あいる島へようこそ!~トロピカル因習アイランド~
牧瀬実那
1日目
ふたりの虎が交わっている、と霞む視界と意識でぼんやりと思った。
周囲では知らない言葉の歌が響いている。
ああ、これから自分はあのふたりに食われて死ぬのだなぁ、と漠然と理解した。うちひとりは妹の依子であることも。
餐食を前に、情熱的に、荒々しく交わる姿を見ているうちに、ここに至るまでの出来事が走馬灯として勝手に浮かんだ。
***
「成人祝いにどこか旅行に行きたい」
と、依子が言い出したのは、彼女が成人式から戻ってきてからだった。
「そういうのは普通友達とかと行くもんじゃないのか?」
と、訊ねると彼女はつんと口を尖らせる。
「みんな彼氏とかと一緒に行くんだってさ。法の上でもベッドの上でも大人になるんだ〜って、今日何人から聞いたと思う?」
「それはまた…」
なんと言っていいのやら。今の若者というものは、いや逆に成人まで辛抱強く待てる律儀さはあるのか?
「私は彼氏いないけど、だからひとりお留守番っていうのもなんか悔しいし。同じく彼女の気配もない兄を誘って対抗しようってワケ」
「それ、自分で言ってて悲しくないか?」
「悲しい」
あーっと唸って依子はバフっとクッションみたいなぬいぐるみに勢いよく顔を埋めた。その様子は子供っぽく、とても新成人とは思えない。
――でももう見納めかもな。
依子は順調に行けば春には上京して大学生になる。実家から離れた地方都市で働く自分とはますます顔を合わせなくだろう。
次に会うときには身も心も東京に染まりきり、きっと彼氏もできているだろう。身内が言うのもなんなのだが、今まで居なかったのが不思議に思えるほど、依子は可愛らしい顔に悪くないスタイルなのだ。性格も、こうして兄を邪険にしないどころか旅行に誘ってくれるわけで。
「仕方ないなぁ」
急に愛おしさと惜しさが湧き上がってきた僕は、口先だけ呆れた声を出しつつ、スマホで旅行会社のプランを検索し始める。
ばっと音がする勢いで顔を上げた依子はやったー!と無邪気にはしゃいでこちらにやってきて一緒にスマホを覗きこんだ。
そんなところもかわいらしい。
あれこれ言いながら検討し、僕らはやがてひとつのプランを選びだした。
「あいる島へようこそ!」の字が激しい潮風でバタバタとはためいている。
他には特に何もない船着き場に、海以外何も見当たらない地平線が、いよいよ離島へ来たのだという実感を沸かせる。
ここは愛入島(あいるじま)。
四国と九州の間から南へ数百kmは離れた小さな島だ。
島民は数十人、基本的に自給自足で成り立っており、有名な観光地は無い、と、ここまで運んでくれた船長が朗らかに説明してくれた。
「だもんでぇ、外から人が来ることは滅多に無いんだが、まあお前さんたちもアレだろ? 明後日やる祭を見に来たんだろ?」
そうだろ?と自信たっぷりに聞いてくる彼に、僕ら兄妹は頷いた。
「はっはっは! いやぁ嬉しいねぇ! うちの神さんは人が大好きなもんだから大喜びしてるだろうよ!」
豪快に笑う船長に若干気圧されつつ、愛想よく笑いながら依子が口を開く。
「あのぉ…お祭もそうなんですけど、ここ、猫が多いと聞いたんです、が…」
言い終わるよりも先に、足下に何かがやってくる。ふわりと身を擦り付けてきたそれは、まさしく今話していた猫そのものだった。
「猫!!」
と、依子が興奮した声を上げた。
猫は愛らしい顔でこちらを見上げ、みゃあと一声鳴く。
「おお、ウワサをすればなんとやら」
船長は軽々と猫を抱き上げると、赤子をあやすように少し揺らしながら猫を僕らに見せてくれる。
「ちょうどいい。こちらがうちの神さんのサンコ様だ」
「サンコ様?」
「猫が神様?」
同時に首を傾げる僕らに、船長は愉快そうな声を立てた。
「そうそう! 本土からすると珍しいかもしれないが、うちでは生き神様を祀るんだよ! と言っても猫だからね。代替わりするんだ。この子は当代。で、今度やる祭でお役目を次代に引き継ぐってワケ」
「へぇ〜」
どうりで、どう見ても普通の猫なわけだ。サンコ様は僕らに興味があるのか、首をひょいと伸ばして僕らを見てくる。
「撫でてもいいですか!?」
依子が食い気味に訊く。猫が多いという理由で旅行先を決めただけあり、無類の猫好きである彼女は既に我慢の限界にきているらしい。
もちろん、と船長が言うと、依子は「はわわわわ……」と口からこぼしながらサンコ様をそっと撫でる。
撫でられたサンコ様は満足そうに目を閉じてごろごろと喉を鳴らし始めた。
警戒心のない姿に、依子は「ああ~」とだらしのない声を上げながら無心に撫で続ける。
「サンコ様、少し変わった毛色ですね?」
うっとりとしている依子を尻目に、船長に訊ねる。
茶トラっぽい柄のサンコ様は、光の当たり具合で赤いようにも見えるのだ。
「おう、よく気が付いたなぁ! この赤毛がサンコ様たる証なのよ!」
誇らしげな船長にサンコ様もこころなしかドヤ顔をしているような気がする。
依子はその様子に楽しそうな声でそうなんだぁ、すごいねぇとサンコ様を褒めまくり更に撫で回しだした。
気付けば他の猫も集まってきており、僕も僕で猫たちと遊んでもらったりした。サンコ様ほどではないものの、どの猫も一応嫌がらずに挨拶程度はしてくれる。
船長が一匹いっぴき名前やら由来やらを語ってくれ、旅行に来たというのに全然船着き場から進まない。
そうして和気あいあいとしている内に、ポォーンと鐘の音が鳴った。
「っと、もう5時か。あんまり話し込んでたら完全に日が暮れて飯も食いっぱぐれちまうな。さぁ、宿へ案内しよう」
ようやく話を切り上げる頃には、太陽が既に沈みかけていた。船長はサンコ様を依子に渡し、サンコ様と一緒に宿へと移動する。
宿、と言っても、道端にある、ごく普通の平屋だ。
観光客がほとんど来ない愛入島には当然宿らしい宿もなく、人が来るときだけ島の空いている民家を貸し出すようにしているのだ、と全く開かない家の鍵をガチャガチャしながら船長が話してくれた。
「っひゃあ!」
船長が奮闘してる横で、依子が急に声を上げた。
「どうした?」
「ひ、人影みたいなのが玄関の脇にっ」
見れば、一体の石像がぽつんと鎮座していた。
大きさは、依子より少し小さいくらいだろう。ぎょろりとした大きな目と大きな口、それと丸い獣のような耳が特徴的で、暗がりで出くわすとかなりのインパクトがある。
「あー、あれはサンコ様の像。サンコ様は島の守り神だから島のあちこちに像を置いて見守ってもらってるんだわ」相変わらず鍵と格闘しながら船長が説明してくれる。「ほれ、当代のサンコ様にそっくりだろ?」
全くそっくりではないが?という感想を飲み込み、へぇと曖昧に相槌を打った。
確かに島全体で祀られているなら、像があってもおかしくないだろう。他の観光地でも似た感じのを見たことがある。
依子はなぁんだ、と拍子抜けしたようで、サンコ様と一緒に像へ近付いて像とサンコ様を比べたりし始めた。
ややあって、よいしょお!という掛け声と共に、ガチャリと大きな音がして、ようやく平屋の鍵が開いた。
「やあ〜すまないね! 滅多に使わないもんだからどうにも具合が悪くて! でもほら、埃は溜まってないし、電気もきっちり通ってるよ!」
玄関に上がりながら船長はバチバチと家の電気を点けていく。
玄関から続く廊下には最新の電話が置いてあったり、壁には島の景色が写真が飾られている以外は、確かにごく普通の家だった。
「じゃあね、夕飯はまた呼びに来るから。なんかあったらそこの電話で電話してくれな」
「何から何までありがとうございます」
「なぁにこれもおれの仕事だからね! まぁ、なぁんもないけど楽しんでな! ついでに色々買ってちょ〜っとお金を落としてくれると嬉しいねぇ!」
冗談めかしながら家を後にしようとした船長は、ああそうそう、と振り返る。
「ここにいる間はね、絶対に家の鍵をかけないようにね」
え?と問い返すと、船長は笑ってサンコ様を指す。依子のヤツ、家の中まで連れてきたのか。
「この島は全部サンコ様のものだからねぇ、入れない場所があるとサンコ様が怒るんよ! 特に祭の期間は敏感になっていらっしゃるから、こちらも怒らせたくないんだわ! ま、変わっちゃいるがそういう風習があるってことでひとつ。なぁに小さな島だし危ないやつもおらんから鍵かけんでも心配いらないよ!」
ケラケラ笑いながらサンコ様を抱き上げると、船長は今度こそ帰っていった。
「……どうする?」
依子に聞くと、さすがの彼女も防犯意識の方が勝ったらしい。
ふたりで話し合い、夜は鍵をかけよう、ということになった。
「おなかいっぱーい!」
「良かったなぁ」
ごちそうになった島のご飯は、どれもとても美味しかった。
島の人も久々の客に張り切っているらしく、鯛やら地酒やら郷土料理やらをやたらと並べてくれ、楽しい宴会となり、宿に戻る頃にはすっかり夜も更けていた。
長旅の疲れもあったせいか、出してきた布団に転がって明日はどこへ行こうか、とのんびり話しているうちに、いつの間にか眠りについた。
「……ん?」
夜中、ふと物音がした気がして目を覚ますと、トントン、カリカリと、戸を叩いたり引っ掻いたりする小さな音が聞こえた。
ああ、本当にサンコ様が来たんだなぁ、と思いつつ、そのまま寝直す。
サンコ様には申し訳ないけど、疲れから開ける気力も無く、そのままにした。
音はやがて止んだような気がするが、まどろみの中でははっきりとしなかった。
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