第7話 永き悪夢はお見舞いイベの後に

 ここからは長い後日談。


 ドゥが寝ている間に私は身なりを整える。ドゥの父親へ挨拶に伺うのだ。ドゥの家に行くのは緊張する。ドゥの父親に息子を返せと怒られたらどうしよう。胃が痛かった。

 人目を引いてしまう黒髪と半端な色の肌をマントで隠し、彼の家の戸を叩く。間をおかずに中年の男性が出てきた。

 短い金髪はM字に禿げ上がり、額には三本のシワがくっきりと刻まれている。左頬に大きなシミがひとつ。彼がドゥの父親であり、私の転生した被害をモロに受けた被害者だ。

 私は生唾を飲み込む。頭を深く下げながら風邪をうつしてしまったことの謝罪、ドゥを預かっている旨を父親に伝える。

 彼の父親は興味なさげにそうか、勝手にしてくれとだけ言って戸を閉めた。



 ドゥが全快したので、お礼に少しだけ豪華な晩御飯を用意する。木苺パイに川で釣れたなんか魚、イチジク、それから赤ワイン。


「本当は大人になってからなんだけどね」


 私たちは静かに乾杯をした。



 老婆の置き土産たる偶像になむなむしていると、ドゥが不思議そうな顔をしている。お祈りの仕方を教えると、一緒になむなむしてくれるようになった。紅葉のような手を合わせ、真剣にお祈りしている姿は微笑ましいものがある。



 ドゥが狩猟と料理に興味を持ち始めた。キジを取った成功体験を忘れられないようで、朝早くに森へ入り夜しょんぼりしながら帰ってくる。危ないからひとりで森へ行かないよう言い聞かせてるけれど、子供は言うことを聞かない生き物だ。

 食事に関しては私以上の仕事ぶりを見せた。

 私が作ると『腹を下さなければ良い! 雑草 with 砂利スープ』だったのが、ドゥが作れば『グリーンスープ 〜季節のバジルを添えて〜』に大変身。あまりに美味しくて「草! すごい、草!」と言ったらドゥが拗ねた。草呼ばわりしたのが気に食わないらしい。すみません。

 食事は相変わらず貧しいが、明らかにクオリティオブライフが上がった。自分で料理を作り始めたせいか、ドゥがバジル嫌いを克服した。

 彼が少しずつ変化していく。成長していく。



 狩った動物たちの毛皮がそれなりの値段で売れる。なんとか今年の冬も越えられそうで胸を撫で下ろす。



 冬支度が終わらない。森で小枝集めをしながら元いた世界の歌を口ずさむ。

 米津玄師、YOASOBI、スピッツ。ポルカドットスティングレイにトーマ、それからずっと真夜中でいいのに。

 ドゥはポルノグラフィティの『パレット』がお気に入りだ。いい趣味してる。



 うさぎの毛皮でドゥにマフラーと手袋を作ってやる。マフラーは横幅がまちまちで、手袋の指の部分には大きな穴がひとつ空いてしまっている。不恰好な防寒着なのにドゥは喜んでくれた。


「来年はもっと上手く作ってあげるからね」


 彼は目を細め、見るものをほっとさせるような優しい笑みを浮かべた。家の中でもずっとうさぎの防寒着を身につけている。



 冬の足音が聞こえてくる。


  *


 奇妙な夢を見る。

 女の子の夢だ。名をマリアと言った。彼女は天井のない荒屋で母親と二人暮らし。

 父親は分からない。母親は「村のみんながあなたのパパよ」とマリアに教えていた。

 マリアの母親は知能障害がある人らしかった。発言は支離滅裂で、虚言癖があった。

 彼女曰く、自分は王族の血筋でありマリアを産んでしまったことによりその座を追われた。お前のせいだと怒鳴りながら夜毎母親はマリアを打つ。

 村人からマリアの母親は「淫愛の魔女」と呼ばれていた。

 褒められた母親ではなかったが、マリアにとってはかけがえのない存在だった。


 マリアは母親を愛していた。


 ある日マリアが扉を開けると、全裸の母親が胎を滅多刺しにして殺されていた。

 村の女たちはどこか清々しい表情を浮かべ、男たちは気まずそうに俯く。誰もマリアを助けようとする者はいなかった。

 マリアはたった六歳だった。

 

  *


 異世界の冬が長い。挙げ句雪が降る。東北地方並に雪が降る。こっそり雪を「白クソ」と呼んでしまうくらい降る。


「外、白クソすごいよ。朝には積もってる」


 暖炉のそばから動かないドゥに声をかける。薪を焚べても焚べても吐く息白く鼻頭は真っ赤っか。隙間風が容赦なく吹き抜ける我が家だ、断熱仕様なんてありゃしない。下手したら外より寒い。ドゥは何枚も布を羽織り、首にはうさぎのマフラーを巻いていた。

 

「この吹雪いてる中家に帰るのも大変だろうし……。ドゥ、今晩も泊まっていく?」


 ドゥは首肯する。風邪を引いて以来、たびたび彼は小屋で寝泊まりするようになった。

 私は両手に息を吹きかけ、かじかむ手をこすり合わせる。

 ご飯にしようか、と言いかけて私は咳き込んでしまう。臓腑が焼けるような、痛く苦しい咳だった。口元をおさえた手に血がついていた。

 ぶるりと体が震える。

 このところ手先の痺れが取れないのだ。口内炎もずっとできたまま。ものを食べても吐くか、腹痛を伴う下痢になる。身に覚えのない痣が体中にある。痣をよく見ると、赤児の手のような形をしている。

 幻聴を聞くようになった。いないはずの赤児の泣き声が家中から聞こえてくる。激痛で目が覚め、一睡もできない。


 私はこの冬を越えられるのだろうか?


 顔を上げると、緑の瞳が私を見つめていた。私は努めて笑顔を作る。


「大丈夫だよ」


 発した言葉はドゥではなく、私自身に向けられていた。ドゥに見られないよう、そっと服の裾で吐血を拭う。

 ドゥのおかげで冬支度を終えられた。あとは頭を低くしてこの季節を乗り切るばかり。大丈夫、大丈夫だ。この子を残して私は死なない。

 春になったら老婆の部屋を片付けて、ドゥが寝泊まりできる場所を作ってあげよう。ずっと居間に寝かせるのも忍びない。

 この子を残して死ぬわけにはいかないのだ。


 月のない吹雪の夜だった。

 久方ぶりに深い眠りについた私は、長い長い夢を見る。

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