第8話

 ジュリアンの表情ははっきりと「嫌だ」と言っていたが、そんなことで動じるコリンヌではない。


「何よその顔、何でも言う事を聞くんじゃなかったの?」

「だめ、だめ、絶対だめだよ!明日はポレットにかっこいいところを見せるんだ。コリンヌの粗探しで恥を掻くのはごめんだ」

「平気で人を殴る乱暴女でしょ?あんたが暴力を振るわれないか見張らないと。言っておくけどこれは過保護ではないわよ。弟を守るのは姉としての当然の義務ですから」

「ポレットは僕を殴ったりしないよ。友達だって言ってくれたもん」


 コリンヌは呆れたように笑った。


「あんたバカ?」

「え?」


 不安げな表情のジュリアンを嘲笑うかのように、コリンヌは相変わらず腕組みをしながら見下した目で言った。


「友達だなんて、そんなのうちがお金持ちだからそう言ったに決まっているじゃない。それ以外にあんたに擦り寄る理由は見当たらないもの」


誤解のないように断っておくと、この時のコリンヌに悪気や悪意は一切なかった。彼女の心ないこの発言は、世の中の現実・真理を教えてやるという彼女なりの善意だったのだ。そして、残念ながらポレットも当初は妥協と計算の上でジュリアンの願いを了承したため、コリンヌの予想は中らずと雖も遠からずであった。


(はっきりと言ってやったわ。ジュリアン、現実というものを知りなさい。あんたは一生私に守られる立場なのよ)


 彼女はしてやったりと不敵な笑みを浮かべながら握りこぶしを震わせたが、ジュリアンは拳どころか体中をわなわなと震わせ始め、怒りに満ちた目でコリンヌを射抜いた。滅多に目にすることのない彼の激しく燃え上がるような感情にコリンヌは顔面蒼白になった。生来のプライドの高さ、何よりアポリネール家の誇りが他人に弱さを曝け出すことを許さず人前ではいつも堂々としているコリンヌだが、バスチアンの件で見せた姿といい、本来はちょっと臆病な性格なのだ。


(まさか、ジュリアンが私を憎んでいる?)


 ジュリアンは顔を真っ赤にして大声を上げた。


「ああそうだよ!僕はひょろくて意気地のない弱虫だよ。年下のシルヴァンには何一つ勝てないし、いっつも見下されている。おまけに学校では虐められっ子だ。情けない弟で悪かったな。でも、どんな理由であれポレットは友達になってくれるって言ったんだ。僕の大切な友だちを悪く言うな。もうお前の顔なんか二度と見たくない。このバカ!」

「何を言っているの?どうしちゃったのよ、いつものジュリアンじゃない……」

「うるさい、お前のことなんか大っ嫌いだ!」


 激情に任せて思いの丈をぶつけたあと、肩で息をしながら暫く放心したかのように伏し目がちに黙り込むジュリアン。気持ちが落ち着き始めた彼は顔を前に上げたものの、コリンヌの表情が目に入るや一気に血の気が失せた。顔を真っ赤にしたコリンヌが、体をわなわなと震わせながらぼろぼろと涙を流し始めたのだ。


「……そこまで言う?」


 ジュリアンは一転して狼狽え始めた。


「ご、ごめん。言い過ぎた」


 彼は悲しむコリンヌをいつも慰めるように優しく彼女の両手を握ったが、その手を引っかかれた挙句に胸倉を掴まれてしまった。彼女が唯一心を許せるのは根が優しいジュリアンだけだった。彼と二人きりの時だけは灰色の世界が優しく鮮やかな色に彩られた。その彼に大嫌いだと言われてしまったのだ。彼女にとって、それは親の死より辛いことだったのかもしれない。


「なによ!あんたのことが心配だから忠告してやったのに!」

「だからごめんって言っているじゃないか」

「うるさい!うるさい!」

「ぐ、苦ぢい……」


 苦しむジュリアンの顔を見たコリンヌは咄嗟に胸から手を放し、その場にうずくまり声も上げずに泣き続けた。ジュリアンは顔をクシャクシャにして俯き、呆然と立ち尽くした。


◇◇◇


 いつも気を張っている人間に限って一度崩れると脆いもので、コリンヌはジュリアンのベッドにうつ伏せになり、体中の水分をすべて目から流すのではないかと思うほど長い時間泣き続けた。最初はおろおろしているだけのジュリアンだったが、コリンヌの扱いに慣れている彼は、家政婦にコリンヌの好物であるマカロンと、涙で失われた塩分と水分補給用にポットに入ったお茶と塩飴を用意させ、ワゴンを部屋の外に置いてもらった。そして彼はベッドに腰かけコリンヌが泣き止むのを辛抱強く待った。

 数十分後、ようやくコリンヌが落ち着いたことを確認したジュリアンは、外に置いたワゴンを部屋に運び入れた。


「コリンヌの大好きなマカロンだよ。これを食べて元気を出してよ」


 コリンヌは無言でマカロンをひっつかみ、不機嫌そうな表情で延々と頬張り続けた。ジュリアンはしばらくコリンヌの様子を伺っていたが、彼女が五個目のマカロンに手を伸ばした時、ありったけの勇気をかき集めて断固とした調子で言った。


「コリンヌ、明日はどうしても一緒に行けないんだ」


 マカロンを掴もうとしたコリンヌの手がピタリと止まった。


「約束を破るのね」

「分かってくれ。アポリネール家の通過儀礼に保護者役が同行するなんて、それこそ家名に泥を塗る行為だよ」

「マチアスのお守りは問題ないんだ?」

「流石に大人が一人いないと遺跡の中に入れて貰えないだろ。それにマチアスは少なくとも僕のことを尊重してくれるさ、どっかの誰かさんと違ってね」

「そうだよね、私のことが大っ嫌いなんだもんね……」


 コリンヌは顔を埋めていたジュリアンの枕をキュッと抱きしめ、またブルブルと震えながら微かな慟哭の声を上げた。ジュリアンは完全に押されていた。


「勢いでそう言っただけだよ。君はいつも過保護だし、今日だって僕のことを馬鹿にしたじゃないか。明日、試練を乗り越えた後に見違えた僕を見てほしい。コリンヌをびっくりさせたいんだ……」

「いいわ、何でもあんたの好きにすればいいじゃない。私はこのまま寂しい婆さんになるから、気にしなくていいわよ」


 もはや理性的な話は無理だと悟ったジュリアンは、ついに腹をくくった。


「わかったよ、一緒に行こう」


 コリンヌは普段の彼女からは想像もできないほど無防備な表情でジュリアンを見つめたため、恥ずかしくなったジュリアンは顔を背けた。彼女は一瞬で小悪魔の表情に切り替え、ジュリアンの頭を優しく撫でながらこう言った。


「それでいいのよジュリアン。あんたには私がついてなくちゃ。何があっても守ってあげるからね。ポレットが友達として相応しいかだって、私が見極める……」


◇◇◇

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