第5話 おにぎり
さて、おにぎりの話です。
京都に住んでいた子供の頃、祖母や母が握ってくれたおにぎりは俵型で、三角形のおにぎりを食べたことがありませんでした。結果、遠足などに持っていくお弁当には、俵型のおにぎりが並び、バラン(あの緑色の先がギザギザのやつ)で隔てて、おかずは玉子焼き、焼きタラコとなり、幕の内弁当的な様相を見せていました。
テレビアニメや教育テレビ(今のEテレ)、絵本などで描かれるおにぎりは必ず三角形のものだったので、三角形のおにぎりに憧れていたように思います。お菓子の「おにぎりせんべい」が発売されたときは、異文化に出会えた気がしたものです。祖母や母が俵型のおにぎりを握る手元をじっと見つめていた記憶が濃厚にあり、絶妙な硬さに炊かれたご飯を絶妙な握り加減で握る祖母や母の両手のひらがマジシャンのように見えていた気がします。
東京暮らしが何十年も経ち、私の好みのおにぎり屋さんを何軒か見つけ、おにぎりライフはそこそこ充実してきたようです。最初に「これは!」と歓喜したのは三軒茶屋の交番横の路地にあったおにぎり屋さんでした。たぶん、寿司屋さんの跡を居抜きで借りた店内で、少々雑然としていましたが、注文を受けてから握るおにぎりは格別の美味さでした。が、ある日忽然とお店がたたまれ、おにぎり喪失感を味わいました。本当に残念でなりません。その後なかなか「これは!」というおにぎり屋さんには出会えませんでしたが、小田急の南新宿駅近くのおにぎり屋さんに出逢えたのは幸せでした。普通のおにぎりの1.5倍はある大ぶりのおにぎりですが、やはりお米の炊き方、握り加減、そして巻かれた海苔の香り……この三拍子が揃っていて、満ちたお腹を笑顔でさすっていたのを覚えています。新型コロナ禍で出不精になると、近所の美登利寿司本店の売店で販売されているおにぎりばかりとなりましたが、今日、下北沢から三軒茶屋へと散歩する道すがらに見つけたのが、お米屋さんが店頭で販売しているおにぎりでした。お米屋さんのおにぎりが不味いわけがないと確信した私は、店頭に立ち、タラコ、梅、鮭を購入し、いそいそと帰宅しました。もちろん、上述の三拍子は完璧でした。
おにぎりを巡る冒険を何十年も続けてきましたが、避けるおにぎり屋もあります。気を衒ったおにぎりや、何故か高めの価格のおにぎりです。安価で何でもない美味さこそ、おにぎりの醍醐味なのになぁ、と思うことしばしば、です。
たまに、自分で握っても良いかとは思いますが、祖母や母のマジックハンドには敵わないと諦めているのと、おにぎりは誰かが握ってくれたものが美味いという固定観念があります。
死ぬまで、おにぎりの旅は続くと思いますが、祖母や母のおにぎりはもはや存在しません。少し寂しいおにぎりの旅なのです。中嶋雷太
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