第7話

定食屋の水をグッと飲み干したあとで、隆一は探るように口を開く。

「何か、あったか?」

 久しぶりに飯を食おう、という誘いを受けて、大学の近くの定食屋で落ち合っていた。わざわざこんな面白みのないところで待ち合わせたのにも、仕方ない理由がある。大学はもうとっくに夏休みだったが、ゼミの研究課題がボチボチあって、週に一、二回は研究室に通っていたためだ。ゼミがある旨を話したら、なら別にいつものところら辺で良いと、隆一が言ったのでそうなった。

「何が?」

「いや、何か、壁が取れた、みたいな」

「そうか? 別になにも……」

 と言いかけて、

「いや、あったかな。何がとは、言えないけど」

 僕は言い直した。

「そうか。それはお前、もしかして、あの穂積と何かあったとか、そういう話か?」

 隆一の言葉を理解するのに、数秒かかった。

 ああ、なるほど、と思った。確かに、隆一には璃子に関することは全く話していないのだから、僕に変化があった原因としてあげられるのは、穂積一砂との接触から生じる何かと考えるのが妥当である。

 僕は思わず笑ってしまった。

「なんだよ、急に笑い出して。お前、ホントに大丈夫か?」

「いや、すまん。あまりに的を外していたから、つい」

 僕が言うと、

「お前、何げに酷いこと言うな」

 と怪訝そうな顔で隆一が言う。

「一砂とはなにもないよ。ただ、友達になっただけだ。たまに食事に行くくらいのね。ただそれだけ。ああ、因みに、『一砂』って呼んでいるのにも、深い意味はない。そう呼べって言われたから、そう呼んでいるだけ。さっき言った『何か』ってのは、全然全く違う話だ」

 そんな風に言ったところで、注文した定食が運ばれて来た。僕のは、鯖の味噌煮定食で、隆一のはミックスグリル定食だ。

 目の前に皿が並び終えたところで、隆一は話を続ける。

「そうなのか。っていうか、お前、穂積とメシ行く仲なのか?」

「まあな。あのさ、言っておくけど彼女、隆一が言うほど、とんでもない娘ではないよ、きっと。まあ、個性的は個性的だけど、嫌な女じゃないさ」

「あいつに惚れた男は、みんな似たようなことを言うんだ」

 チキングリルを頬張って、隆一は言った。

「だから、惚れてないって。なんというか、フツーに友達だよ。確かに、自分に自信のある娘だろうけど、容姿の良い人間はみんな多かれ少なかれそんなもんだろう? 」

 僕が言うと、隆一は眉を顰めた。

「なんか、俺よりも仲の良い友達になっていないか?」

「そりゃあ、僕も男だからね。友情を深めるにしても、むさい男より、美人な女性のほうがいいさ」

 すると、隆一は目を丸くして僕を見た。

「お前、そんなやつだったか?」

「だから、きっと変わったんだろう。僕も」

 しばしの沈黙。

「冗談だよ」

 僕は言った。

「やっぱりお前、おかしいぞ」

 似たような会話が繰り返される。

「いや、なんか、少し荷が下りたような、昔に戻った感じ。って言っても、昔を知らないから分からないか。でも、なんか、等身大になったっていうか、そんな感じかな。自分の愚かさと、不甲斐なさを改めて感じて、ちょっとだけ地に足が付いた、みたいな」

「まぁなんとなく、わかる気がする。お前はなんか、近寄り難い神聖さみたいなものがあったからな。それが、今はない。きっと、変わったところというのは、大きくはそこなんだろうな」

 隆一の言葉に、僕は曖昧に頷いた。

 曖昧に、というのは、別に彼の言葉に共感できなかったからではない。ただ、なるほどな、と感心してしまい、リアクションが中途半端になってしまったのだ。

「で、それを変えたのは、やっぱ穂積、なんだよな」

 認めたくないと言った表情で隆一は言った。

「いや、そうとは言い切れないけどな。言っただろう? 今回の『何か』だって、彼女は無関係だし」

「そうなのか?」

 多分、と僕は答えた。

「まあ、原因はなんでもいいや。とにかく、お前がまとも人間に近づいて、俺は嬉しいよ」

「酷い言われようだな。それじゃまるで、僕がダメ人間みたいじゃないか」

「みたい、じゃなくて、そうだったんだよ。自分からは誰にも話しかけない。極力人と関わらない。学年合同の飲み会にもほとんど参加しないし、しても一人で飲んでて終わり。物腰だって柔かいし、頭だって切れるのに、ある意味人格が破綻しているからな」

 言われて、僕は考えた。確かに思い起こせば、身に覚えがないわけじゃない。

「かもな。認めるよ。僕は確かに、『放っておいてくれオーラ』を出していた。多分意図的に」

 隆一は、だろ? と言って笑った。

「じゃあ、今度合コンやろうぜ。実はこの前の飲み会で一緒だった子にお前を呼んでくれって頼まれててさ。ほら、夏休み前の飲み会で千夜と話した子だよ」

 僕は記憶を手繰り始めた。

 夏の学部飲み会。ああ、あの、隆一が勝手に出席扱いでだしたやつか。

 一人で飲んでいたら、一砂と目があって、そしてなぜが二人でショットグラスで飲み始め、その後抜け出したんだっけ。もっとも、抜け出したといっても本当に飲み会を抜け出しただけなのだが。

 そういえば、あの日に初めて篠森さんを紹介されて、その日のうちに一砂の篠森さんへの想いに気づいたのだった。

「おい、覚えてないのか?」

 隆一の問いかけに、頭を切り替える。今は一砂のことじゃない。それより前の話だ。ええと、確か隆一が出来上がったあとで、ひとり残された僕に話しかけてきた娘がいたっけ。

 名前は……思い出せない。

「思い出したが、名前は思い出せない、と」

 隆一はそう、言い当ててみせた

「なんでわかったんだ?」

「お前はそういうやつだからだ。麻美ちゃんだよ、高野麻美」

 それに、僕は眉を顰めて肩を竦めた。

「取り敢えず、セッティングしとくからな。逃げるなよ?」

 隆一はニヤリと笑ってそう言った。

 やれやれな話だ。僕はまだ、行くとも行かないとも言っていないのに。

「ま、前向きに考えておくよ」

僕は言った。言うまでもなく、僕は合コンなど全く得意ではなく、興味すら殆どない。だって、初対面の人間といきなり食事や飲みをして、一体何を話せというのか。とはいえ、今回はどうにも逃げられそうにない。覚悟を決める必要がありそうだ。

「いや、もういっそ彼女を作れ。ちょっとでも気に入ったら、付き合ってしまえ。大丈夫、千夜ならうまくやれるさ」

「あのな、そういうのを人でなしって言うんだぞ」

「そんな深く考えるなよ。妊娠だけ気をつければ、何の問題もない」

 冗談とも本気とも取れる表情で隆一は言った。どうしてこいつがそこそこモテるのか、理解に苦しむ。

 だが、まあ、気楽に考えろという意味では、参考程度にはなるかもしれない。

 昼を食べ終わると、彼にも、僕にもバイトがあったため解散となった。なんとも味気ないが、この淡白さも心地よいのだ。

「合コン、か」

 もうすでに、安請け合いをしたような気がして、気分が重たかった。それでも、きっと僕には必要なことなのだろう。少なくとも、まともな大学生男子の生活を取り戻すためのリハビリとしては、かなり有効な一歩に違いない。

 そうはわかってしても、やはり前向きに離れない自分がいた。


 手持ち無沙汰とはきっと、今の僕の状態のことを言うのだろう。

 特にすることも無く、かと言ってこの場を離れるわけにも行かず、ただその時が来るのを待つ。

 辺りを見回すと、間接照明に照らされた女性向けの衣服が、ズラリと並んでいる。そして同様に、女性も沢山いて、あれこれと服を選んでいる。

 この店は比較的フェミニンなデザインが多く、ヒラヒラやレースのついたものが眼につく。

 僕はまた視線を戻して、溜息を吐いた。

 この空気は、きつ過ぎる。

 いやそもそも、この女子と女子要素だらけの店内で唯一の男として待合椅子に座っていることが得意な男子などいるのだろうか。

 世の中的には、女の子が自分の服を彼氏と選ぶこともあるようで、僕がこの場所にいること自体は奇異の眼で見られることは無いのだが、それでもさすがにこれは、罰ゲームだ。

 どうしてこんなことになったかというと、事の発端はやはりというか、なんと言うか、穂積一砂だった。

『わたし、今度もう一度告白する。本気の本気で。怖いけど、冬馬さんのプライベートな部分にまで介入するつもり。理由を知って、とことん問い詰めて、自分が納得いくまで、聞いてみる。そして、隙あらば、誘惑してみる』

 先日の飲みの最後に、彼女はそんなことを宣言した。

 どうやら、ぐっと深く篠森さんの心の内まで踏み入って、納得いくまで食い下がりたい、というものらしい。それで、篠森さんとの仲が壊滅的になったとしても。

 と、そこで色々な作戦を立て始めたわけだが、まずはこの夏という季節を利用して、男心を擽る露出高めの勝負服を買う、という話が出て、どういうわけか、それに付き合うことになったのだ。

 女性向けの様々なブランド、メーカーが総合されているこの建物内をあっち行ったりこっち行ったり、ここでもう四店目だ。

 なんてことを考えていると、目の前のフィッティングルームのカーテンが開いた。

「お待たせ。どう?」

 そう言いながら、ポーズを決める一砂。

「おお」

 僕は思わず、そう漏らす。

 オレンジ色のホルダーネックのトップスは胸元がかなり深く開いていて、露になっている肩と鎖骨と胸元が眼のやり場に困る。

 下はオフホワイトのフレアミニスカート。腰の辺りに大き目のリボンが付いていて薄いオレンジが入っているせいで上との相性も良い。健康的な生足が映えて、エロスと健康美を両立させている……とでも言った所か。

「似合う?」

「抜群に。ちょっと目のやり場に困るけどな」

「上にボレロでも羽織れば、冷房も大丈夫そうだし。これにしよっかな」

 一砂は鏡の方を見て一回転する。

 彼女の試着ファッションショーはこれでおそらく十数着目だが、本当にこの子は何をきてもさまになって似合う。

 清楚な感じのものも、ちょっと大胆なものも、ボーイッシュなものも、ミリタリー系もゴア系もフェミニン系もなんでもだ。

 多分、下手すれば、ダンボールとか、着ぐるみとかも着こなすだろう。

「ねえ、千夜君はどれが一番好きだった?」

「どれって、今までの中でか?」

「そう」

 十数着から選べと?

 もうほとんど忘れかけているものもあるのだが。

「そうだな。今の服か、あとは二件前の店のやつかな。ノースリーブのブラウスとスカートの」

「黒のフレアミニのやつね」

「ああ、そう。ちょっとアレ……ええと、『ゴシック』っぽいけど、君の雰囲気によく似合ってると思う」

「色っぽさは?」

「十分じゃないかな。基本は清楚系なのに、ミニだったりノースリーブだったりっていうギャップもあっていいかと」

「でも、露出だったらこっちよね」

 今着ている服をつまみながら言う。

「まあ、確かに」

 そこまでで会話は途切れ、彼女は「う~ん」と唸ったままフィッティングルームのドアを閉めた。

 少しして、元着てきた麻のシャツとインド綿の巻スカート姿の一砂が顔を出す。

「決めた。両方買う」

 なるほど、そうなるのか、と僕は思った。

「ゴメンね。長々と付き合わせちゃって」

 戻って二店舗目の会計を済ませた一砂がそんな風に言った。

「いいさ。女の子と服を見に行くのに、短時間で済むとは思っていないし」

 それくらいの覚悟と常識は僕にだってある。

「へぇ。理解あるね。そういうのって、ちょっとのことかもしれないけど、ポイント高いのよ?」

 一砂が店員から受け取った袋をそのまま持とうと手を出しかけて、何とか留まる。

 女子と二人で買い物なんてシチュエーションは、璃子以来だし、璃子としかなかったものだから、その癖で荷物を持とうとしてしまうのだ。先ほどの一件目の店舗で無意識にそれをやって、「自分で持つから平気よ」と言われたばかりなのだ。

「ちょっとお茶しましょうか。疲れたでしょ?」

「いや、別に。でも、お茶には賛成だ」

 そう言って、カフェフロアに向かう。駅直結のショッピングモールの便利なところは、その建物内に飲食店があることだ。

「あ、ここのパンケーキ一度食べてみたかったんだよね」

 一砂のその一言で、僕たちのお茶は、軽食へと早変わりした。

 店先までの列を見て、一砂が店員に待ち時間を聞きに行った。

「十五分待ちだって。どうする?」

「いいんじゃないか? 幸い、座って待てるみたいだし」

 店内はもちろん、店の外まで壁伝いに椅子が配置されており、そこに座って待つ形になっている。どうやら人気店みたいで、十五分待ちはかなり短い方のようだ。

 僕が了承すると、一砂は今まで以上にご機嫌になったようで、一層ニコニコとしていた。

 どうしてこの娘は、こんな風に見てる人間が幸せになるような笑い方ができるのだろうといつも感心する。これが自然であれ、計算であれ、中々にすごいことであると思う。

 順番待ちの列には、みんな女性同士か、いかにもカップルという雰囲気の男女しかいなかった。そもそも、男はパンケーキ屋にパンケーキを食べに入ること自体希である。というか、僕に限っては、パンケーキとホットケーキの違いも分からなければ、違うかどうかもわからないのだ。

 店には結局、二十分を少し回ったあたりで入ることができた。

 完全に慣れない空気の中、慣れないラインナップのメニューを見る。パンケーキの生地に、トッピング?なるほど、色々カスタムできるのか。それはそれで面倒だな。なんて思っていると、席の横を通過した女性客から声を掛けられた。

「あ、一砂じゃん」

 もちろん、かけられたのは僕ではなく一砂の方だ。

「美香と美奈ちゃん。二人で来たの?」

 女性二人組に対して、一砂が答える。

「美奈がどうしてもっていうから、ね。一砂は……彼氏?」

「違うわよ。わたしの本命は知ってるでしょ? ああ、紹介するね。こちら珍しく異性にしては親しい友達の園城千夜くん。で、こっちはわたしの高校からの友達で、同じ学科の冴島美香とその妹の美奈ちゃん」

 さくさくと進めていく一砂に、僕はなんとなく飲み込まれて頭を下げる。

「冴島美香です。この変人と腐れ縁的な友人の一人よ。ふぅん。なんかいつものお食事会? かとは雰囲気違うから、一砂もついに新しい一歩を踏み出したのかと思ったわ」

 僕と一砂を見比べながら、冴島美香が言う。

「そんなんじゃないわ。まあ、よき理解者的なポジションなのよ。今日も、対冬馬さんへの勝負服のアドバイス役として付き合ってもらってるの」

「なるほどね。だから、あたしたちじゃない方がいいって言ってたわけね。男性受けは男性に聞けってことか」

 ふむふむと頷く美香。

「って、ここでゆっくりもしてられないわね。それじゃあ、あたしたち行くね」

「うん、またね」

 一砂の言葉の後ろから僕も会釈する。

 冴島姉妹が退店したあとで、

「君にも仲の良い同性の友達がいるんだね。安心したよ」

 と僕は言った。

「失礼ね。これでもわたし、『普通の友達』は結構多い方なのよ」

「そうなのか?」

「色々噂が一人歩きしているからそう思うかもしれないけどね。ああ、事実一部の女子からは嫌われているわよ。男子に声かけられることにしか興味のない無能女からしてみれば、わたしの立ち位置はさぞ目障りでしょうからね」

 極上の微笑みで言う。きっと、こういうことを面と向かって言ってしまうのだろうと思う。注がなくても良い火に率先して油を注いでしまうのは、彼女の生き方なのかもしれない。

「わたしはね、友達も恋人もそして家族も、いざというとき、何もしてくれないなら、意味がないと思うのよね。こう言うと、損得勘定で人間付きあいしてるのか、って嫌な目で見られるけど、そうじゃないのよ。結局、自分に何をしてくれるか、同時に自分が何かしてあげられるか、それが人間関係一つの基準だと信じているの」

 そう言い切ると、一砂は二つあるメニューシートの一つを僕に渡し、もう一方のメニューを開きながら、悩み始める。

 前から思っていたことだが、この少女は何か、二十歳とは思えない達観がある。それは深い哲学のようで、悟りのようにも見え、経験で培った生き様でもあった。

「あ、わたしこれにしよ。千夜君は?」

「え、ああ、僕は、一番無難なやつにするよ」

 店員を呼んで、注文をする。

 僕はプレーンのパンケーキに、バターとメープルシロップの王道な組み合わせ。そして一砂は、こともあろうに、『全粒粉生地にバナナとミックスベリートッピング、チョコとレモンメープルのダブルソースで』と、とても初めての店とは思えないカスタム品を注文した。

「なあ、初めての店なんだよな?」

「うん、そうよ」

「いきなりそのトッピングって勇気あるな」

「そうかな。だって美味しそうだったんだもん」

 屈託のない笑顔で彼女は言う。

 本当に、よく言えば天真爛漫、悪く言えば傍若無人だ。

「で、何の話だっけ?」

「ええと、友達がどうとか、って話じゃないか?」

 僕が言うと、「そうだそうだ」と言って、

「この世に、無償なものなんて、殆どないと思うの。あるとすれば、それはきっと、親が子に対する愛情くらいのものじゃないかしら。ま、自分にまだ子供がいなくて、わからない未知のものだから、そう思うのかもしれないけど」

 心理学では、人間の全ての行動は、エゴからくるものであるとされる。相手のため、と思った行動であっても、それは『相手のためと思ってやる自分の欲求を満たすため』の行為であり、結局は、自分のための行動であるというものだ。

 それが本当に真実なら、人間関係に置いて一切の損得勘定のない繋がりなど、ゼロであるということになる。僕はそれを、寂しいとか、悲しいとは思わない。誰かの為という言い訳は、案外トラブルの種になるということを、僕は最近思い知った。ならば、一方通行な感情でも、いいのではないかと。もちろん、ただの一方通行では、押し付けになり、意味はない。だから、相手のことを思うのではなく、相手の損得を思って行動すれば、それでいいのではないかと。身も蓋もない話ではあるが。

「分かりやすくていいな、その考え。君は、間違わない可能性が高い方法を編み出したんだね」

 僕は言った。

 きっと一砂は、間違った選択に悩んだことがあるのだろう。社会や世界の抱える圧倒的な矛盾に気づいているのかもしれない。気付いて、納得ができずに、その中でその矛盾を限りなく正当化できる理論を生み出したのだ。

「いつか、聞きたいかもしれないな。一砂が、そこにまで至った経緯を」

「うん、いずれね。でも、そんな大それたことではないわよ。ちょっと考える時間が多かっただけ」

 一砂は、そう言って、すぅっと少しだけ向こうを見た。

 実は彼女は特別な何かを見てきたのかもしれない、と僕は思った。一砂は自分の考えをしっかり口にするけど、人生までもを語ることは少ない。子供の頃、あるいは中学、高校とどう過ごしてきたかなどは、僕が聞かないこともあってまったくわからないのだ。

 しばらくしてパンケーキが運ばれてきた。

 皿にたっぷり盛られたベリーやらホイップやらに圧倒されることもなく、一砂は上機嫌で平らげていった。

 僕はというと、思ったよりもはるかに大きいパンケーキにタメ息を付きながら、ブラックのコーヒーを追加注文した。

 女子はよくこんなものを頻繁に食べられるものだ。僕はそうだな、もう一年くらいは食べなくて良さそうだ。

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