松村博士、タイムマシンをつくる

藍川 峻

前編

 何もない空間が揺らいだと思った刹那、黒猫が現れた。大きな体重計のようなトレイの上から飼い主を見つけてにゃーと鳴いた。

「よし、成功じゃ!」

「良かった~! 無事だったんだね、ダークマター」

 黒猫――ダークマターは飼い主の高橋青年の元に歩み寄る。高橋青年はダークマターを抱き上げ、怪我がないか、おかしくなっているところがないかと黒猫のあちこちを点検する。実は、この猫は今現在にいるべき存在ではない。本来は5時間前にいた猫なのである。

つまり、猫からしたらいきなり5時間後の世界に来たと云うことであり、史上初めて時空を超えた哺乳類と云うことになるのだ。ダークマターは隣の部屋にいる。

「うん、異常はなさそうですね」

「よし、これで哺乳類も成功じゃ」

「よっしゃぁ! じゃあ、早速メディアを呼びましょう」

「まあ、そう焦るでない。最終テストが残っておるじゃろう。それよりタイマーは何分じゃったかの」

「5分ですからそろそろですね」

 二人がダークマターを凝視する。ほどなく、高橋青年の膝の上でくつろいでいた黒猫の姿が、何の前触れもなく消えた。

「うむ、時間ぴったりのようじゃな」

 5時間前から来たダークマターは本来の時間の世界に戻った。二人は5時間前に彼が5分間姿を消していたところを見ているのだ。

 そう、松村博士が開発・設計し、高橋青年と二人で組み上げたのはタイムマシンであった。最初は無機物から始め、各部を調整しながら有機物、植物、両生類、爬虫類と段階的に進め、いま、とうとう哺乳類のタイムリープに成功したのだ。

 奥から黒猫がやってきた。これが現在のダークマターだ。腹が減ったらしく、飼い主を見上げてにゃーにゃー鳴いている。高橋青年は専用のさらにキャットフードを入れてやった。

「このタイムマシンが完成して発表したら、おまえもこんな安いキャットフードではなく、最高級の猫缶をやるからな」

「さて、それじゃ、最終テストに入ろうか」

「はい」

「では、高橋くん、台に乗りたまえ」

「……はい? 博士が乗るんじゃないんですか?」

「開発者のわしは経緯を見守る必要があるからの」

「いや、やっぱり開発者こそ実際に試された方が良いのでは」

「君は老い先短いわしに危険なことをさせるつもりなのか?」

「うわ、危険って云った。やっぱり危険なんじゃないですか」

「わしの理論は完璧じゃ。猫だって大丈夫じゃったろう」

「でも、質量が全然違うじゃないですか。ぼくはイヤですよ。博士がどうぞ」

「いやいや、君がやりたまえ。世界初の時間旅行者の第1号の名誉はキミのものじゃ!」

「いえいえ、ご遠慮なさらずに。よっ、人類初のタイムリーパー!」

 揉み合い押し合いしていた二人の体が、ピタリと止まった。



 無数のフラッシュが壇上の彼に浴びせられた。彼はいつもと違ってスーツとネクタイ姿だ。背後のパネルにはこう書かれてあった。「祝! 人類初の時間旅行成功 偉業に貢献した勇気あるパイオニア!」

 その開拓者パイオニアこそ、彼--高橋青年だ。

 当代随一の人気を誇る美人アナウンサーがインタビュアーとしてマイクを向ける。

「今回はおめでとうございます! 栄えある時間旅行者第1号となられたわけですが、恐怖心は有りませんでしたか?」

「恐怖心、ってほどではないですけど、やっぱり不安はちょっとだけありました」

「不安、ですか」

「そうですね。自分たちで組み立てたとはいえ、パーツはちゃんと動くのか、どこか断線はしていないか、とか」

「それは、機械に対する不安、ってことですね。時間旅行それ自体についてはいかがでした?」

「それはないですよ。博士の理論に間違いのあるはずがありません」

「素晴らしいですね。師弟間の確かな絆を感じて感動しちゃいます! でも、一歩間違えば時空間を無限にさまよう恐れもあったと聴き及んでおりますが」

「何事も挑戦しなければ、前には進めません。私は科学の徒として当然のことをしただけです」

「まさにパイオニア! 危険を顧みずに科学の発展へ多大なる貢献をしたというのに、その謙虚さ! どうしましょう。私はもう、感激をとめられません!」

 この会見はテレビとネットで同時放送され、日本のみならず世界中から絶賛された。

 さらにテレビ、新聞、雑誌などの取材が分刻みのスケジュールで組まれ、2時間しか寝れない日もあった。

 取材を受けるたびにギャラは貰えるし、CMの出演依頼があるたびに多額の契約料が発生したため、高橋青年は松村博士とともに一気に長者番付に名を連ねるほどになった。無論約束を守って、ダークマターの餌は格段にランクアップした。

 ついにはファンクラブまで作られ、テレビ番組に出演するたびに若い女性からの黄色い声が飛んだ。人生初のモテ期だった。

 こうして高橋青年はまさに我が世の春を満喫していた。

「いやー、ホント、あの時勇気を出して良かったな〜」

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