ボケ

エリー.ファー

ボケ

「コレクトライブのワルツに過ぎ去った。常識だけが千年行き交っている井戸の底。ほら、失われた時間だけが私を変えてくれるのだから、絶対に幸せになれる。宗教のすべてをここに捨て去っていければ、最高の気持ちになれる。紐を四角形にすれば、数字の形を失わせてもらえる。派遣業務がオセアニアで始まって、関係のないガラパゴス携帯の香りを漂わせるのは、北極のファスト映画業界では常識中の常識。お内裏様の背後に潜む観覧車は、三角定規の短距離走に近づいて、発生の瞬間を決定的にするためにフラスコと自由帳の狭間にある左心房から見える発砲許可証を持ち上げろ。千年あれば、亀は竜になり、悲壮感を漂わせながら幸福のうちに飛び出していくだろう。トラックの荷台に一千万匹の鼠の死体を隠していたなんて、誰の耳にも入る大人と大人のお約束なのだ。発展性のない生クリームを顎鬚に乗せて走れば、車の排気ガスが霧となって虹を創り出す瞬間に出会えるのだ。颯と海には共通点がある。どちらも画数が同じであることだ。平静から始まったびっくり箱戦争は、体重の移動を狐に任せることによって、マグカップの輝きを太陽に見立てることに成功したのだ。フラスコだけではない、新しい発見から、私たち人類にはフォルダになる未来がカスタネットとと共に踊りながら近づいてくることが、今、この瞬間に確約されたのだ。トイレに入って三時間十二分九秒。飛び立つ限りは約束される九時間十九分五十六秒の嘘。明治、大正、昭和と来てマネキンに希望を託すのは、人間の中でも上等な種族である鶏が柴犬の鳴き方を真似ることと同じなのだよ。鹿にしかなれない純白のコンドルは、アメリカ産のアポストロフィーを使ってマイナス記号との交信に備えなければならないのだ。買い物袋に犬の入れ歯を詰めたら、そこから先はすべてが夢幻の警備員のための舞踏会。更新ボタンを押した回数で、美女の首が吹き飛び、男どもはその血飛沫の中でうどんの早食い競争をし始める。花畑の中に潜むだけでは、令和という時代を生き抜くことは旗揚げゲームの次に不可能なのだよ。暮れなずむ街角で、学校の教師を名乗りながらスクロールしているうちに病院から抜け出すゾンビの真似をしていると、小学生に眼球を奪われるのは日本ならではの原風景。発想の展開をしなければ、決定事項を不確定の法律から始まる絶対条件の環境問題的アプローチに置いていくことは不可能である。ヘーゼルマン結成時は、何もかも上手くいっていたはずなのに、目を開けば狂言にも近い、大太鼓の拍子木祭りじゃないか。フラグメントが幾つあるかによって、クリスマスの回数が決まるならば、回転数だけをメモしてアメリカ国旗に殴り書きするのが、正解ということになってしまうのだ。納得できるかどうかではないが、敗走準備だけを繰り返して日銭をけん玉に突き刺せば化粧水からあふれ出る鼻汁で、放牧された感情が返ってくるのは大卒の常識範疇でしかないのだ。顔面の穴に、刺激的な専門用語を流し込むとアルファベット式計算機の電源が押されて、紙吹雪の側転ショーが始まる」

「何を言ってんだ、バカ野郎。もういいぜ」

「どうもありがとうございました」

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