2-6 『酔月亭』にて
「本日はご協力ありがとうございました」
事情聴取が済むと、ユイトはルースヴェインにそう礼をした。ロレーナもそれにならって頭を下げる。
だが、ユイトにはまだ彼に尋ねておきたいことがあった。
「最後に、ヴラディウスさんと飲んだという店の場所を教えていただけますか」
「分かりました。地図を用意させましょう」
ルースヴェインはそう答えると、「おい」と夫人に声を掛けたのだった。
◇◇◇
地図のおかげで、ユイトたちは迷うことなく『
トランシール公国では、民家ですら小洒落た外観をしている。店ともなると、それにいっそう拍車がかかって、一種の芸術品のようですらあった。
そんな『酔月亭』の中に、ちょうどヴァンパイアが入っていくのも見えた。ルースヴェインたちも行きつけにしているくらいだから、人気店なのかもしれない。
だが、この光景をロレーナはまったく別の観点から見ていたようだった。
「店に入るのに、店員の許可は必要ないのでしょうか?」
「こういうお店や公共の施設は、開店と同時に『誰でも入ってきていい』と結界を放棄してるんだよ。出入りの時にいちいちやりとりをしていたら手間だからね」
もっとも例外もある。たとえば高級店では、接客の一環や格式の演出として、店の前に案内係を立たせているような例が見られた。
結界のルール説明が済むと、二人も店の中へと入る。
ルースヴェインから聞いていた通り、『酔月亭』はダイニングバーとでも言うような店だった。内装はシックなもので、灯りも明る過ぎず、落ち着いた雰囲気が漂っている。何よりも客は入っているものの店内が静かなことが、この店がどんな店なのかを如実に表しているだろう。
またメニューに関しても、ダイニングバーらしいものだった。ワインを中心に酒類が豊富で、料理も酒に合うようなものが選ばれていたのだ。
「ヴァンパイアが肉を好むというのは本当だったんですね」
メニューを見たロレーナは、驚きと喜びに瞠目していた。肉食文化が盛んなのは、ウェアウルフも同じだからだろう。
しかも、彼女は健啖家だったらしい。Tボーンステーキに加えて、レバーソーセージやキドニーパイまで注文したのだった。
「美味しいですね」
一口食べた瞬間に、ロレーナはもう褒め始めていた。ヴァンパイアもウェアウルフも、肉の中でも特に生に近いものを好む傾向があるから、もしかしたら味覚が似ているのかもしれない。
対して、異世界人のユイトの感想は少し違った。
「確かに美味しいけど、これだけ厚いとあごが疲れそうだなぁ」
「十分柔らかいと思いますけどね」
そう言ってどんどんと食べ進めていくロレーナの姿を見て、ユイトは思わずこうこぼす。
「革のバッグを食べられる人にとってはそうだろうけど」
その瞬間、彼女は食器を持つ手を止めていた。
彼女が出したクイズでは、バッグを食べて盗まれたことにしたのは、あくまでも友達の話ということになっていたからだろう。
「……気づいていらしたんですか?」
「味の感想で『ウイスキーのコルク』なんて言っていたからね。子供の語彙じゃないなと思って。
君は友達から聞いた話じゃなくて、自分の体験を思い出しながら喋っていた。だから、開けるのに失敗して覚えたウイスキーコルクの味なんて表現が混じってしまったんじゃないかな」
「ええ、その通りです。バッグを食べたのは私です」
ユイトの推理を聞いて、ロレーナははっきりとそう認めた。
親に革のバッグをねだった上に、それが気に入らなくなったら友達の誰かに盗まれたことにした、という話だったにもかかわらずである。
「嫌な子供だったんですよ」
「子供の頃なんて、皆そんなものじゃないかな。僕だっていじめみたいなことをしてたよ」
この告白に、ロレーナは心底意外そうな顔をする。
「勇者様がですか?」
「うん」
「本当にですか?」
「うん」
「私に気を遣っておっしゃっているだけでしょう?」
「かもね」
『勇者様』への信用は、もはや信仰に近いものになっているらしい。ロレーナが醜聞をまったく信じようとしないので、ユイトの方が先に折れたのだった。
話に区切りがつくと、二人は止まってしまっていた食事に戻る。
ロレーナは大食いというだけでなく、早食いでもあったらしい。ユイトが半分も食べきらない内から、彼女はすべての料理を完食してしまう。
ただ、皿の上にはまだTボーンステーキの骨が残っていた。もちろん、人間は当然として、ヴァンパイアも残すのが普通なのだが、ウェアウルフに限ってはそうではない。
「骨は食べないの? 別に僕に合わせなくてもいいよ」
「ウェアウルフだと気づかれたら面倒事になるかと思いまして」
「そうやって決めつけるのはよくないんじゃないかな」
「それはそうですが……」
ユイトに諭されたからか、まだ食べ足りないからか。結局、ロレーナは骨を食べることにしたようだ。尖った歯と頑丈な顎で、煎餅のように噛み砕いていく。
その最中のことだった。
「あのー」
客の内の一人が、ユイトたちの席までやってきたのだった。
「もしかして、勇者様でいらっしゃいますか?」
「はい、そうですよ」
「握手していただいてもよろしいですか?」
「もちろん」
ウェアウルフの存在を見つけて、苦情や罵倒を言いに来たというわけではなかったらしい。そういう理由もあって、ユイトは笑顔で彼女に応じるのだった。
ドレス姿で淑女然とした格好をしているが、中身はそうでもなかったようだ。ユイトとの握手に、彼女はキャーキャーと黄色い声を上げていた。
もっとも、淑女でいられなくなってしまうほど、人々から好かれているということかもしれない。話を聞きつけて、「私もいいですか?」「僕も」「自分も」と次々に他の客たちも集まり始める。最終的には、店の中に握手待ちの列までできてしまった。
それどころか、とある老爺は右手の前にハンカチとペンまで差し出してきた。
「サインを書いていただけますか?」
「お名前は?」
「オルーク・ノースと申します」
「綴りはどんな風ですか?」
老爺を羨んだようで、後続の客たちも同じことを頼み始める。中にはすでに握手をしたのに、サインのために並び直す者まで出たほどだった。
次に順番が回ってきたのは若い夫婦だった。しかも、妻の方は妊娠していた。
「もうすぐ臨月なんです。名付け親になっていただけませんか?」
「ヴァンパイア風の名前はあまり詳しくないんですが」
「勇者様のセンスでつけていただきたいんです」
「それじゃあ、僕のいた世界で『夜』という意味のある『ノックス』というのはどうでしょう?」
サインと違って、真似できないからだろう。周囲からは「おめでとう」「おめでとうございます」と、妊娠を祝福するような命名を羨ましがるような声が上がった。
そんなことを何度も繰り返している内に、やっと客たちの要望が一段落する。
新しい要望が来る前に、ユイトは店長を呼んでいた。『酔月亭』に来たのは、食事のためでも握手会のためでもなく、店側の証言を聞くためだったからである。
「事件当夜、ルースヴェイン・ストロングモーンが、亡くなったヴラディウス・ドラクリヤとこの店で飲んでいたというのは間違いありませんか?」
「はい、普段から御贔屓にしていただいていたのでよく覚えています」
「二人が口論している様子などは?」
「仲良く飲んでいらしたと思いますよ。ワインの銘柄当てをなさったりですとか」
ロレーナの質問に、店長はそう答えた。概ねルースヴェインから聞いた通りの内容である。
次はユイトが彼に確認を取った。
「では、ヴラディウスさんが酔っていたというのは?」
「そうですね。かなり眠そうで、肩を借りて歩いておられましたよ」
ルースヴェインが家まで送ったという話も事実で間違いないようだ。
そのあとは、事件当夜はもちろん、日頃の様子などについても彼に尋ねてみた。だが、特に新しい情報は出てこないままだった。
二人は最後に、「ご協力ありがとうございました」と礼をする。
けれど、店長はすぐには立ち去ろうとしなかった。
「あの、店に飾りたいので、よろしければサインを……」
「いいですよ」
彼の遠慮を吹き飛ばすように、ユイトは笑顔でそう答えた。
念願のサインを手に入れた店長は、今度こそ二人の前から立ち去る。その足取りは軽やかなものだった。
この様子を見て、何故かロレーナまで頬を緩ませる。
「拒否したっていいのに。さすが勇者様ですね」
「捜査に協力してもらったからだよ」
「お客さんたちにもしてあげてたじゃないですか」
あっさりと論破されてしまった。言い訳があまりにも雑過ぎたようだ。
ユイトは「それで次なんだけど」と強引に話題を変えることにする。
「ルースヴェインさんの言っていた融和派に話を聞こうか」
◇◇◇
二人がダイニングバーに立ち寄る前――
「『酔月亭』への地図を頼む」
ルースヴェインに命じられて、夫人は「はい」と頷いていた。
「それと、融和派の中でも、特にヴラディウスさんと対立していた方のお家もお願いできますか」
ユイトは遠慮がちにそう付け加える。
だが、そもそも融和派の犯行だと訴えたのはルースヴェインである。彼はすぐにでも夫人にある人物の名前を伝えるのだった。
こうして地図をしたためてもらうと、事情聴取は本当に終了となった。
玄関先で、ユイトたちはルースヴェインと夫人の見送りを受ける。
「どうかヴラディウス殿の仇を取っていただけるようお願いします」
正義感か、友情か。ルースヴェインはそう深く頭を下げてくるのだった。
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