僕は猫語が話せない。

ユーリイ

第1話

死んだ後って魂はすぐに消滅するんだと思ってた。天国とか地獄とか、そんなものは空想上の話だと思ってた。俺が事実を知ったのは、もちろん死んでからだ。

「仕事は慣れたか?新入り」

黒い魂のような物が話しかけてくる。

俺は死んだらしい。『らしい』というのは、俺に死んだ時の記憶が無いからだ。死んだ時だけじゃない。前世(というのも違和感だが)の記憶もどこかへ行ってしまったみたいだ。ついでに肉体も。もちろんここに来た時の記憶もないが、黒い魂からは新入りと呼ばれるのできっと死んだのは最近なのだろうと推測する。

「魂が多すぎます。疲れました」

「それは皆同じさ」

黒い魂のような物は乾いた声で笑う。

俺は別にここがどこなのかを知りたいとは思わない。記憶が無いのだから、未練も特にない。

だが、ここでの単純作業には正直飽きてきていた。

最後尾が見えないほど並んだ白い魂の死因を調べ、該当する扉に送る。それの繰り返し。死因は魂をスキャンすると勝手に出てくるため、なんの技術も要らない。意外と最先端なものだ。

人によっては楽な仕事なのだろうが、俺はそう思えない。やりがいのない仕事は嫌いみたいだ。

「お前にはさっさと仕事に慣れて貰いたいところだが、後ろが詰まって苦情が来てるんだ。ここはオレが変わるから、そこら辺見学に行ってこい。また呼びに行く」

合法的に仕事をサボれるのはありがたい。

俺は頷いてその場を離れる。

見学してこい、と言われても白い魂の列が続いているだけで他に何かあるわけでもなさそうだ。

でも、別にいい。何もないのは楽だ。安全だと決まっているから。ここにとどまっておくのは気まずいから、とりあえず歩く。

ここは天国や地獄に行く為の通路なのだと思う。白い魂の死因はバラバラだ。病死のやつも、事故死のやつも、自殺のやつも、他殺のやつもいる。自殺や他殺は黒い扉。病死や事故死は灰色の扉。その他は白い扉。きっとあの先が天国か地獄なんだろうと思うが、扉が3つなのは違和感だ。自殺と他殺が同じ括りなのもなんだかモヤモヤする。でも、どれだけ考えたって俺に真実が分かるわけじゃない。別にどうだっていい。

しばらく歩くと、何も無かった世界に壁と階段が現れる。この世界は無限じゃないようだ。壁に反って取り付けられた簡易な階段には、白い魂が並んでいる。

随分と死者が多いものだ。もし世界中の魂が1度ここを通過するのなら、窓口がひとつなのは効率が悪すぎる。後で黒い魂に文句を言おう。窓口が増えれば、俺の仕事も減るだろう。

そんなことを考えながら辺りを見回すと、この世界には明らかに異質なものが目に入った。

白くない。黒くもない。魂じゃない。あれは、人間だ。ここに来る前の記憶が無いから、人間の姿なんて知らない。でも、直感的にそうだと思った。

なぜだか分からない。どくんと心臓が跳ねた気がした。恐怖?違う。なんだか懐かしいものを感じる。俺は元々人間だったのか?そもそもどうして、生身の人間がいるんだ。ここには魂しかいない。きっと肉体はここに来るまでに消滅するんだと思っていた。理由は分からないが、明らかに異常だ。ここに生身の人間は居てはならないような気がした。

人間は泣いていた。白い魂は話さないから、すすり泣く声だけが響く。存在に気づいてしまっては、無視できない。

「君は、誰?」

声をかけると、体がぴくりと動き、すすり泣く声が止まる。ゆっくりとこちらに振り返った人間は、綺麗な少年だった。

白い肌に栗色の髪の毛。長いまつ毛の生えた大きな目は、髪の毛と同じ色をしていた。

「君はきっと、ここに居てはならない」

少年は俺を見つめる。何も話さない。いや、話さないのではなく、話せないんじゃないだろうか。ただ肉体があるだけで、他の魂と変わらないんじゃないだろうか。いくつかの仮説を立ててみるが、それは間違いだったようだ。

「君は、誰?」

俺の質問の反復。話せたのか。なら、彼は俺と対等に渡り合える。

「俺は_」

質問に答えようとして、詰まる。そういえば、俺は誰なんだろう。先程まで知りたいなんて思わなかった疑問が頭の中を埋め尽くす。そんなことを聞かれれば、知りたくなるじゃないか。そう文句を言ってやりたかったが、俺の方が先に質問したので抑える。

とにかく、俺を定義付けなければならない。自分が答えられない質問を相手に求めるのは、フェアじゃない。

「俺は、死神だよ」

それが一番近い存在だと思った。死者の魂を、天国と地獄に送る。魂を操る魂。色が黒という点も、死神っぽかった。

「ふふ、随分可愛い死神さんだね」

本当に、綺麗な少年だ。笑った顔も様になる。

「君は?」

貶されてるのか褒められてるのか分からなかったため、可愛いという単語は無視した。わざわざ俺を定義付けたんだから、ちゃんと質問に答えてもらわなければ困る。

「僕は人間だよ」

その通りだ。俺の聞き方が悪かったし、答え方も悪かった。

「名前は?」

「伊織、だったかな」

「伊織。どうやってここに来たの」

「知らない」

記憶は曖昧。でも、俺よりはある。少なくとも、俺は自分の名前すら知らない。

「どこから来たの」

「元いた世界」

そんなことは分かってる。話が進みにくくてイライラする。

「ねぇ死神くん。君は僕を元の世界に送り返してくれるの?」

「約束はできない」

でも、俺にできることはしよう。

先程まで微塵も興味がなかった元の世界。ちょっとだけ、知りたい気がしてきた。俺はどうしてここにいるのか、どうしてやりがいのない仕事をやらされているのか、知りたかった。そして、俺を勝手に殺して勝手にこんな所に連れてきたやつに文句を言いたかった。

面倒事は嫌いだ。できる限り省エネで生きていたいし、無駄なことは最大限避けたい。

でも、ここでの仕事は、少年を元の世界に送り返すことよりも無駄なことに思える。

他人の魂の行先なんか知るか。俺自身が迷子なんだ。先にこちらを解決してもらいたい。

これは俺が、面倒な仕事をサボるために面倒事に足を突っ込む物語だ。

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