ロウ1

 今日は記念すべき解放の日だった。


 領民に酷い圧政を敷いた悪辣な領主が領民に討たれ、長年辛苦に耐え続けた領民が勝利を手にしたこの日、領地の至る所で祝杯が上がっていた。


 誰もが領主親子の惨めな死を笑い歌って勝利の美酒に酔っていた。真夜中を過ぎても人々の狂瀾は止む気配がない。


 今回の決起の中心は村の若者達だった。諦観と絶望だけが漂う中で、決して諦めなかった彼らは今や英雄である。次から次へ祝杯を振る舞われて一人になる暇もない。


 そんな中、姿の見えぬ者がいた。一番の功労者で領主親子をその手にかけた若者だ。類まれなる美貌を持つ彼は何処にいても目立つ存在だったが、これだけ人で溢れていれば、誰もが彼は何処かで人に囲まれているのだろうと思っていた。或いは、引く手数多な若者は女と二人喜びを分かち合っているのだろうと。故に、彼と一緒に喜びを分かち合いたいと思う者は多くいたが、彼を探す者はいなかった。


 かつて陰鬱としていた村は興奮と活気に溢れ、希望という未来を手に入れた領民達の顔はどれも明るく輝いていた。そのため、置き去りにされた領主親子の死体を気にする者はいなかったのだ。




 領地の収入を支えていたのは資源の豊富な鉱山だった。その鉱山の北側には鬱蒼とした森が広がっている。鉱物に交じる毒素が地脈に流れ混むためか、この森には毒性をもつ動植物が広く分布していて滅多に人が分け入る事のない場所だ。


 領民のお祭り騒ぎもここまでは届かない。「死の森」に相応しく暗く不気味な静寂に包まれていた。


 月明りは木々に遮られ、森の中は闇が一層濃い。風に揺れる木々が獣の唸り声に聞こえる。


 そんな中、地面を踏みしめる音は森に吸い込まれることなく反響する。一歩一歩が重い足取りだった。頭から黒いローブを纏い森の中に同化した男は背中に大きな荷物を背負っていた。


 荷物も黒い布で覆われていて何を運んでいるのかはわからない。男と同じ程には重そうな荷物をロープで体に巻き付けて固定していた。


 行く当てがあったわけではなかった。ただ決して人がこない場所を選んで森に入った。大分深くまで入り込んでいたが、まだ満足は出来ない。進むごとに背の荷物は重く冷たくなる。加えて、鼻に突く独特の鉄のような臭い。ここまで獣に遭遇しなかったのは運が良いと言えた。


 汗が額を流れる。肉体は限界に近いのだろうが疲労は感じなかった。肉体の感覚が遠い。肉体だけではなく、自分の感情も遠かった。考える事を放棄して、無心に、ただふさわしい場所を探していた。


 やがて、少しだけ開けている場所に出た。周りの木が何本も倒れて焼けた跡が見られるので落雷でもあったのだろう。それはとても寂しい風景であると同時に月の光が届くその場所は神聖にも見えた。


 彼は周りを見回して背負った荷物を地面に降ろした。同じく背負っていた鍬を持って地面に突き立てた。


 被っていた黒いローブを脱ぐ。現われたのは若々しい肉体に完璧に整った美しい容貌。肩の近くまで伸ばされた金の髪は月夜にも眩しい。それに比べて感情を排した青い瞳は昏く、美貌も相まって死神のよう。


 事実、彼は死神だった。一瞬の躊躇も一片の罪悪感もなく、無抵抗な人間を残酷に殺したのだ。それが英雄的行為と褒め称えられようとも、肉を切り心臓を貫いたこの手に残る感触を忘れる事はないだろう。


 彼は鍬を使って地面を掘り出した。ひたすら鍬を振り上げて地面を抉り続ける。休むことなく、鍬を持つ手が痺れても無心で掘り進めた。


 穴は出来るだけ深くしなければ獣に掘り起こされる心配があった。

 全身土と汗にまみれ、手の皮が擦り剥け血が滲む程になってようやく彼は手を止めた。


 どれ程時間が経っているのかわからないが、穴の深さはいつの間にか彼の身長程に、人ひとり横たえられるような大きさになっていた。


 彼は穴から体を引き上げた。そうして、背負って来た荷物を抱え上げて穴の手前に立った。


 掘った穴はまるで奈落のように見えた。底が見えずどこへ落ちていくのかもわからない。抱えた荷物を一度強く抱き締めて、気を取り直すように一息つくと今度は躊躇なく、腕の中の荷物を抱えたまま飛び降りた。


 湿った土の臭いがする。頭上を見上げ、ここには太陽の光も花の匂いも届かないのだと、そんな当たり前の事を思うと、どうしてかわからないが息が詰まった。


 荷物を地面に降ろして、じっと黒い布を凝視する。

 手を伸ばして布に触れようとしたが、手を握りしめ口元を強く引き結ぶと穴から再び這い上がった。


 後はただ黙々と土を穴に戻す作業に没頭した。

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