夢†輝石

風雅ありす

【夢一輝石】追憶の彼方

 目を覚ますと、辺り一面に田園風景が広がっていた。

 柔らかな黄色い光に包まれて、どこか懐かしい匂いに胸がつまる。思わず両手に力を込めると、少しかさついた大きな掌の感触があった。はっと横を向くと、そこには死んだ筈の祖父がいた。


 どうかしたのか、と聞くように優しい笑顔で私を見つめている。

 その懐かしい顔を見た途端、私の心の堤防は音もなく崩壊した。理由もわからず、積を切ったように涙と嗚咽が止まらない。

 その時、私は初めて、どれだけ自分が祖父に会いたかったのかを知った。

伝えたいことが山ほどあった。

 でも、私の喉から出るのは嗚咽ばかりで声にならない。大好きだった、懐かしい祖父との幼い頃の記憶が津波のように押し寄せ、胸がいっぱいになった。


 祖父は、私が泣く姿をずっと笑顔で見つめていた。その笑顔が更に私を安心させ、今度は安堵の涙が止まらなくなった。何がかはわからなかったが、もう大丈夫だと思った。

 そう、私はもう大丈夫。

 そのことを、今目の前にいる祖父に伝えなければいけない思いに駆られた。必至に嗚咽を飲み込み、喘ぎながら言葉を紡ぐ。


「もう、大丈夫……だから。私は、もう大丈夫だから」


 祖父は、変わらず笑っていた。


 どこまでも続く田園風景の中を、祖父と二人きり手を繋いで歩いている。

 ここがどこなのかとか、なぜ死んだ筈の祖父がここに居るのかとか、どこへ向かって歩いているのかとか、解らないことだらけだったが、私は何も聞かなかったし、祖父も何も言おうとはしなかった。

 聞いてしまったら、今この瞬間が消えてなくなってしまうような気がした。

 それに、私が選んで、ここに居ることを決めたんだ、というのだけはなんとなく解っていた。


 私たちは、何か言葉を交わすわけでもなく、ただ延々と歩き続けた。

 時折、鳥の声が聞こえたり、蛙が畦道を跳ねるのを見たり、田んぼで田植えをしている人の姿をのんびりと眺めながら歩いた。言葉にしなくとも、繋がれた掌から直に心が伝わるようだった。

 どれほど歩いても景色が全く変わらないので、時間の感覚すらなかった。太陽の位置すらどこにあるのかもわからない。

 それでも、足が痛くなることも疲れることもない。いくらでも歩いていける。祖父と二人なら。


「あれ、なにかしら」


 茂みの中で動く黒い影があった。

 よく見ると、それは黒い犬だった。じっと伏せたまま、こちらを見つめている。それは、他の景色とはまるで違った空気を持っていた。

 私は気になって、その犬の方へと近寄ろうとした。


「そっちへ行っちゃ、いかん」


 初めて、祖父の声を聞いた気がした。優しい声なのに、なぜか恐怖を感じた。


「どうして。ほら、なんだか弱っているみたい。可哀想よ」


 近寄るにつれて、犬がボロボロで瀕死の状態であることに気付く。私は、ほんの少しだけ悪い予感を覚えながらも、瀕死でいる犬から目を離せなかった。


「お前、どうしたの。怪我をしているの。

 大丈夫よ、ほらこっちへおいで」


 私が犬へと手を伸ばす。

 犬は怯えているのか、低い声で唸っていた。


「怖い目にあったのね、かわいそうに。

 でも、もう大丈夫よ。ここは安全なの。

 お前を傷つける者はいないのよ」


 とくん、と胸の内に脈動を感じた。

 あれ、と思った時には、黒い犬が私の手に噛み付いていた。反射的に手を引っ込めたが、手首から先が消えていた。胸がすーすーとする。空っぽな私の掌。さっきまで繋がれていた祖父の手がどこにもない。はっと後ろを振り向くと、少し離れた位置から祖父が悲しそうにこちらを見ていた。


「おじいちゃん、どうしたの。どうして、そんな離れているの」


 私は急に心細さを感じた。


「いけないよ、そっちへ行ってはいけない」


 祖父が頭を左右に振る。私は益々不安になった。


「何がいけないの。ちゃんと説明してよ、わけわかんないよ。

 ねぇ、おじいちゃん」


 半ば叫びながら、私が問い詰めると、祖父は言った。


「〝キセキ〟を盗まれてしまう……」


「キセキ……キセキって、何。

 私、そんなもの何も持ってなんか……」


 その言葉に反応するかのように、私の胸元がキラリと光った。


「え、なに、なんなの、これ……」


 私は、自分の胸元から現れた、光る石を目にした途端、大事なことを思い出した。そう、これは〝キセキ〟で、私はこれがないと、この世界で生きていけない。


 その時だった。背後から犬の吠える声がして振り向くと、大きな黒い犬が鋭い牙を剥いて襲ってきた。先ほどまで明るかった世界は様を変えて、真っ暗闇へと変わっていた。私は、背後に祖父の呼ぶ声を聞いて振り向く。


「キセキをこちらへ渡しなさい」


 そう言って私の方へ手を伸ばすのは、祖父ではなく、見たこともない黒い服を着た男の人だった。


「はやく」


 私は真っ暗闇へと落ちていった。

 男は、少女が消えた空間を見つめて、舌打ちをした。


「間に合わなかったか……」


 その言葉と共に男の姿は掻き消え、世界は消滅した。

 最後に残ったのは、真っ暗な何もない闇だけ。

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