第3話 1−1 吸血鬼→聖女
旧マルハッタン帝国港町。現ベルヘルト王国領マルート。
マルハッタン帝国が三年前に、謎の吸血鬼による襲撃で帝都が消滅。その吸血鬼も軍と冒険者が総出になって討伐に成功したが、帝都が文字通り地図上から消失した。
皇帝も大臣も軍部も、様々な生産拠点も。全てを一夜でなくし、帝国という形がなくなった。帝都にいなかった大貴族が帝国をどうにかして維持しようとしたが無駄だった。
帝都の騒ぎを聞いて逃げ出す民衆。他国へ逃亡・亡命する他の貴族たち。生産拠点を失ったことによる物価の向上。更には軍の大部分を失ったことによる防衛力の低下が著しく、冒険者も多数負傷したために魔物に怯える生活をしなければならなかった。
それを嫌った民衆が更に逃げて、帝都のことが他国に知れ渡って。
大貴族、クリスト・クム・ロウム・バジウスは他の国に併合されることを決める。帝国という形がなくなるのは時間の問題で、引き延ばすほど民が苦しむとわかっていたからだ。
クリストの大英断のおかげで他の街から民衆の流出は防げた。クリストが資産を放出してまで冒険者を雇ったり、他の国と交渉してどこの街がどこの国の領土になるのか、国境の線引きはどこになるのかを迅速に纏め上げたからだ。
その結果クリストは帝国最後の良心と呼ばれ、今ではこの港町マルートの領主を務めている。
だが、クリストがこうも迅速に動けたのは理由がある。
トットカルク商会。羽の生えた生き物のように自由に空を行き来したい、それくらい自由に商売をしたいというそれだけ聞けば緩そうな、茶色い獣の羽をシンボルとした商会だ。
その商会を運営する
彼女は、散りゆく民衆に。帝都から逃げてきた力ない者に。護衛をしてきて疲れ切った冒険者たちに、無償で炊き出しを行った。
それも一万を超える民衆に、分け隔てなく食料を提供した。
美味しいかどうかで言われたら、正直そうでもなかっただろう。大量生産の上に、彼女も料理は人並みにできる程度と言っていた。その言葉通り、格別美味しいものではなかった。村などで振る舞われるありきたりなシチューだった。
だがそれは、暖かかった。帝都というシンボルを失った人々の心に、冷たく吹きかかる潮風をものともしないような優しさに溢れていた。
一気に増えた人。上がり続ける物価。足りない食料。
そんな状況で一杯のシチューがどれだけありがたかったことか。
彼女は王国領の街からどうにか野菜と牛乳を買い付けて、この街に来るまでに獣を狩り。解体できる者に獣を解体してもらい肉として。
そして、シチューを振る舞った。
誰もがこれからの生活に苦しむ未来を思い浮かべていたために、この希望はどれだけありがたかったことか。一万人の食料だ。野菜も牛乳も高かっただろうに、何も言わず彼女はただシチューを配った。
港町ということもあって、一万食では到底足らなかった。だから彼女は解体した獣の肉を使って釣りを始めた。悠長なと思った人の想いなど吹き飛ばす奇跡が、そこにはあった。
その肉に群がった魚の群れに対して魔法を使い、大量の魚を捕獲してみせたのだ。
「生態系が崩れないように手加減したので大丈夫だと思いますけど〜。皆さんの活力も大事です。お腹一杯になったら色々と手伝っていただけますか?」
一人の女の子が頑張り、食事を与えられて。笑顔でそんなことを言われて。
手伝わないような人間はいなかった。
戦える者は狩りに出て干し肉などの製造。皮などはなめして加工した物を近くの街へ売り出しに行く。魔法が使える者は少女がやったように魚の確保を。
それ以外の者もできることを模索し、人々は明日を向いた。
この光景を見たクリストは即座に動きだし、帝国の解体に成功。彼以外の有力貴族は全員帝都に集結していて吸血鬼に滅ぼされたためにスムーズに事は進んだ。他にも大貴族と呼ばれるような者がいたらこうも上手くいかなかっただろう。
それからは港町という事で外に出ていた商業船が帰ってきて食料がやってきたり、王国の援助があったりして港町は復興した。
聖女たる彼女も精力的に動き、私財を投げ打っての様々な物の買い付けを行い。時には卓越した魔法を用いて盗賊や魔物を追い払ったり。どこから連れてきたのか料理人や鍛治師見習いや大工を連れてきて街のために働かせていた。
元帝国領の中でも最速で復興を終わらせ、この街が大丈夫とわかれば彼女はクリストにくっついて他の街の復興も手伝った。そうして一年経つ頃には全ての復興を完了させ、彼女はまた港町マルートへ帰ってきた。
そこで立ち上げたのが、トットカルク商会だ。
よろず屋と言うべきか幅広い商品を取り揃え、また流通させて様々な販路を開拓。揃える職人たちは一流ばかり、新商品の開発や遠方の名産品などを販売し、トットカルク商会は一気に大きくなった。
クリストと帝国中を回った際に作ったコネも大きいのだろう。
そして、彼女自身もかなりの傑物だった。優しさと、人を見る目があるだけではなかった。
彼女は魔法使いとしては天才の領域に入るBランクの魔法を行使できる。しかも治癒魔法も攻撃魔法も種別なく使いこなせる。もし怪我人が出れば彼女が率先して治し、手に負えない魔物が現れた際には彼女にも応援要請を出す。
そんな偉業を讃えて、クリストが手を回し彼女には冒険者ランク「銀」が与えられている。本当は「金」にも届く実力があるが、彼女は冒険者であることを望まず、緊急時のみ動くこと。チームを組んでいるわけではないことから「銀」を渡すのも苦労したほどだ。
「私、皆さんが笑顔になるためなら魔物も倒しますけど。それで上の方のランクなんてもらってしまったら本職の方々に申し訳ないです。昇級試験や昇級規約を満たしたわけではありませんから」
そう笑顔で言われてしまった。十四歳の少女がBランクの魔法を使えるだけで十分だったが、彼女はあくまで商会を営みたかったようなのであまりしつこくしてしまっても悪いと思い「銀」を与えて終わった話だ。
彼女は王国中を見渡しても魔法の才能だけなら群を抜いているはずだが、それで大成するつもりがないようなので無理強いはしていない。誰にも適性と性格の不一致くらいはある。
そんな才能溢れる聖女であり女神。当時を知る者も知らない者も、この街に住むのであれば誰もが尊敬し、崇めている麗しい少女。彼女の名前は。
アマリリス・クロードという。
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