口なしドゥワァ、愛を知る。
ドゥワァは意識を取り戻す。目元からぬるりとした液体が垂れる。ドゥワァはまぶたを開く。世界は光すらない。
ドゥワァはまぶたを閉じる。
すると重層的で幾何学的な香りがドゥワァの鼻に薫る。香りは世界を平面かつ多義的に描写した。
色彩艶やかで毛羽立つ音があふれて止まらない。音は村を越えた遥か先の水が跳ねる音まで正確に聞こえてる。
目を閉じるにより眼を啓いたか。
背後から月の女の声がする。
湖辺に座していたドゥワァは立ち上がり世界を見渡す。木々は刻々と輪郭を変える。風は色付きドゥワァの髪を弄ぶ。
邪神どもが住う世界に降りろ。彼の世界はこの世界の何処とでも繋がっている。
貴様の望むままに世界を渉猟せよ。
神々の世界へ落ちる方法を感覚的に理解していた。しかし彼女が何処にいるかわからない。
ドゥワァは彼女と再開した記憶を必死に手繰り寄せる。
『神の御子よ、王の元へ戻られよ』
彼女を連れ去った男が確かにそう言っていた。男の発言が真であるならば彼女は王と共にある。
王はどこだ? どこにいる?
王都なる場所に王がいるらしいことは、吟遊詩人の歌や商人から聞いていた。さあらば王都の方角は?
貧乏百姓が王都の場所なぞ知るはずもない。
ドゥワァは耳を澄ませ風が運ぶ臭気を辿る。
村から何日も歩いた先に人々が数多く集まっている場所がある。
そこが王都であろうか?
ドゥワァは向かうことにした。
ドゥワァは目で捉えることのできない扉に触れる。扉の隙間から風が吹き抜ける。異界の風は腐りかけの果実の香りを運ぶ。
扉の先に人々が神と信奉する存在がいる。
ドゥワァは直感的に理解する。
躊躇いはほんの数秒。
扉を開いてえいやと異界へ落ちる。
地には人骨を苗床に咲き誇る花々。天には発光する不可思議な建物が吊るされる。建物の間は何かが蠢く。強烈な光で姿も朧気だ。
神々が住う場所を捨て千年王国なる理想郷を求むるかその由を知る。
人骨を踏み締め異界を渡る。匂いが耳を引っ張るので立ち止まる。
眼前に目指した場所へつながる扉を見つけた。ドゥワァがそっと扉を開けば異界から追い出される。着地できずにドゥワァは尻もちをついた。
手のひらに伝わる土の感触。耳が目指した場所へ着いたと告げる。周囲にいた人から困惑と恐怖の匂いがした。
「どこから現れた、この化け物めが!」
痩せた男が言い放つ。
人からは突然現れたように見えるらしい。
ドゥワァは咎人と断じられ迫害を受ける。彼は軒下や糞尿を貯める小屋に隠れつ情報を集める。ここがただの大きな村だと突き止めるのに三日を要した。
異界の扉を開く前に干されていた布を盗む。液を絶え間なく滴らせる目を覆うためだ。
異界へ落ちたのちドゥワァは考えた。
王都とは遥か遠くにあるのかもしれない。
ドゥワァは徒歩ならば三年以上かかる場所を次の目的地とした。たまたまその扉が近くにあったためだ。異界では元の世界での距離は関係ないらしい。
ドゥワァが異界から出ると塩辛い匂いがした。日差しが強く思わず太陽へ手をかざす。ドゥワァの前には青々とした水溜まりが彼方まで続く。
耳に届くは耳慣れぬ言葉。王都では異なる言葉が話されているのだろうか。
結局一日で見切りをつけて異界へ落ちた。
ドゥワァは扉を開き続ける。
ある村では「土の民!」と呼ばわれ殺されかけた。ある村では「時をかけるバダブ」と呼ばわれ拝まれた。
そうして数日が過ぎた。
ドゥワァは気づく。
王都を探すのではない。彼女を探すのだ。
この耳と鼻に慣れてきた。
ドゥワァは異界で彼女の香りと声を探る。彼女の香りは細く弱々しい。
彼女の嗚咽は克明に耳へ届いた。
すると異界の天井から垂れる建物の明かりが消えた。世界は黒に染まる。
本物の真夜中が訪れたのだ。
世界はまるで彼女の瞳のよう。
神々が目を覚ます。
巨大で透明な神々は這い回り人骨に咲く花を喰む。背後から女の声がする。
あれが貴様らの神の本性よ。月の精霊の力で貴様は輩どもから隠されているが、巻き込まれたらひとたまりもないぞ。
ドゥワァは異界を駆ける。
人骨が足に刺さり血が流れる。花を背中から咲かす人間が助けを求めてきたがドゥワァは無視する。すぐ横を神が通り抜け怖気が走る。
走れよ走れ、音より疾く稲光より疾く!
月の精霊に続いて言霊を唱えよ!
ドゥワァは月の精霊に続けて心で言霊なるを唱える。
『我らが主、火の大精霊を失った眷属たちは主を模して蝋から人間を作り上げた。
我らが主と同じ褐色の肌を持つのはかく理由である』!
ドゥワァは透明な扉に手をかけ現実世界へ転がり落ちた。
腰を強かに打ち付ける。どうやら石の地面らしい。見上げれば首が痛くなるほどに巨大な城がそびえ立っていた。周囲には鎧を着た幾人もの男たち。
突然の闖入者に動揺する兵士の多い中勘の良い男がひとり。ドゥワァを最大の脅威と見做し抜刀。上段の構えからドゥワァへ突撃。
丸腰のドゥワァが叶うはずもない。
ドゥワァは決断した。
敗走した勝利の女神よ。贄を受け取り給え。
ドゥワァは心で唱える。男に女神の手が伸びる。女神の手は男を包み異界へ攫った。
絶叫。
先鋭化する殺意。膨らむ恐怖。背後から槍持て襲いかかる輩を異界へ落としドゥワァは思う。
おれはまっとうな死を迎えられないだろう。
匂いを耳で聞き鼻で音を辿る。
いた。彼女がいた。
彼女の顔は女神の力によって歪められていた。顔全体が陽炎のように黒く揺らいで見える。
まるでいつかの黒き霧のよう。
「ドゥ! 目が……目が!」
彼女の叫びは神の息吹。力の塊。
直近で浴びた者は耳から血を噴き出した。
彼女は足音を響かせ近づいてくる。ドゥワァも彼女に近づいていく。
霧に包まれた彼女。よく嗅いでみると夜空の瞳だけは変わらずあった。
「どうして……!」
ドゥワァは彼女の頬を思い切り張った。
口なしドゥワァはこうすることでしか考えを示せない。
彼女はどうと床へ倒れる。彼女の愛しく憎らしい瞳から涙がこぼれる音がした。
「ごめんなさい」
鈴のような声はドゥワァの心臓を射抜いた。
「私を愛してください」
ドゥワァは彼女を力任せに抱きしめた。
口なしドゥワァはこうすることでしか想いを示せない。
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