死神と交わす、幸福問答

浅蔓巳船

死神と交わす、幸福問答

 退屈そうに道を歩くブレザーの少年がそれを見たのは、太陽が天辺に登る頃合いだった。

「やあ死神さん、またひっくり返ってるね」

「……うるさいな」

 住宅街にあるゴミ収集場に、黒い貫頭衣にフードが付いた服を身に纏った少女が、でんぐり返しのような状態で倒れていた。穴の開いたゴミ袋から溢れた生ゴミに塗れているその少女は、美しい外見をしているのにどこか残念さを漂わせている。

 いつものことのように声をかけた少年は、微笑みながら少女——死神に手を差し伸べた。

「今度はどうしたの、トラックにでも跳ね飛ばされた?」

「まだそれなら格好がついただろうな……猫に化けたら子供におもちゃにされて、逃げ惑ってたらこのザマだよ」

「何がどうしてそうなったの」

「私が聞きたい」

 立ち上がった死神はパンパン、と服についたゴミを払う。とんだ災難だ、そうぶつぶつと呟くと彼女は大きくため息をついた。


 死神と少年がこうして話すのは初めてではない。

 最初に出会ったのは少年の通う高校の屋上だった。自殺をした生徒の魂を回収しに来た死神を、授業をサボった少年が目撃したのだ。悲鳴が響く地上にちらりと目をやってから、少年は「視認されている」と慄いていた死神に言った。

「……あの、お腹空いてるならおにぎり食べる?」

 色々ツッコミ所のある言葉だったが、ちょうど繁忙期故に食べる暇もなかった死神は、確かに頷いてしまったのだった。

 それからというものの、授業をサボりがちな少年と少し抜けている死神の、ささやかな交流は続いている。


「ねえ死神さん、よかったらまたうちにおいでよ。コーヒーと茶菓子、新しく買ったんだけど量が多くて」

 少年が自宅に死神を招くのも初めてではない。様々な理由をつけては死神と共に過ごし、死神と話したがった。言うまでもなく懐かれている。死神は呆れた様子で、ニコニコとしている少年に向かい合う。

「……君はなんというか、警戒心はどこにやったんだ? 私は死神だぞ? それ以前にこんな『普通』からかけ離れた格好した女、まともな神経してたら近づきたくもないだろう」

「あ、自覚してるんだね。変な格好だって」

 仕方ないだろう死神の制服なんだ。率直な評価に不貞腐れてそっぽを向く死神に軽く謝罪してから、少年は死神に答えた。

「だって、死神さんと話すのは楽しいし。それを言うならこんな時間に街をうろついてる学生なんて、まともな神経してたら遠巻きにするだろう? 実際学校では浮いてるしね、僕」

「……反応に困る台詞はやめてくれ……」

 それだけを呻いて話を切り上げた死神は、少年の提案を受け入れた。表情を思い切り輝かせ、透明な耳と尻尾を振る少年に、死神は誰に言うでもない言い訳を内心で繰り返す。

 これは単なる気分転換である。そう言ったのだからそうなのだ。


 ***


 少年の自宅はマンションの一室だ。さほど大きいマンションではないが、ゴミが落ちていない、通路が綺麗なことからこのマンションの治安の良さが窺える。

 悪くない家庭の子なのにどうしてこんな変人が、そう疑問を抱いてから何度この部屋に通されただろう。生者への深入りはやめた方が、そう思いつつ結局は上がってしまう死神も死神だが。

 少年が死神の前に食器を並べていく。食卓に置かれた淡い色のマグカップには温かなコーヒーが、縁に水玉模様が描かれた皿にはプルプルとしたプリンが乗っている。

 いただきます、と手を合わせた死神がプリンに口をつけるよりも前に、すでに座っていた少年は前のめりになって話をねだる。

「じゃあ死神さん、今日は何の話をしようか。最近変わった死者の話とかない? そういえばここ何日かで猫の不審死が続いてるんだよね。あと隣の佐藤さんの家にナイフ持った女の人が——」

「待て待て待て、そんな話をして楽しいのか? 持ち出した話題が全部物騒なのはどういうことだ、もっとこう……美味しいレストランの話とかさあ……」

 プリンを落とさなかったことを褒めて欲しい。死神は現実逃避のようにそう思った。

 食べているのにまた食事の話しか出せなかった。食事中に血生臭い話をしたくなかったのもあるが、これだから死神さんは抜けてるのだと言われてもぐうの音も出ない。

 それはそれとして、少年の話題だ。グロ系を好む厨二病かと言わんばかりの物しか並ばないのはどういうことだ。少年が変わり者だというのは知っているが、だんだんと話題がエスカレートしている気がする。

 キョトンとした少年は、マグカップを置いて頬杖をついた。

「死神さん、こういう話をしたがらないよね。死神なのに」

「仕事以外で血と腐臭のする話は嫌だぞ普通に。それ以外で何かないのか」

 改めてプリンを口に運ぶ。つるんとした喉越し、卵の甘みたっぷりの味わい。ほろ苦いカラメルと合わせて飲み込むと、口の中に幸せの心地が広がった。思わず表情が綻ぶ。

 死神の食べっぷりに一瞬口元を緩めた少年は、しかしすぐにつまらなさそうに口を尖らせた。

「そうは言ってもね。この町から出ることもないから、テレビの話も現実味がないし。恋愛話もピンとこないし、深くハマってる漫画やドラマもない。唯一興味があるのと言えば、近所で起きる非日常な事件くらいだから。猫の死体とか佐藤さんとか」

「その年でショッキングな事件にしか反応できないって……」

 スプーンを置いて頭を抱える死神。刺激に鈍くなっている少年に頭痛が治らない。おかしい、この年頃の子供というのは、もっと世界が鮮やかに見えるものではなかったか。いや例外があると知ってはいるけど。

 青少年の感覚の鈍化に唸る死神に何を思ったのか、少年が頬杖を解いて背筋を少し伸ばした。

「死神さんと僕の立場が逆だったらよかったのかなあ」

「いきなりどうした」

「だって死神さん、仕事も渋々やってる感があるから。血の臭いがしない生活を送るのと、非日常な生活を送るのと。ほら、逆の方がいいと思わない?」

 いいことを言った、とでも言いたげな少年に、死神は脳内で言葉を探る。

 この仕事が好きか嫌いかで言ったら、確かに死神は「好きではない」と言うだろう。それでもこの仕事にやりがいは感じているし、早々に代わるつもりもない。

 だが、今回の話の中核はそれではない。

 少年は何かに心を殺されかけている。それをわかっているから、死神は言葉を選んで少年に告げた。

「非日常に焦がれるだけで死神を志すのはやめておけ」

「え、どうして?」

「確かに血の臭いのする仕事だが、やっていることはただのルーティーンだ。死ぬ寸前の魂を引き取りに行き、冥府に届け、また魂を引き取りに行き、届けの繰り返し」

 目を丸くする少年は、まだ死神の言葉を飲み込めていないらしい。コーヒーを一口飲み下して、死神は続ける。

「人間の言う『社畜』と似たようなもんだ、時に死者やお上から怒鳴られるのも含めてな。ショッキングな出来事もあるが、それも時が経つにつれて日常になっていくぞ。『ああ、またか』ってな」

 魂の状態が悪い、届けるまでが遅いと叱責されるのはしょっちゅうだ。上司に頭を下げ、後輩のミスをフォローする。結局死神と言えど、やっていることは会社勤めの人間と変わりない。たまに起きる非日常も、仕事に慣れ切ってしまえば迷惑なアクシデントでしかないのだ。

 死神に夢見るのは自由だ。けれど情が湧いているからこそ、少年には事実をちゃんと知っていて欲しかった。

 現実を突きつけられた少年は、目を伏せてしょんぼりとうなだれた。マグカップを両手で掴み、残念そうに声を床に落とす。

「……死神も世知辛いんだね」

「そうだな、どこに行ったってそうだろう。最初は非日常でも、次第に日常になってしまうんだ」

「でも死神さん、心がくたびれてないよね。どうして?」

 ぱっと顔を上げて、少年が視線を死神に向ける。それはどこか、死神に縋っているようにも見えた。

 心がくたびれていないと思われているのなら重畳。多少なりとも張っている見栄は、きちんと機能していたらしい。だがここで油断してはならない。年長者として、少年に道を示さねば。

「人間の童話の青い鳥、あれは遠い所ではなく身近に幸せがあるって内容だったな。私は加えてこう思うんだ。『人は誰しも、遠くの幸せを手に入れたくなるのだ』と。どんなに遠くの幸せに近づいても、近づいてしまえばまた遠くを見てしまう。キリがないよな」

 コーヒーの水面を見つめる。黒い擬似鏡には、死神の苦笑が映っていた。

 かつての死神も、遠くの幸せを追い求めていた。若気の至りというやつである。ここじゃない場所に、自分の幸せがあるに違いない——今となっては悶絶しかできない思考だが、こうして少年に寄り添えるのだから、経験しておいてよかったと思うほかない。

「日常に慣れ切っても心が退屈で死んでいくし、非日常を追いかけても次第に心が疲弊していく。そう気づいた私は結局、危険より安全を取って、そちらで満足できるように心がけるようにした。それだけの話さ」

 身の丈に合わない幸せは、最後には己の身を滅ぼしかねないのだ。手遅れになる前に気づけたのは、本当に幸いだった。今だからこそ笑い話にできるが、最悪の事態になっていたら、笑う余裕すらなかっただろう。

 少年には、そのようにならないで欲しいのだ。

「まだ納得していない顔だな」

「……まあね」

 眉をひそめて考え込む少年に、死神は最後のプリンを口に運んで笑いかけた。

「今はまだ迷ってていい。考えに考えて、最後に納得のいく道を見つけられたら上等だ。私から言えるのは、大切なものができた時にどうしたいかが見えやすいということだな」

「大切なもの……」

 死神の言葉を繰り返す少年。目を瞬かせて言葉を染み渡らせている様子から見て、死神の言葉は彼に響いたようだ。

「ああ。お前はまだ本気になれるものを見つけていないんだろう。それが人であれ物事であれ、大切を前にした者に退屈の文字はないぞ」

 死神はさらに言葉を紡ぐ。少年はしっかりとこちらに耳を傾けていて、年長者の務めを果たせた高揚感と少年の力になれそうな安心感に包まれた。

 これで少年も真っ当な道を行けるといい——そう願う死神に、少年は穏やかに笑ってしみじみと呟いた。

「……死神さんって、やっぱり長生きしてるんだね。子供に追いかけられたり、ゴミ捨て場でひっくり返ってたりしてるのに」

「おいこらそれを蒸し返すな! 私だって真面目に職務をこなそうとだなあ……!」

 せっかくいい気分になれていたのに、冷や水を浴びせられた気分だ。思わず立ち上がって少年に声を荒げてしまう。少年は楽しそうに笑ってコーヒーを呷る。

 続けて言い募ろうとした途端、死神の耳にだけ聞こえる声が響いた。それは上司の使い魔の物で、この時間を終わらせなければならない合図だった。

 最後のコーヒーを飲み込んでから、死神は部屋の窓を開けた。

「……そろそろ上司に叱られそうだ。ご馳走様、プリン美味しかったぞ」

「口に合ってよかった。……死神さん、また話をしてくれる?」

 楽しい時間の終わりを惜しみ次の約束をねだる少年に、死神はフッといたずらに笑いかける。

「気が向いたらな」

 そうして死神は、窓から空へと飛び立った。

 次の機会もそう遠くはないと、そんな予感を抱きながら。


 ***


「……大切なものを、か」

 空へと消えていった死神を見送って、少年は窓を閉めた。

 食卓に置き去りにされていたテレビのリモコンを手に取ると、電源ボタンを押してニュースを流す。

 ちょうどつけたタイミングで、この町で起きた猫の不審死を報道する画面が映し出された。少年はそれをぼうっと見つめる。

 死神と話をするためなら、どんなこともできる気がする。

 今回用意したネタは死神の気に召さなかったので、次のネタを用意しなければ。


 だしだったけれど、死神が嫌がる話題だという収穫は得られた。それでよしとしよう。


 死神の使った食器を片付け始める。さっさと証拠隠滅して、「何もなかった」という状況を作り出さなければ。

 仕事に出ている両親に、死神のことを気取られる訳にはいかないのだ。うるさく騒がれるのは嫌だし、そうすることで死神と話せなくなってしまったら、両親に何をするかもわからない。

 できれば、のだ。だから少年はこの生活の維持に努める。

 そんな暗く澱んだ執着を——少年が「大切なもの」と言われた時に思い浮かべた存在を、死神は知らない。

「死神さん、また来てね」

 この場にいない「話し相手」に語りかけるように、少年は微笑んだ。

 シンクの中には、死神の使った食器が水に浸かっている。

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