8回目
「未来の先輩が、俺達が居た時間と同じような内装にこの部室を変えた。でも、鞄だけは再現できなかった。実物が無かったから」
「……つまり、この教室は未来の時間軸に存在していると?」
勘違いしていたんだ。
教室以外の空間に異常が起こっていて、教室は元のままであると。でも、それは飛んだ勘違いだった。
「恐らくというか確実に、先輩はこれを意図していなかったと思います」
遺言書には、タイムリープに付いての事柄が記されていなかった。つまり、未来の遥さんは俺達がここに居るという事を知らなかったはずだ。何か別の意図があって、この教室を自分が居た頃と寸分も違わずセッティングした。
それが奇しくも、ミスリードになった。
「……すまない、後輩君。私のミスだ」
「俺も気づけなかったのが悪いです」
もっと早く疑うべきだった。
が、だからと言って悔やんでいる暇はない。
「くよくよしてられませんよ?先輩」
「ふふ、言うようになったね」
柔らかく微笑んだ後、先輩は額に指をあてる。
「整理しよう。これによって、一つ仮説が否定された。『部室と外は別世界で在り、だから私たちは外に出られない』というものがね」
ここと外は地続きの場所にあるということが判明した。
つまり、全く別の世界を繋げることによって矛盾が生まれるのを防ぐためにドアが開かない、というのはおかしなことになる。
「よって、可能性は限られた。ここに残った異常は、私達だけだ」
「俺達が外に出ないように、ドアが開かないと?」
「世界の自己保全だと考えれば納得は行くね。タイムトラベル何て、不確定で未知だ。何が起こるかは科学の範疇じゃ理解できない可能性もある」
俺達を封じ込めるために、この部室は閉ざされた。
「しかし、この理論で生まれる一番の懸念点は……」
遥さんが、ぐっと言い淀む。
俺には何故かそれが、恐れているように見えた。真実へと辿り着こうとすることを、怖がっているように感じた。初めて、視る姿だった。強く結んだ口を力づくで彼女はこじ開け、その言葉を放った。
「私たちは、もう戻れないかもしれない」
「……!」
「部室が過去のものだと思っていたから楽観視していたんだ。まだ戻れるかもしれない、まだ変わり切ってないと思っていたんだ」
淡々と、遥さんは自分の犯した間違いを語っていく。
「部室が過去のものであるなら、要因を潰すことで未来が変わる可能性があると思っていた」
バタフライエフェクト、というものがある。
蝶が一度羽ばたいたことで未来では災害が起こる可能性がある、と言ったように、過去の一つの挙動が大きく未来を変える事を言う。意図的にそれを起こせば、タイムリープも終わるのではないかと彼女は考えていたらしい。
「事実」ではなく「要因」を求めようとしたのも、そういう意図があったのだろう。
時間軸の異常を、もう一度ゆがめることで正常に戻そうとした。
だがそれは、今が過去でないと成り立たない。
「もうここは過去じゃない」
未来……いいや、現在に俺達が居る以上、それは不可能になった。
「それに、タイムリープが私たちのタイムスリップに付属するのなら、いつ終わるかなんてわからない。その時、私たちは外に出られる確証があるのか?」
未来へと進んだことによって異常が起きたのだとすれば、それはいつ終わるのだろう。永遠に続くのか?何処かに終わりはあるのか?
終わったとして、俺たちはこの部室から出られるのか。
タイムリープが終わってしまえば、未来の不知火遥は飛び降り、死亡する。その上、俺たちはこの部室から出られず、食料も水も無いここで、静かに朽ちていく。しくじれば、真っ逆さまに死へとつながるんだ。
「楽観していたな。何の確証もないのは、知っていた筈なのに」
遥さんは、震える声で呟いた。
観客席から、実験室から引きずり降ろされたここが、断崖の上だったのだと、ようやく知覚した。
でも、なんでだろうか。
全身が今にも崩れ落ちそうなほどに儚く振動している遥さんを見つめながらも、思考は滑らかに回りだしていた。失敗だと、ミスだといった。実際のところ、そうなのかもしれない……このままなら。
選択肢の間違いに、物事の考え方を互い違えたことを悔やんで、一歩も動かずにこのまま終わるのだと言うなら、これは間違いだ。でも、そうさせないために
博士の失敗は、俺が拭う。それが成功に、正解になるまで何回でも。
単純な思考力で彼女に適う人間に出会ったことはない。その彼女がたどり着けなかった場所に上るにはどうしたらいいのか?簡単だ。思考じゃない。エゴで、我儘な押しつけがましい推測。「─のはず」「─かもしれない」、それを、突き詰めろ。
考えるべきは三つ。
不知火遥は何故この部室を選んだのか。
不知火遥は何故研究を止めたのか。
不知火遥は何故自殺を選んだのか。
キーワードは「 」だ。
伏字になっている。が、だからこそだ。文章では存在しない、そこには存在しない虚ろな文字。「 」を虚数だと彼女が仮定をしたなら、それを求める方法はあるはずなんだ。
そしてもう一つ、キーワード。
白いワンピース、「追憶と郷愁」が満たされることで、それを彼女は着る。全く異なる場所にある筈の二つの事柄は、実はすぐそばにあるはずだ。だって、遺書にはこう書いているんだから。
『「 」はいつの間にかそこにいた。最初に気づいたのは、まだ物心ついたばかりだっただろう。』
つまり、遥さんの幼少期と「 」は大きく関わっている筈なんだ。
この部室を選んだ理由。それが、「 」だと考えるなら。
「……っああ!!」
至れ。あと少しだろ。
掻き毟るように髪の毛と髪の毛の間に手を突っ込み、動き回らせる。
「
「名前っ……!」
ふんわりとした口調で遥さんが言った。
呆然自失、というのだろうか。思い返せば、彼女は俺が思考している間一言も口にしていない。それどころか、物音一つも立てていなかったのだ。その上、彼女は俺の名前を呼んだ。
一度も、俺の名前を彼女は呼んだことが無い。
おかしい、何かが変だ。
「大丈夫かい?助けが要る?」
「いや、大丈夫だと、思いますけど」
白熱した思考が、冷水をかけられたかのように冷えていく。
変わらない口調で問いかける彼女は、それでいてどこか子供のようだった。ショックでメンタルがおかしくなっているのだとしても、変だ。彼女が命がかかったくらいで、こんなことになるわけがない。
「先輩こそ、大丈夫なんですか?」
「ん~?私?何で?」
「何でって、そりゃあ……」
「久しぶりに会ったね、薫君」
「……久し、ぶり?」
俺の言葉を遮って、老人のような口調で遥さんが話し始めた。
久しぶり、久しぶりって言ったのか?俺と遥さんが出会ったのは、たった数か月前のはずだ。
「だってそうだろう?何年ぶりだろう。ずっと探してたんだぞ?」
「っ……!?」
記憶が、逆流していく。
先輩の偏差値でこの高校を選ぶ理由は、普通に考えたらない。その問いに対して彼女は、こう答えた。
『正直なところ、面白い理由なんてないさ。引っ越し先一番近所の高校がここだったのと』
『今は止めておこう。いつか、君にも話すさ』
引っ越し先。ずっと探していた。
俺がこの辺りに住んでいることを知っていた?だから、彼女はこの高校を選んだのか?にしたって、おかしいだろ。遥さんと俺が出会っているとは思えない。遥さんは何処かから引っ越してきていて、俺はこの街にずっと住んでいたんだし……
『ほんと?』
「……は?」
後ろから、声が響いた。
少女が、そこには立っている。白いワンピースに、太陽のような麦わら帽子。その向こうで、吸い込まれそうな瞳孔が光っている。
「だ、れだ」
『知ってるでしょ』
視界の向こうに、飛び降りていく遥さんが見えた。
何故か、俺には。その少女が、遥さんに見えた。
「先輩?」
意識が、明滅する。
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