第23話
「いっやー、それにしても絶景ねえ!」
眼前に広がる、木どころか雑草すら碌に生えていない荒涼とした風景を額に手をかざして見渡すポレット。飛行場に降りた瞬間に踵を返したくなるほどの殺風景さであったこの景色も、マルムの遥か先まで見渡せるこの高所からだとまるで見え方が違ってくる。土色一色の殺風景な景色どころか、ジュネ神話発祥の地として相応しい厳かな聖域のように感じられるのだ。どちらかと言えば、神殿が祀る多神教よりもストイックな一神教発祥の地と言われた方がしっくりくる風景ではあったが。
(今から私の物語が始まるんだわ……きっと美しく幻想的な
ポレットは曇りのない瞳から取り込んだ非日常的な風景を体の隅々まで染み込ませた。体中に駆け巡るその感覚はとても寂しいものなのに、いつまでもこの風景を見ていたいような、このままここで死んでもいいと思えるような、とてもとても不思議なものだった。
(素敵とはちょっと違うけれど、でもあの時の予感はきっとこのことだったのね……)
先祖の地でポレットが浮かべる夢見心地の表情に、自分が褒められたような気になりちょっぴり嬉しくなったコリンヌ。彼女は1年前に取り巻きの少女たちを引き連れてマルムに小旅行に出掛けた時のことをふと思い出した。マルムの丘から素晴らしい風景を見せてあげる、ご先祖様の地はこんなにも美しい場所なのよ……。 自分の大好きな風景を一人でも多くの人に知ってほしかった彼女は意気揚々とこの地を一望できる丘に乗り込んだものの、彼女が目にしたものは白々しいお世辞を言いながら一様に顔を曇らせた同級生たちの顔だった。あろうことか当時お気に入りだった付き添いのメイドすら彼女の前で欠伸を憚らなかったほどだった(このメイドは後にマチアスに言い寄った挙句に拒絶され、邸宅のそこいら中に下品な落書きを残して辞めていった)。それ以来学校ではマルムのマの字も口にしなくなったコリンヌ。彼女は同級生に自慢したくて仕方なかったあの頃の想いを今遂げることに決めたらしい。
「素晴らしい景色でしょう、ポレット」
「うん!最初は帰りたくて仕方なかったのに、高い場所から眺めるとまるでファンタジー小説の舞台じゃない。ほんっと最高!!!」
「ふふふ、ありがと。実はね、あなたがここから見渡せる景色はすべてアポリネール家の所有地なのよ」
「えええええ!?」
これにはポレットも流石に驚いた。確かに岩だらけで農作物も碌に育たないであろう、地価が限りなく低そうな土地ではあったが、それでもこの高さからだと優に20km以上は見渡せる。700万以上の人口を擁するピレアンも難なく収まってしまうだろう。
(もうお金持ちってレベルじゃないわ……小さな国を一つ持っているようなもんじゃない)
無論、ジュネ国の建国史上極めて重要であり第一級国家遺産にも指定されているこの土地一帯は実質的にジュネ政府の管理下にあるものの、名義上の所有者であるアポリネール家に対して開発優先権が与えられていたり、政府による土地を利用したプロジェクトの際には使用料が支払われていたりと、同家には様々な特権が付与されていた。アポリネール家は由緒もあれば権力・お金、おまけに土地すらもたっぷりあるという、紛れもないジュネ屈指の名家なのだ。
「なんか私って場違いって感じ。コリンヌたちと一緒に居ていいのかしら?」
コリンヌのささやかな自慢はポレットをちょっぴりしょんぼりさせてしまった。しかし彼女が俯きながら呟いた場違いという一言はマチアスとジュリアンに強く引っ掛かったようだ。
「ポレット様、とんでもないことでございます。最初は気を遣われていたようですが、ポレット様と過ごされる今のコリンヌ様はとても自然体でいらっしゃる。ジュリアン様については言うに及びません。お二人に一番馴染まれている御学友がポレット様なのではないでしょうか」
「そ、そうだよ。コリンヌってば他の友達の前ではいつも猫っていうか……仮面を被ってる感じでさ」
二人はポレットを慰めるためにそう言ったつもりは欠片もなく、ただ相手の間違いを正してあげるという風だった。コリンヌは二人の突然の発言に虚をつかれ、顔を赤らめてプイッとそっぽを向いてしまった(この反応にはポレットもちょっと照れてしまった)。
「それにさ、腕が言う事を聞かなくて途中で諦めそうになったけど、その時に背中を押してくれたのがポレットの励ましだったんだ。僕が登りきれたのは君のおかげなんだよ。君が……その……一緒に居てくれたからなんだよね……」
「あらあ、お世辞がうまくなったわねえジュリアン」
言葉に詰まりながら伝えたジュリアンの偽らない感謝の念。その台詞に相変わらずのおまぬけヘラヘラ笑顔で照れるポレット、ちょっとタヌキに似ているが可愛い顔も台無しである。劣等感も吹き飛び気分が良くなった彼女は、目の前の畏怖の念を起こさせる壮大な景色を、何分の一かでも誰かに伝えたいという気持ちになった。
「よーし、撮影しちゃおーっと。私の写真で一人でも多くの人がマルムを好きになりますよーにっと!」
パシャリパシャリ。ポレットがその目を通して見た景色を余すことなく収めた写真は人々の心を遥か彼方の世界に飛び立たせたせることとなった。またピレアン卿区長が敬虔な心持ちになるという理由でこの写真を高額で買い取り、そのお金がのちにフォトグラファーとして世界中を駆け巡るポレットの軍資金になるという余談もあるのだが、それはまた別の話である。
「さーてと、いい写真も撮れたと思うし、ちゃっちゃと穴の中に入っちゃいましょう。みんな用意はいい!?」
ポレットは大口を開けた蛇の口から長く伸びる舌と繋がった、足から体を入れれば辛うじて人一人が入れる程度の壁の穴をウィンクをしながら威勢よく指さした(これが彼女の決めポーズ)。彼女が指を指したまさにその時……ぐうぅぅぅっと奇妙な音が鳴った。ウィンクを決め穴を指さしながら体を硬直させたポレットの顔に赤味がゆっくりと増していく。コリンヌは肩をすくめ、両手の手のひらを上に向けながら勝ち誇った表情をポレットに向けた。
「あらあら~、今の高貴な音色は何かしら?数々のクラシック演奏に触れてきた私でも聞いたことがない楽器を持っているなんて」
ポレットに慣れ始めた、いや馴染み始めたコリンヌは、ジュリアン以外には固く閉ざされた心の扉をちょっとずつポレットに開き始めていた。その小悪魔的な笑顔はこれでもポレットに気を許しているサインなのだ。真っ赤な顔でプルプルと震えるポレット。今の彼女に鈴を付ければさぞかしよく鳴ることであろう。王女様はそんなポレットをご満悦の表情で眺めていた。
(ぐぅっ。この女、
「お腹は誰でも減るものよ、だからそんなに恥ずかしがることではないわ。ただ高貴な教育を受けてきた私は珍しい音だったから」
ぐうぅぅぅぅぅぅぅ。呆れ顔で両手の手のひらを上に向けた少女の腹から聞こえてきたのは、ポレットよりも一段でかいやつであった。勝ち誇った表情のままフリーズしたコリンヌの顔もみるみる紅潮していく。ポレットは口に手を当てて慇懃無礼にコリンヌを罵った。
「あらあら~?高貴な教育を受けたお嬢様は流石に品がよろしいわねえ」
「ぐっ、ぐぅぅ」
ポレットのお澄まし仕草にぐうの音を出しまくって悔しがるコリンヌ。そんな様子をニコニコと眺めるポレット。その間にもふたりの腹の音が奏でる二重奏の音量が高まっていく。女神像の頭部に留まった白鴉のガアガアという鳴き声がその光景の滑稽さを余計に際立たせていく。慌ててジュリアンがフォローに入る。
「そ、そうだ。ちょうどお昼だしみんなでご飯を食べようよ。マチアス、リュックの中のお弁当を出してくれない?」
「そうですね、そろそろお昼にしましょう」
あるがままを曝け出すコリンヌの姿を見て口元が緩むマチアス。彼は鼻歌を歌いながらシートを床に広げ、更にその上に敷いた新聞紙の上で網かごの蓋を開けた。
「うっわー、きれーい!」
ポレットは思わず感嘆の声を上げた。彼女の目に映し出されたのは、生ハムやトマト、キュウリや玉ねぎ、チーズやツナマヨネーズといった品の良い形に切られた色とりどりの具材がバゲットに挟まれた、見目麗しい数々のサンドイッチだった。眩いばかりのサンドイッチを目を輝かせて眺めるポレットを、コリンヌが何故か不敵な笑みを浮かべて見ている。
「これ、誰が作ったと思う?」
ポレットにはコリンヌの問いかけの意味がよく分からなかった。
「誰って、専属のコックさんじゃないの?コリンヌ、もしかしてあなたが作ったの?」
「いいえ、私ではなくてよ。まあ作れないこともないけど」
「分かった、マチアス様ね。さっすが万能人!」
「いいえ、私でもありません」
マチアスも、まるでポレットが驚き
「じゃあ、もしかして……」
ポレットは珍獣を見るような目つきでジュリアンをじっと見つめた。その視線に耐えられず顔を赤らめながらもじもじと下を向くジュリアン。ジュリアンが時たま想い馳せるように、彼が女の子に産まれていたならきっとおしとやかで家庭的な少女に育ったに違いないのだ。サンドイッチを刺す指をピクピクさせ、口をパクパクさせながらちょっとお間抜けな驚きの表情を浮かべたポレットが、やっとのことで声を出した。
「も、もしかして、これ全部ジュリアンが……」
丁度そのころ、ジュネではある不穏なニュースが流れていた……。
◇◇◇
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