第2話

「そうじゃないなら、邪魔だから出てってくんない?」

「僕は、奏を待ってるだけだから」

「かなでぇー!」


 突然その男は大きな声をあげると、僕の大切な奏の名前を呼びつけた。

彼女はぱっと顔を上げると、やっぱりその場で大きな声を出す。


「宮野くん。見学じゃないなら、帰って!」


 彼女が離れて見てろって言うから、遠くから離れて見ていたのに、奏までそんなことを言う。この男の子が邪魔するなら、僕は負けない。


「僕は奏の用事が終わるのを待ってるんだけど」

「はぁ? 知らねぇよ。見学か帰るかどっちかにしろ」

「じゃあ、けんがくする」

「あぁそう。どうでもいいけど、じゃあここに名前書いてくれる? 見学なら見学にまる、体験入部するなら、それも書いて」


 そう言われ、彼から紙とペンを渡される。


「入部する気がないなら、本気で邪魔だからどっか行って」


 そう言うと背の高い彼は、チッと舌打ちすると僕から切れ長の目を反らす。

黄色い長い髪の女の子が、慌てて駆け寄って来た。

彼女はその男の子の紅藻色の服の袖をぐいと引っ張る。


「ねぇ、ちょっと! いいの、そんなことして」

「仕方ねぇだろ。どうやって追い出すんだ?」

「だって!」


 なんだか2人で揉めているけど、彼らの言うことは間違っている。


「僕はここから動かないよ。追い出されもしないし、自分の意志でここにいる」


 そう言うと、黄色い長い髪の女の子は、茶色いサラサラした髪の男の子の後ろに隠れた。

彼は自分の髪と同じくらい茶色い目で僕に言う。


「あっそ。じゃあ、どうすんだよ。このままうちに入部する気?」

「これに名前を書けば、ずっとここにいていいの?」


 渡された板の上の紙切れを見る。

自分の名前を書くのは、たくさん練習した。

まだ字を書くのには、あんまり慣れてないけど。

奏と一緒にいることを認めてもらえるっていうのなら、僕に迷いはない。

その質のあまりよくない紙の上に、一生懸命練習した名前を書く。

丁寧に書いたつもりだったけど、ちょっとガタガタになっちゃった。

それでもだいぶ、上手く書けたと思う。

茶色い髪の背の高い男の子に、その紙を挟んだ板とペンを渡すと、とてもムスッとした表情で受け取ってくれた。

奏もずっとそんな感じだから、きっと人間にはこれが普通なんだろう。

いつもにこにこしている人魚と違うのは、きっと習慣みたいなものだから仕方がない。


「見学? 体験入部?」


 完全に怒っているような声で、茶色いサラサラした髪の男の子は言った。

とても感じはよくない。

だからきっと、人魚の仲間は人間なんてやめとけって言うんだろうな。


「奏は、ここの仲間なの?」


 遠くにいるままの彼女は、背中を合わせたもう一人の女の子を背に乗せて担いだまま、ちらりとこっちを見た。


「奏は女子水泳部の部長で、男子の部長は俺だ」

「奏がいるなら、一緒になる」

「へー。そうなんだ。ワケ分かんねぇし知らねぇけど、分かった」


 彼はその紙に、何かを付け加えた。


「じゃとりあえず、仮入部ってことで。お前、あいつにちょっとでも変なことしたら、俺が許さねぇからな。それだけは覚えとけ」


 すぐにその紙を、板ごと隣にいた長い髪の女の子に渡す。


「男子更衣室はこっちだ。中に入って早く着替えろ」

「着替え? 着替えって、みんなが着てるこれのこと? 持ってないよ」

「じゃあ部のやつを貸してやるから、来い」


 彼に連れられて、奏の入った部屋とは違う隣の部屋に入る。

コンクリートの壁がむき出しの、冷たくて暗い部屋だ。

ここは陸の上だけど、この部屋は海の中の洞窟みたいで、ちょっと落ち着く。

ただ立ちこめる臭いは最悪だけど。


「サイズ違いは気にすんな」

「みんなこの、同じ色で同じ格好の服を持ってるの?」

「あ? あぁ。そうだよ」


 みんなと同じ紅藻色の服を渡されて、僕はちょっと困惑している。

だけど、同じ種類の魚がみんなほぼ同じ模様をしているように、人間は同じ服を着ることで仲間になるんだと自分を納得させる。

着替え……るのは、上手になってるけど、裸はあんまり見られたくないな。

生まれ変わったばかりの僕は、間違いなく全身人間のはずだけど、人間から見てもちゃんと人間になれているだろうか。

一緒に入ってきた彼は、じっと僕の体を見ている。


「なに? どうかした? なんかヘン?」


 完璧な人間になっているはずだけど、そんなにまじまじと見られると、ちょっと緊張する。

シャツのボタンをぎこちない手で一つ一つ外して、それを脱ぎ捨てる。

人魚だった時は平気だったのに、今は素肌を見られるのは恥ずかしい。


「いや、別に」


 彼はようやく目をそらすと、鼻の下をごしごしとこすった。


「泳ぎは得意なの?」

「うん。速いよ」


 それはもう、人間となんて、比べものにならないくらい。


「そっか。そりゃ楽しみだな」


 そう言うと、彼は僕の足元を指差した。


「おい。服くらい、ちょっとはたたんでから椅子の上に置いとけ。俺とペアで筋トレやるぞ」


 出て行く彼の背中を、慌てて追いかける。

なんだかよく分からないけど、ここでは彼の言うことを聞いていればいいみたい。

ようやく外に出て解放された僕は、奏に駆け寄る。


「おい。お前はそっちじゃねぇよ」

「え、なんで? これから奏と一緒に出かける予定なんだけど」

「出かけねぇよ。お前は俺とここで筋トレだっつってんだろ」


 せっかく奏を追いかけて来たのに、ここでもまた別々にされた。

人間というのは、男と女で別々に動くらしい。

隙をみて彼女のそばに行こうとすると、茶色の彼に怒られるし、その彼の命令で全員が走らされたり、腕立て伏せとかいうのをさせられたり、全く納得がいかない。


「もう飽きた! 僕はこんなことをするためにここに来たんじゃない!」

「お前、どんだけ体力ないんだよ。よくそんなんで今まで生きてこれたな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る