わたしに「なまえ」をおくれ

他山小石

怪異を語る

「大丈夫」

「これは怖くない怪談だから」

 セーラー服の少女が楽しそうに笑う。

 俺は二人で恒例の怪異問答を楽しんでいる。

 秋とはいえ、まだ暑い日々が続き、窓は開け放たれている。揺れる白いカーテン、夕焼けの色と彼女の黒髪が混じる。

 放課後の教室は、今この瞬間のために創り上げられたような錯覚に陥る。


 猫野みこ。

 上品なシャム猫のような雰囲気の長身長髪のオカルト少女。

 本人は、「ネクロノミコン(死霊秘法)みたい」というが、目元の優しい雰囲気がどこまでも猫のような愛らしさを醸し出す。


 二人で、放課後に語り合う。

 といっても話すのはいつも彼女。俺は彼女の話が好きだ。

「くねくね、という有名な怪異があるね」

「正体がわかってしまったら、見たものはおかしくなってしまう」

「防衛反応か、または別の何かか」

「正体は、未来の自分自身だとも」

「暑さで幻覚を見ているとも」

「どちらにしても、危険な状態だ」


「八尺様」

「これも、見る人によっては姿が変わる怪異だ」

「喪服の若い女だったり、老婆だったり」


「この手の話」

「見る人によって姿を変える怪異が現代にも生きている」

「と言ったら」


「君は信じるかい?」

 思わせぶりな視線に心臓が跳ね上がる。

 この娘は、なにか世界の真実をすべて知り尽くしているんじゃないかとさえ思う。


「あるんだよ、身近すぎて」


「誰も気づかない」

 言葉の一つ一つが、無防備な俺に染み込んでいく。


「気づいたとしても」

「君は本当の名前を」

「呼べているのか、誰も判断できない」

 俺をまっすぐ見つめ、言葉を重ねていく。


「当たり前過ぎて、疑問にも思わない」


「信号を見て、疑問に思うことはあるかな」


「赤、青、黄色」

「でも、青は青じゃない」


「どう見ても緑だ」

 どうでもいいこと、と片付けてしまう。


「認識、常識、そんなものは」

「気づいたときにはガラガラと」

 窓枠に手をかけ外を見る彼女は、夕日の中に消え入りそうな、儚さを纏う。

「崩れ去っているものかもしれない」

 外からカラスの鳴き声が聞こえた。


「おや、カラスが鳴いているね」

 こちらを、また楽しそうに見つめてくる。

 いたずらが見つかった子どものような心境になる。


「でも、ちゃんと確認するまで本当にカラスなのかどうかは」

 一瞬だけ笑みを浮かべる彼女。

「誰にもわからない」

 少しだけ首を振る、細く長い髪は、夕日とのコントラストで美しく映える。


「君から見えていないところに、もしも、だよ」

 念を押すようにこちらを見つめてくる。


「猫の体で、顔だけは中年男性の」

「そんな物の怪の可能性も、ある」

 そうだろ? と。


「かーかー、とその物の怪が鳴いてるとしたら」

「君はどうする? カラスが鳴いているとは言わないだろう?」

 それはそうだ、と眼で返し、近くの机に腰掛けた。

 彼女は教卓のある側にいる。俺は生徒だ。

 彼女はただ微笑み、言葉を続けた。


「話を戻そう」


「あれは、なんだと聞かれて、どう答えるかだ」


「当たり前だから」

「当たり前過ぎて、みんな答えられるのに」

「でも、答えが違ってるんだ」

 常識、とでも言いたいのだろうか。

 わからない。


 彼女は、重い罪を告白する囚人のような、空気をまとわせ始める。


「ソレは、確実に眼の前にあるのに」

 もがく罪人のように。


「バベルの塔は、神々に挑んだ罪でバラバラにされた」


 聖書にある、逸話。

 人類が天の世界に到達するために。

 途方もない労力をかけた塔。

 神の怒りに触れ、崩壊したという。

「そうして、世界は分断された」

 二度と、人類が手を取り合わないように。


「バベルの崩壊後、人類はそれぞれ別の言葉を使うようになった」

 彼女は、どれほどの真実にたどり着いたのか。


「ああ、そういう古い話じゃない」

「日本の話だよ」

 安心していい、とばかりに微笑む彼女


「ボクと君も、今、日本語で会話してるね」

 確認するかのように、細く形のいい指でさしてくる。


「君と話が通じてよかった」

「ああ、こんな話に付き合ってくれる君がいて」

 手のひらを上に向け、わざとらしいしぐさで首をふった。


「でも、ソレの答え次第ではどうかな?」

 覗き込むように、試すような視線。


「まだ、わからないのかい?」

 やれやれ、とばかりに大げさに両手をあげて首をふる。

「ニブイ男の子だね、ふふ」

 楽しそうに笑う。

「ああ、すまない、つい。君はからかいたくなる顔してるから」

 からかわれるのは馴れている。彼女は乗り出すように再度尋ねた。


「さて、答えはなんだと思う?」

「我々の認識をバラバラにする、その怪異は?」

 指でこちらに催促する。

「答えは」

 彼女では?


「まさか、ボクとは言わないだろうね」

 彼女は窓側にもたれかかる。眉をあげ、また笑う。

 表情がコロコロ変わって、まさに怪異だ。


「ああ、確かに、ボクの面倒くさい部分を見せてるのは君ぐらいだから」

 いつもは大人しくて、とくに目立たない。


「皆のまえでは、わたし、だからね」

 擬態だ。猫が猫被ってる。

 正体を隠す怪異だ。と言いたかったが、やめておいた。


「正解ってことにしてあげてもいいよ」

 何が楽しいのか、人差し指でメトロノームのように、左右にふる。


「この世に不思議はあふれてるね」

 わざとらしく、額に指をあて、彼女は答える。


「二重焼きだよ」

 は?


「太鼓まんじゅう、回転焼き、大判焼き、今川焼き」

 おいおいおいおい。

「ほら、誰もが知ってて。誰もが答えられるのに」

 口元に拳をあて、彼女は楽しそうに続けた。


「でも、みんな、正解、でも間違い」

 楽しそうに笑う、彼女を見ていると俺も楽しい。

「これも怪異でしょ?」

 そうかも、と。

 だが俺は、予感する。どうやら別の怪異に魅入られているようだ。

 彼女から視線を外せないのが、その証拠なのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

わたしに「なまえ」をおくれ 他山小石 @tayamasan-desu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ