第17話

 土っぽい風が容赦なく吹き付ける中、ポレットたちはマルムに数えるほどしかない飛行場の詰所前でマチアスを待っていた。飛行場とは言うもののピレアンのそれよりも遥かに貧相なこの施設は雑草がわずかに生えているだけの岩ばかりの侘しい風景を一層際立たせ、ポレットを嫌でも不安にさせた。


(万が一機体が故障した時、ここでちゃんと修理できるのかしら?)


 ポレットが心配するのも無理はなかった。この飛行場は軽飛行機一台がなんとか着陸できる程度の滑走路と、バラックだか何だか分からない年季の入った詰所以外は何も無かったからだ。


(こんな僻地に住む人の気が知れないわ)


 気落ちしたポレットが風の止んだタイミングを見計らって素早くおさげを結い終えた頃に、詰所の玄関で年老いた職員に挨拶をし終えたマチアスが大きなリュックサックを担いで子供たちの元に戻ってきた。


「お待たせしてしまい申し訳ございません、では出発しましょう。ここからは歩いて行きます」

「えー、歩くんですかあ?」


 ポレットは手前に広がる、石ころがそこかしこに転がる道(とすら呼べない地面)を呆れた表情で見た。こんな足元ばかりが続くのでは1キロ移動しただけでへとへとになってしまいそうだ。


(ああ、楽園から徒刑場に突き落とされたような気分だわね……)


 最新鋭のテクノロジーによる夢のような体験から徒歩という原始的な移動方法への落差に、先程までのキラキラした冒険気分が一気に吹き飛んでしまったポレットであった。


「歩くと言っても1時間も掛かりません。そのかんのお暇潰しにここの風景の写真を撮影されてみては?」

「やめときます。だってつまんないわ……同じ風景ばっかりなんだもの」


 どこを撮影しても絵になるであろう花の都ピレアンとは大違いの殺風景極まりない景色にゲンナリしたポレットは早速踵を返したくなったが、最早もはや手遅れである。彼女は諦めた表情で3人の後を付いて行った。


(ママが正しかったわ。こんな辺鄙へんぴな場所にブラウスなんて場違いもいいところね)


 小さなため息を何度もつきながらとぼとぼと歩いていたポレットは、彼女のすぐ手前を歩くコリンヌの背中を見た。足元がゴツゴツした岩や石だらけの道を黙々と力強い足取りで歩くコリンヌ。ポレットは彼女の後ろ姿に少しだけ襟を正された。


(愛する弟のためとはいえお嬢様にしちゃ根性あるわね。てっきり文句の1つでも言うものかと思っていたけど)


 今まではコリンヌの表面的な部分しか知らなかったポレット。しかし僅か数時間の間に彼女の思いもよらない側面をいくつか目のあたりにしてきたポレットは、コリンヌというパーソナリティに純粋に興味を持ち、彼女ついてもっと知りたいと本心から思った。ジュリアンに対しては素直な気持ちを持てないポレット。対してコリンヌに抵抗感を感じなかったのは彼女が同性だからかもしれない。そんなことを考えながらポレットはコリンヌのビロードのような後ろ髪ばかりを眺めていた。


(あとこの子ってほっんとーーーに綺麗なのよね~。大人になったらアポリネール夫人のような素敵なレディになるのかしら。歪んじゃいるけど弟思いだし……あっ、やばっ!)


 おさげ娘はすってんころりんと地面にダイブしてしまった。


「あたっ!」


 このような悪路で考え事をしながらコリンヌの髪ばかりを見ていたポレット。しっかりしてそうでいて結構抜けているのである……。


「ポレット、大丈夫かい!?」

「ポレット様!」

「ちょっと大丈夫?」


 ジュリアンは石を不器用に飛び越えながらポレットの元へ真っ先に馳せ参じた。すぐ後にマチアスとコリンヌもひょいひょい石を避けながらポレットの周りに集まった。


「へ、へーきへーき。どこも怪我してないみたい」


 咄嗟に顔を守った腕をちょっと打っただけで済んだのだが、ポレットは皆が親身に気遣ってくれたので心がじんわり温かくなった……のだが……。


「今は平気でも後から痛くなる部分も出てくるかもしれない、じっとしてて。ああ、こんなところに泥が。ちょっと待っててね」


 ジュリアンはしゃがみ込んで彼女の腕や上着に付いた土をハンカチで拭い始めた。優しくて手厚い看護にちょっと胸キュンなポレット。


(こいつ頼りないけど女の子には優しいのよね~)


 照れながらしみじみとそんなことを考えていたその時、体育座りをするポレットの左斜め辺りから突き刺さるような視線が……。彼女の目の端に映ったのは、コリンヌがわなわなと震える姿だった。その顔はジャポレーンの領事館で見せて貰った般若という恐ろしい形相のお面にそっくりであった。全身に悪寒が走ったポレットは俯いてやり過ごそうと決め込んだ。それを具合が優れないと誤解するジュリアン。


「大変、顔が真っ青じゃないか!」

「へ、へーきだっちゅーの!ほら!」


 そう言って元気よく立ち上がるポレット。低血圧体質ゆえにクラっとしたが、満面の笑みで何とかごまかした。


(どうやらジュリアンが他の女を看護するってのがコリンヌの地雷みたいね……。まあ他にも沢山あるんでしょうねえ、くわばらくわばら……)


「本当にお怪我はありませんか?出発しても宜しいので?」

「ええマチアス様、ほーら。へっちゃらへっちゃら」


 白々しく笑いながらピョンピョン跳ねるポレット。コリンヌの顔をちらりと見た彼女は心の中でほっと胸を撫で下ろした。元のお澄まし顔に戻っていたコリンヌ、どうやら般若のお面は脱ぎ捨てたようだ。


「では出発しましょう」


 気を取り直して再び歩き出す4人衆。しかしポレットの目の調子がおかしい。


(あれ、目は咄嗟にかばったはずだけど……変なものが見えるわ)


 ゴゴゴゴゴゴ……、コリンヌの背中から黒紫色の薄い光が放出されているような……。ポレットは目をゴシゴシこすった後、それが錯覚でないことを悟った。


(前言撤回、やっぱこえーわこの子……。触らぬ神に祟りなしってね)


 オーラとして具現化してしまう程のネガティブパワーが完全に発散されるまで、コリンヌに話しかけるのはよそうと決心したポレットなのであった……。


◇◇◇


 しばらくすると足元もようやく道らしくなっていき、左右に切り立つ巨大な崖に囲まれた場所に足を踏み入れた。牢獄のように暗い中、そびえ立つ左右の崖の間からわずかに覗かせる青い空の下で歩くというのは、どこか宗教的なイニシエーションすら感じさせた。


「厳粛というか何というか……。胸がドキドキしてきたわ」


 ポレットはまるで自分が神話の1ページにいるかのような錯覚に陥った。


(この厳粛な雰囲気をいつまでも覚えていたい……そうだ、写真に撮ろうっと)


 パシャリ。ポレットが撮影した青空と薄暗い絶壁の絶妙なコントラストが美しいこの写真は、後々学園法人主催の写真展で大賞に輝くことになるがそれはまた後の話だ。


「ここは古代の神々が遺跡にある神殿で神託を受けるために歩いた回廊と言われています。遺跡はもう500メートルもありませんよ」


 そう言ってマチアスが指さす前方では左右の崖の間に走る細い縦線が徐々に淡い光を強めていった。回廊の出口が近いのだ。そしてポレットの視界には、台座に座る巨大な女神像が徐々に映し出されていった。


「うわあ、おっきーーーーーーい!」


 ポレットは胸を躍らせながら一人その像の真下まで駆けていった。その女神像はピレアンで最近流行りの大型集合住宅くらいの高さがあった。


「昔の人って電気も蒸気機関もないのにどうやってこんな大きなものを作ったんだろ?」


 突き抜ける青空を背景に威容を放つ女神像。全体的に物々しい雰囲気を感じさせるこの像は、頭部や翼など所々損壊しているものの精巧な細工が像の全体に施されており、特にローブの折り目は岩とは思えない程柔らかそうに見える。パシャリパシャリ。ポレットはまだ世の中に出回っていないこの小型カメラの扱いにすっかり慣れたもので、夢中で女神像をフィルムに収めた。


「ポレット、これがアポリネール家のルーツとされるペリエ遺跡よ」


 後から追いついたコリンヌが誇りに満ちた表情で遺跡について解説してくれた。もう禍々しいオーラも出ていないようで、ポレットは安堵のあまり大きくゆっくりと息を吐いた。


「今あなたが見上げている女神像は古代ジュネで祀られていた審判の女神”ゼーラーフィ”。遺跡自体は約3千年前からあったらしいわ。考古学者による調査とアポリネール家に代々伝わる古文書との突合せで、約250年前に当時のジュネ国王から当家の所有物と正式に認められたのよ」


 コリンヌはポレットへの嫉妬心をすっかり忘れて夢中で説明し始めた。


「へえ~3千年前か。ジュネ最古級の一族と言われるだけあるわね」


 そう言ったもののポレットには3千年という年月があまりピンと来なかった。


(恐竜やマンモスがいた頃かしら?やっぱり腰パン一丁で獲物を狩っていたのかな?)


「ペリエ遺跡にはアポリネール家の代替わりに奉納された宝物があちこちに眠っているわ。だから内部には新旧の宝物が混在している状態よ。このしきたりは古文書に伝わる一文”一族の男児は十のよわいに、己の運命となる宝物を持ち帰らんとする”を儀式化したものなの」


 アポリネール家が近年奉納をする品は縁起の良いものばかりだが、4代前までは曰くつきの芸術品や血塗られた過去を持つ工芸品なども多数奉納されていたそうだ。しかしその事実はアポリネール家の当主以外には伏せられている。


「そいやなんで男児だけなの?女の子を馬鹿にしてるわけ?」

「大昔の人の頭の中までは知らないわよ。とにかくそう書いてあったの」


 話し込むポレットとコリンヌの足元にいつの間にか複数の人影が映し出されていた。はっと気付いたポレットがそちらに目を向けると、軍服のような制服を着た男たちが彼女たちの前に立ちはだかっていた。


「どちらさんだい?」


 50は過ぎているであろうスキンヘッドの男が鷹のような鋭い視線でポレットを射抜く。ポレットは男たちが肩に掛けている、日射しを浴びて銃身を輝かせたライフルを見て背筋を震わせた。


◇◇◇

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