第8話

隆一からメッセージが入ったのは、バイトが終わって着替えている最中のことだった。

『この前言ってた合コン、ちょっと趣向が変わって、普通の食事会みたいになったが、大丈夫だよな? というか、拒否権はないんだけどな』

 そういえば、そんな話をしていたっけ。何か強く断ることが出来ずに、曖昧に首肯したのを、しっかりと覚えていたようだ。

『明日あたりどうだ? 確かバイトは休みだろ?』

 まさしくその通りで、もちろんとりわけ別の用事がある訳でもない。

こんなにサクサクと話が進んでいるあたり、流石というかなんというかであったが、この前きっぱり断らなかった自分が原因であることは間違いないので、仕方ない。今までこういうことを極力避けていたのだから、この一回は覚悟を決めて参加しよう。

 隆一の話はこうだ。

 この前の飲み会で話した娘、高野麻美と隆一、そして隆一の彼女も高野と知り合いらしく、だったら二対二で食事にいこうと、そうなったのだ。

 無理やりとは言え、僕がまるで合コンのようなものに参加するなんてと思い、何だか笑えてきた。ちょっと前の僕からは、想像もつかない話だ。この心境の変化を、僕は三割ほど良かったと思い、同じく三割ほど璃子への後ろめたさがあり、それとは別の自己嫌悪が二割ほどあった。

 その理由は単純で、高野麻美が好感の持てる少女で、どちらかと言えば自分好みであるということを認識していたからだ。これが全くタイプじゃない女の子からの誘いとなれば、きっと断っていた可能性だって高い。しかし、不本意ながらもしっかりと断らなかった理由には、そういう浅はかで汚い下心がいくらかあったからである。僕はそんな自分を客観視して、自己嫌悪しているのだ。

 そういえば、さっきの割合で、足りていない残りの二割は何かというと、それはきっと今の僕には分からないし、多分分かりたくないものなのだろう。

 ともかく――その浅すぎる決断に、僕はやっぱり後悔することになる。

「あ、園城先輩」

 淡いピンクのワンピース姿が振り返り、僕を呼ぶ。

 多分恐らく、僕の記憶が確かならば、高野麻美である。前に会った時よりも明るい色になった髪と、服のピンク、サンダルのダークブラウンのグラデーションがよく似合っている。因みに彼女の着ているのはシフォンチュニックワンピースと呼ばれるもので、サンダルはグラディエーターサンダルというらしい。これは、一砂に付き合った買い物の中で覚えさせられた単語だ。

「ああ、久しぶり。早く着いていたんだ?」

 僕が言うと、彼女はこくりと頷きながらも、何かそわそわした様子だった。

「あの、聞きました? 今日のこと」

「え? うん。二―二で食事会だろ?」

「はい、その予定だったのですが……」

 高野さんがそう言いかけたところで、ポケットのスマートフォンが鳴った。

 着信は、隆一である。

(あ、千夜? ごめんごめん、俺達ちょっと急用でさあ、いやあ、すまんすまん。高野さんと二人で食事会してくれや。じゃあな)

 一方的に話し、電話が切れる。しかも、なんという棒読みな台詞。

「そういうことみたいなんです」

 何か申し訳なさそうにいう高野さん。

「ええと、そうか……」

 どうしようか。もしなんだったら、また機会を改めて、とか何とか言おうと思った矢先、またスマホが鳴った。再び隆一からだが、今度はSNSのメッセージのようだ。

『絶対にげるなよ。別の機会に、なんてのはダメだぞ!

  ……因みに今日は高野さんの誕生日だ。その辺よろしく』

 中々に舐めたメッセージだ。

 しかもさりげなく今日という日のハードルをあげる始末。

 高野さんの誕生日という情報は、もっと前か、そうでなければ、聞きたくなかった事実だ。

 僕は大きく息を吸い、そして小さく吐いた。

「高野さんさえ嫌じゃなければ、飯だけでも食べて行かないか?」

 僕が言うと、それまで少し不安そうにしていた彼女の顔がパッと明るくなった。

「はい、是非!」

 万遍の笑みに近い表情の彼女。

 それとは裏腹に、僕は内心すでに色々考え始めていた。

 人間嫌いの僕としては、ここから二、三時間、この大して面識もない女子との間を持たせなくてはいけないミッションはかなりの高難度である。

 四人で行く予定だったはずのイタリアン(隆一チョイス)に向かいながら、他愛もない話を振る。

「イタリアン、好きなの?」

「はい。パスタもピザも大好きなんです。自分でも結構作るんですよ」

 良い感触だ。話題の選択は間違ってなかったようだ。

「料理するんだ。偉いね」

「好きなものだけですよ。煮物とか、卵焼きとか、普通のは全然ですし」

「一つ出来れば、大体できるよ、料理ってさ。センス的なものだと思うし」

「ですかね。先輩は料理するんですか?」

「一応独り暮らしで自炊はしているから、それなりにはね」

「へえ、凄いじゃないですか。なにつくるんですか?」

「麻婆豆腐とか、インドカレーとか、キムチ鍋とか」

「全部辛いんですね」

「そういえば、確かに」

「辛いの好きなんですか?」

「言われてみれば、好きかも。君は?」

「辛すぎなければ、好きですよ」

 などという実にどうでも会話が数分続く。

 店について予約の名前を隆一名義で伝えると、『二名様ですね』と言われた。気になって、キャンセルした件を聞いてみたら、最初から二名でしか予約してなかったと言うことが分かった。隆一め、あとで覚えて居ろよ。

「何がいいかなぁ。どれも美味しそうですね」

 きらきらと瞳を輝かせながらメニューを見る高野さん。その仕草はとても子供っぽくて、でもだからこそ可愛いらしく見えた。そう、彼女はきっと、とても魅力的な女の子なのだろう。

「私、オマール海老のトマトクリームパスタにしますね」

 悩んでいたわりには、意外にも早く決断する。

「じゃあ、僕はホタテとインゲンのシチリア風で」

 オイルソースらしいので、ぺペロンチーノのような感じだろう。値段も安く、カジュアルなのにどこか高級感のあるこの店は、最近の女子の間ではかなりの人気店らしい。

「それと、この白ワインもお願いします」

 僕はそう言って、グラスワインを頼む。そして、さらに小さく一言を添えて。

「ワイン、詳しいですか?」

「全然。本当に雑誌で読んだ浅ぁい知識だけ」

 肩をすくめて見せた僕に、高野さんは微笑んだ。

「私も全然。魚には白、肉には赤、くらいしか知りません」

 似たようなものだ。

 僕の場合、無駄知識集めを趣味にしているせいもあって、有名な銘柄を二つずつくらいは知っている、というだけの話だ。決して詳しいわけでも、好きなわけでもない。

 またも他愛のない会話の一つだ。

 大丈夫。話の波長もテンポも大きく違わない娘だから、この分なら、何とか持ちそうだ。

 料理が運ばれてきて、しばらくまた味がどうこうという話をした辺りで、高野さんが仕切りなおすように言い出した。

「あの、私、先輩に聞きたいことがあるんです」

「何? 改まって」

「園城先輩って、穂積先輩と付き合っているんですか?」

 丁度口に含んでいたワインを噴出しそうになった。

「え、付き合ってないけど、なんで?」

 平静を装い、そう答えると、高野さんの顔がホッとしたように緩んだ。

「いえ、その、最近一緒に居るのを見かけますし、隆一さんからもその、ちょっと聞いてますし……」

 頬を赤らめて、そんな風に言い篭もる。

 そうなのだろうか。こんないち後輩に目撃され、しかも印象に残るほど、僕は最近、一砂と一緒に居ることが多いのだろうか。

「穂積先輩、有名人ですし、凄く美人で、人気もあって、それで、って、何言ってるんだろ、私。訳わかんないですよね」

 言うと、高野さんはうつむいて、苦笑いをした。

 僕はというと、何をどう返せばいいかも分からず、ただ沈黙する。

「あの、園城先輩は、彼女とか居るんですか?」

 意を決したように、彼女が言った。

「今は、いない、かな」

 曖昧で、不透明な答えだ。

「す、好きな人とか、いますか?」

 前に一砂と同じようなやり取りをしたような気がする。尤も、ニュアンスや状況は全く違うが。

「いない、んだろうな。きっと」

 多分、きっとそうだ。

 僕の答えを聞いて、彼女は気が抜けたように息を吐いた。

「そう、ですか」

 そのまま食べ終えて少しすると、彼女前に小さなケーキが運ばれてきた。

「え? 私、頼んでませんよ?」

「僕が頼んだんだ。高野さん、今日誕生日なんだろ? 僕もさっき隆一からのメッセージで知ったから、こんなものしか用意できなくて悪いけど」

 高野さんの顔がこれ以上無いほど、綻んだ。素直な子だな、と僕は感心した。今日日女子大生が、こんな小さなケーキ一つでここまで幸せそうな顔が出来るとは、大したものだ。素朴で良い子なんだろう。

「ありがとうございます! いただきます」

 まあ、悪くない気分だ。

 僕も普通の大学生をやっていたら、こういう子と知り合って、なんとなく遊びに行って、そして付き合ったりしていたかもしれない。そこにさほど真剣な思いなどなくても、真剣だと思い込むことが大事な年頃だ。そういうごく当然の在り来たりを僕は随分と遠いところへ忘れてきてしまったのだろう。今更それを取り戻せるとは思わないし、無理してそうしようとも思わないわけだが。

 高野麻美は、確かに可愛い。容姿が特別美人だとか、格別に整っているとか、そういうのではないけど、顔だってスタイルだってそれなりにレベルは高いし、気遣いはできるし、会話は成立するし、優しくて素直ないい子だ。そう考えれば、この子はかなり『可愛い』し、『魅力的』な女の子なのだろう。

 だが――。

 いや、違うのだ。

 そんな風にあれやこれやと分析している時点で、僕はきっと、この子を好きになることはないのだろうと思う。

 好きになったとしても、それは友人としてであり、それ以上でもそれ以下でもない。恋とか、愛とかには、どうしたって発展しそうにない。

 僕たちはそれから、少しだけ街をぶらついて、そのまま帰路についた。

「楽しかったです」

「こちらこそ」

「また、どこか行きましょうね」

 別れ際に、高野さんはそう言った。

「そうだな、今度こそあのアホも一緒にね」

 僕はそう答えた。

 きっと、「そうですね」とか、「確かに」とか、そういう無難な返しを期待していたし、そう返ってくると信じて疑わない自分がいた。

 だが、実際の彼女は、少しだけ表情を曇らせたあと、小さく頷き、息を飲んでこう言ったのだ。

「二人だけで、じゃダメですか?」

 こういう時にいつも使うような、いい加減で無責任なはぐらかしなど、できそうもないほど真剣で、切実な彼女の顔に、僕は少しの間、言葉が見つからないでいた。

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