最終話

 それから何年の時が流れただろうか。もう、すっかりわからなくなってしまった。


「お母さん、今日は調子、どう?」


 病室のカーテンを開けながら、娘が言う。


「悪くないよ。今日はあんまり辛くない」

「そっか、よかった。……さっきね、お母さんのお友達が来てたんだけど、これだけ渡して、帰っちゃった」


 そう言うと娘は、私に一通の手紙を差し出した。


「律儀だね。いまどき手書きの手紙だなんて」

「私たちの若い頃には、スマートフォンなんてなかったんだから、仕方ないじゃない。苦手なのよ、そういうのは」


 私は笑う。


 手紙を開いて差出人を確認する。見慣れた文字列に安堵して、返事を書こうとペンを持つ。



 一昨年の冬に夫が他界して、私は一人暮らしになった。

 数十年ぶりの一人暮らしは、ほんの少しだけ寂しさもあったけれど、近所には同じように独身のお茶飲み友達もいるから、それなりに楽しくやっている。


 私が先週末に風邪をこじらせて入院してからは、娘はこうして毎日顔を出してくれている。


「こんなにこっちに来ていて、梨奈りなさんが寂しがるんじゃないの?」

「そんな、今更。新婚でもあるまいし」


 そう言って娘は笑う。


 ……そうだね、あなたが『大事な人』だと言って紹介してくれた『彼女』と結婚してから、もう随分経つんだよね。


 もう二人の末の娘も、去年成人したものね。

 いい時代に、なったね。


琉歌るか


 ふいに名を呼ばれ、娘は振り返る。


「ありがとうね」


 私は小さく呟く。


「なによ、水くさい」


 そんなやりとりをしながら、私はペンを走らせる。


「こんな歳取っても仲良くしてくれるなんて。いいお友達がいてよかったね。大事にしなよ」


 そんなことを偉そうに言うけれど、その言葉の意味は、今は何より私が、一番わかっている。


 次はいつ、一緒にお茶を飲もうか。

 どこで待ち合わせて、何を見ようか。どんな服を着て、何を食べようか。


 想いをいっぱいに込めて封をして。最後に封筒の表に記した。


 愛しい娘の半分に刻まれた、愛しい愛しい友人の名前を。


 

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