ポレットの幻想物語

ワイズウィル

第1話

 ここはサランドラ図書館。ジュネ国の首都ピレアン第三区にあるこの歴史ある建造物は、同区に数あるゴシック調の図書館に比べるとややこじんまりとしているが、レンガ造りの元教会を改装した美しい外観は昔から地元住民に愛されてきた。

 ステンドグラスから降り注ぐ日射しが長机の上で不思議な模様を形作る中、机に頬杖をつくおさげの少女が足をぶらぶらさせながらつまらなそうにため息をついている。


「あーあ、やっぱりママとジャニーヌと一緒にお買い物に行けばよかったな」


 彼女の名前はポレット。母親たちと一緒にお洋服を見に行く予定だったのだが、恋愛ファンタジー小説シリーズの次巻を借りたいがためにデパートに向かう途中で一人抜け出したのだ。しかし目当ての本が貸し出し中だったためポレットは手持ち無沙汰で不貞腐れていた。口をすぼめながらぼんやりとしていた彼女は、長机に覆い被さる人影にはまるで気付かない。


「面白い本が見つからなかったかしら、ポレットちゃん?」


 静まり返った館内で急に後ろから女の声がしたため慌てて振り返るポレット。その先にはすらりと美しい一人の女性が立っていた。どこか見覚えのあるような、でも正直思い出したくないような……ぼんやりした焦点が徐々に鮮明になるように、ポレットの記憶がゆっくりと呼び起こされた。


(げげっ、コリンヌのママじゃない)


 ポレットは心の中で思わず舌打ちをしてしまった。彼女はお高く留まった同級生コリンヌの母親、ジョゼット・アポリネール。貴族で実業家であるアポリネール氏の夫人というだけでなく、自らもピレアンで複数の高級ブティックを経営しているという、ピレアンの若い娘たちがこぞって憧れる有名人の中の有名人。


(コリンヌと私はなんの接点もないはずだけど、なんで私の名前を知っているのかしら……)


 仕方がないので、ポレットは立ち上がりスカートの端を持ち上げて会釈した。


「ごきげんよう、アポリネール夫人。お初にお目にかかります……でよろしかったかしら」

「ええ、こうやってお話するのは初めてよ。あなた図書館がお好きなの?」

「ええ、静かな環境で読書をするのが好きなんですわ」


 ジョゼットは口に手を当ててクスクスと笑った。


「やあねえ、私にそんな堅苦しい言葉遣いは結構よ。それともおうちでもそのように話しているのかしら?」

「い、いいえ。それじゃあ遠慮なく」


 ポレットは密かに安堵のため息を漏らした。親の見栄で一流の私立学校に通わされているポレットは人前では正しいマナーで接するよう厳しく躾けられていたが、実際は堅苦しい礼儀作法などうんざりだったのだ。そんなポレットを見透かしてか、アポリネール夫人はニッコリと笑ってこう言った。


「あなた、学校では随分やんちゃなんですって?」

「そ、そんなことないですぅ」

「気にしないで、コリンヌも家ではただのお転婆娘よ」


 意外だった。ポレットはあの女のガサツな姿は想像すらできなかったのだ。


「よかったら私とお茶でもいかが?」

「えっ?でも……」

「図書館併設のカフェでよ。実はちょっとお話したいことがあるの」


(げげっ……急に何を言いだすのよこのひと。よりによってコリンヌのママとお茶だなんて最悪だわ……)


 ポレットは笑顔の裏で毒づいていた。でも下手に断ってコリンヌに悪い形で伝わるのだけは何としても回避しなければならない。腕白なポレットですら、10歳にして学校のボス猿であるコリンヌに目を付けられるのだけは避けたかったのだ。


◇◇◇


「このコーヒー、コンビーア産の豆を使っているのよ。とてもいい香りでしょう。子供にはちょっと酸味が強いかしら」

「いえ、とても美味しいです」


 ポレットはおませさんなため、ミルクや砂糖を入れるのは何となく子供っぽいという思いがありお澄まし顔でブラックコーヒーを飲んでいたのだが……。


(くっそ苦いわ、これ……)


 顔をしかめたくなる程苦かった……。しかしそんな彼女に救いの手が差し伸べられる。


「良かったらケーキもいかが?」

「はい、頂きます!」


 一転して顔が輝かせるポレット、やはりまだ子供である……。


 注文したモンブランを美味しそうに頬張るポレットを対面の淑女がニコニコと見つめてくる。ポレットはコリンヌに瓜二つであるジョゼットの美しい顔立ちに思わず見とれてしまった。


(流石あの高慢ちき女のママだわ、ほんと綺麗なお顔ね~。なんだかドキドキしてきちゃった)


 しかしジョゼットがポレットの顔をあまりにまじまじと見てくるので、高鳴る胸は次第に落ち着かない気持ちへと変化していった。


「あの、私の顔にクリームが付いています?」

「そうじゃないの。あなた、ジュリアンを虐めから守ってくれたんですってね?」

「ああ……そのことですか」


◆◆◆


 昨日の休み時間、ジュリアンはクラスの乱暴者であるバスチアンにいつものように難癖を付けられ、小突かれ、蹴られ、おまけにゴミを投げつけられていた。小等部の4学年で同じクラスになってからというものの、バスチアンは大人しい彼をいつも標的にしていたのだ。双子の姉であるコリンヌの威光により(馬鹿にされこそすれ)日頃彼に手を出そうとする者はいないのだが、別のクラスに在籍している彼女の目の届かない場所では話が別だった。それに、ジュリアンも何故だか虐められていることをコリンヌに告げ口しようとはしなかった。


「おらっ!ちょっとはやり返してみろよ」

「やめろ、やめろよ!」


 バスチアンがへらへらしながら汚水で濡れた雑巾をジュリアンに投げつけようとしたその瞬間、彼の頬に強烈な右ストレートがねじ込まれた。バスチアンは派手に吹っ飛び、後ろに飛んだ先の机や椅子がガラガラと派手な音を立てて散乱した。


「あー、すっきりした」


 ポレットはパンパンと手を払い、満足げにそう言った。クラスメート達はこの乱暴女に恐れおののき半笑いを浮かべながらじりじりと後ずさりをしていたが、当のジュリアンは不思議なものを見るような目でポレットを一瞥した後、何も言わずに教室を出て行ってしまった。ポレットは彼が飛び出していった、今は誰もいない教室の入り口を見ながら不満げにこう呟いた。


「何よ、せっかく助けてあげたんだから一言くらいお礼があってもいいじゃない」


 もっともこれはジュリアンのためだけでもなかった。その前日の短距離走で、ポレットはバスチアンに足を引っ掛けられ派手に転んでしまったのだ。クラスで一番足の速いポレットに一度も勝てたことのないバスチアンの幼稚な嫌がらせだった。駆け付けた年配の体育教師の前でバスチアンはポレットに手を差し伸べながらこう言った。


「悪い悪い、俺も足がもつれちゃってさ。ケガはない?」


 バスチアンは大人たちの前では大人しかったため、教師は単なる事故だろうとそのまま去ってしまった。しかし教師がいなくなったあとバスチアンは意地悪そうな顔でポレットを嘲笑い、口笛を吹きながら去っていった。この時からポレットの心には復讐の炎がメラメラと燃え盛っていたのだ。


 要するに助けたのは事実なのだが、この状況を利用してポレット自身のリベンジを遂げただけなのだ。本当のところ、ポレットは男の子のくせにいつもおどおどして虐められっぱなしのジュリアンのことを心の底から馬鹿にしていた。彼女はやられっぱなしの奴のことなどこれっぽっちも理解できなかった。


◆◆◆

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