、短いスカート穿いてる人だとちょっと心配だね」

「そっか。じゃあ、人によっては透明な観覧車に乗りたいって事前に言っておいた方がいいのか」

「一応言ってた方がいいかもね。今後また誰かを誘うことがあったら」

 咄嗟とっさに、僕が一緒に観覧車に乗りたい人はミサキ以外いないよ、と言いそうになったが、流石に引かれるかと思い口に出さないことにした。

「ナツキもズボンだから問題ないね」

「そうだね」と僕は答えながら、二人分のチケットを購入し、係員に手渡した。

「ナツキのスカート姿を見てみたい気もするけど」

「えっ?」

 ミサキの言葉は、係員が案内する声と重なってあまり聞き取れなかった。怪訝けげんな表情をする係員に軽く詫びつつ、僕らは透明なゴンドラに乗り込んだ。

「わぁすごい。思ったより怖いねこれ」

 怖いと言いつつも、ミサキは無邪気な笑顔を浮かべて楽しそうにしている。自分から誘っておきながら、僕の方が足がすくんでしまっていた。だが、足がすくんでいる理由は高所への恐怖だけではない。ミサキと正面から向き合っていることによる緊張も、確かに影響していた。

「あれ、ナツキ結構怖がってる?」

 ミサキに目敏めざとく見つけられて、僕は苦笑した。

「いやぁ、思ったより揺れるなぁと思って。ミサキは怖くないの?」

「怖いよ。怖そうに見えない?」

「うん。あんまり」

「嘘。もっと怖がった方が可愛いかな?」

 ミサキは怖がる僕を見てどこか愉快そうだ。僕は外の景色を見渡す。陽はいつの間にか暮れてきていた。眼下に広がる街の風景からは、社会の動きが見える。この巨大な車輪が一周したら、僕らはまた社会の一部となる。少しずつ世界を回す歯車となる。それまでに、伝えておきたかった。地に足をつけて生きていくために、伝える必要があった。地上の世界から離れたこの場所でなら、言える気がした。

上昇するゴンドラと同じくらいの高さのタワーマンションが目に入る。そこに住んでいる人たちは毎日こんなに高いところで生活しているのかと、ぼんやり思う。ミサキがタワーマンションの一室に住んでいることも思い出した。

「隣に座ってもいい?」

 ミサキが返事をする前に、僕は立ち上がっていた。

「いいよ。どうしたの?」

「ミサキと向き合ってると緊張しちゃうから」

「えっ今更?」と言って、ミサキは笑った。

 僕は語り始める。

「僕、歩くのが好きなんだよね。正確に言えば、喋りながら歩くことが好き。もっと正確に言えば、暗い夜の道を、好きな人と一緒に喋りながら歩くことが好き。最高の幸せだと思ってる。ミサキもそう思う?」

「うん。そう思うよ」

「前さ、無意味に一駅分歩いたこととかあったよね」

「もっとじゃなかった? 二、三駅分とか」

 ゴンドラの中で、ミサキの声が楽しげに跳ねる。

「そうだったかもね。それでさ、大事なのは、暗い夜であることなんだよ。明かりがないと互いの顔もあんまり見えないような暗い夜。そういうときに、僕は安心するんだ。闇に溶け込んでいるときだけ、存在が軽くなる。この気持ち、ミサキにもわかる?」

「わかる、気がする」

 ゴンドラが揺れながら降下していく。透明の床越しに見える車が、どんどん近くなってくる。

 ミサキが僕の横顔を見ているのがわかった。僕の片方の顔。人間の顔は左右で違うのだと、どこかで読んだことがある。僕が歩くことが好きなのは、横顔しか見られないで済むからだ。ミサキとご飯を食べに行くときも、僕はいつもカウンター席のある店を選んでいた。

 僕は、ミサキと正面から向き合って、左右両方の顔を見せ合うのが怖い。できれば、都合が良い方の顔だけを見せていたいし、見ていたい。でも、それではいつまで経ってもこのままだ。

「僕は、ミサキに言わなきゃいけないことがある」

 そう言って、僕はミサキを正面から見た。彼の目の奥に、光を見つけた。

 夏木小夜子なつきさよこは、三崎光介みさきこうすけのことを愛している。それを真っ直ぐに、僕は伝えた。

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横顔 滝村透 @takimuratoru

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